かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

コンサート雑感:オーケストラ