コンサート雑感、今回は令和6(2024)年12月28日に聴きに行きました、MAXフィルハーモニー管弦楽団2024第九演奏会のレビューです。
MAXフィルハーモニー管弦楽団はアマチュアとプロ混成のオーケストラです。毎年私の第九収めとなっている団体でもあります。昨年のエントリを以下に挙げておきます。
昨年は12月2日とMAXさんとしてはかなり早い時期でしたが、今年は年末12月末という時期になりました。ことしは4月にブルックナーも演奏したことが理由なのかもしれませんが、一応例年通りのタイミングとなりました。
さて、今回の演奏会のプログラムは以下の通りです。
①シベリウス アンダンテ・フェスティーヴォ
②シベリウス フィンランディア(讃美歌第298番による合唱付き)
③ベートーヴェン 交響曲第9番
前半がシベリウス、後半が第九というプログラム。このプログラムからしますと、祝祭感あふれるという感じですが・・・じつは、そうではなかったのです。
①シベリウス アンダンテ・フェスティーヴォ
アンダンテ・フェスティーヴォは、シベリウスが作曲した祝典曲です。元々は弦楽四重奏曲でしたが、のちに管弦楽作品にシベリウス自身が編曲しています。
さて、こう書きますと、まずは祝祭的な曲で始まったと思いますよね?その意味はあると思いますが、当日の冊子に寄りますと、今年の7月に創立以来のトランペット奏者が亡くなられたとのことで、その方を偲ぶという意味があったそうです。それはこの曲がシベリウスの葬儀に使われたからとのことです。
ただ、上記ウィキペディアの解説にはシベリウスの葬儀に使われたという記載はありません。以下のブログのエントリでも葬儀に演奏されたことには疑義を呈しています。
ただし、シベリウスが亡くなった時、国連総会でも黙祷が行われたり、ヨーロッパ各国のラジオで作品が放送されたりしましたので、もしかするとシベリウスお気に入りだったアンダンテ・フェスティーヴォが放送された可能性は否定できません。例えば、最近では歌手で俳優の中山美穂さんが逝去されましたが、その時にも葬送の音楽ではなくむしろ中山美穂の代表曲がメディアでもSNSでも取り上げられています。シベリウスが亡くなった時にも同じように放送された可能性は否定できません。そのため、現段階ではMAXさんの姿勢を支持したいと思います。もしかすると亡くなられたトランぺッターの方がシベリウスがお好きだった可能性もあるからです。
今回の会場は例年とは異なり、日暮里サニーホールでした。実はこの会場、本来はコンサートではなく演劇などを上演するホールで、天井には反射板もありません。まるでスタジオです。ヨーロッパのクラシック音楽用ではなく、日本の放送局のスタジオそっくりの作りです(むしろSNSにこそ真実があるという人はこの貧弱さこそ指摘してほしいところです)。これは全く響かずに完全にデッドだなと思いましたがまさにその通り。ですが聴こえてきたのは完全なアンサンブルだったのです。如何に団員全員に気持ちがこもっているか、ひしひしと伝わってきました。最後指揮者古澤さんもタクトをなかなかおろしません。ホールがホールですので残響など1秒あるかないかですからとっくに音は無くなっているにも関わらず、タクトは下りず弦楽器も弓を下ろしません。亡くなった仲間を惜しむ気持ちがそこに現われていました。拍手も当然おきません。古澤さんがタクトを下ろしてようやく万雷の拍手が起きました。
今年は例年になくMAXさんのレベルが高いと思いましたが、仲間の死というものがあったんだなと思いますと納得です。
②シベリウス フィンランディア
2曲目はシベリウスと言えばという、フィンランディア。フィンランディアはロシアの圧政に対するフィンランドの独立を意味している作品です。
今回は上記ウィキペディアでも言及がありますが、讃歌として讃美歌第298番が歌詞として歌われました。実はこのヴァージョン、このブログでも取り上げている形です。
しかも、このエントリで取り上げたように、歌詞は日本語でした。明らかに日本基督教団のものを参考にしていると考えられます。合唱団もこういう軽めの曲で喉や体を温めて置くことは大事でしょう。讃美歌はそれほど声を張り上げることもないですし、ひたすら美しい旋律を歌っていきますのでちょうどいいと言えましょう。そして、ともすれば圧政に対抗する作品と受け取られるフィンランディアを、平和への祈りに変えたという点でもいい判断だったと思います。オーケストラも前曲に続いて完全なアンサンブルでしたし、また合唱団も美しく力強いもので、フィンランディアが持つ内面がしっかり表現されていたと思います。
③ベートーヴェン 交響曲第9番
さて、メインの第九です。今回は仲間の死というものがあったせいか、この第九でも素晴らしいアンサンブルを聴かせてもらえました。第1楽章冒頭はどのアマチュアオーケストラでも難しいのですが、デッドな日暮里サニーホールをものともしない比較的安定した演奏で始まりました。ティンパニも硬めで私好み。客席とオーケストラが近いこともあってダイナミックな演奏がダイレクトで聴こえてくるのでさらに感動的。第2楽章も躍動的です。
そして第3楽章で合唱団が・・・ではなく、実は今回合唱団もソリストも、第1楽章からスタンバイだったのです!立ってでは厳しいので椅子に座ってですが、これは例年とは違うと思いました。おそらくですが日暮里サニーホールがそもそも演劇用で楽屋も狭いからでは?と思います。実は日暮里サニーホールはホテルの4階と5階にあるホールです。当日も指揮者は客席を通って指揮台に上がっています。一番前の席は砂被り席状態(実は、12月24日に行きました全日警ホールでも同じだったのですが)。第九初演200年の記念年でホールが空いていないところを無理やり手配したという印象もあり、かなり工夫を凝らした演奏だったと思います。ですが小さいホールでいかにフルオーケストラで演奏するかを実験したとも言えそうです。
第3楽章も完璧なアンサンブルでホルンもひっくり返りません。例年であればどこかに弦のやせた音も若干聴こえて来たりもしますがそれが全くありません。まるでプロの演奏を放送局のスタジオで演奏すればこんな感じになるといいう演奏。勿論団員さんにはプロもいらっしゃいますのでうまいのは当然と言えますが、完璧なパフォーマンスは珍しいと思います。本来ならもっといい音響のところで演奏したいでしょうし、最低でも例年使っているサンパール荒川でしたかったところでしょうが、その困難を物ともしない姿勢には脱帽です。
そして第4楽章に突入するとさらにヒートアップ。合唱団が入ればさらにです。その合唱団も「フィンランディア」で喉が鳴れているせいか力強くしなやかな合唱でホールを満たします。アマチュアを聴きに来ているとは到底思えない演奏がそこにありました。
解釈は比較的オーソドックスで、私が常に取り上げるvor Gott!の部分もvor1拍に対しGott!は6拍と楽譜通りですが、その圧倒的な合唱とホールの狭さが相まって、一度そこで感動の極みに達しました。奇をてらわずとも感動する作品であることを証明してしまいました。
最後のプレスティッシモも段々アップテンポになる中でも歌いきる合唱団、そして疾走しつつも完璧なアンサンブルのオーケストラ。タクトが降りた途端の万雷の拍手は当然でした。そして私も今回ブラヴォウ!をかけさせていただきました!facebookのMAXフィルハーモニー管弦楽団のページにアップされた当日のプレスティッシモの部分で声が残っております。これはかけるに相当する感動的な演奏でした。勿論、マナーは守っております。是非とも該当ページをご覧いただきたく存じます。
2024年もMAXさんのコンサートで年末を迎えられて幸せです。このエントリが経つ頃にはすでに年が改まっておりますが、その時には8月のショスタコーヴィチの第5番とモーツァルトのレクイエムに向かってすでに始動されていることでしょう。そして2025年は再びさんパール荒川に戻られるとのこと。再びフランチャイズで熱い演奏が聴けると思いますと今からワクワクします。また素晴らしい演奏が聴けることを楽しみにまずは夏を待ちたいと思います。
聴いて来たコンサート
MAXフィルハーモニー管弦楽団2024第九演奏会
ジャン・シベリウス作曲
アンダンテ・フェスティーヴォ
フィンランディア(讃美歌第298番合唱付き)
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第9番ニ短調作品125
蛍の光(アンコール)
林田さつき(ソプラノ)
長澤美希(アルト)
海道弘昭(テノール)
照屋博史(バリトン)
MAX第九合唱団(合唱指揮と練習ピアニスト:出野裕子)
古澤直久指揮
MAXフィルハーモニー管弦楽団
令和6(2024)年12月28日、東京、荒川、日暮里サニーホール
地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。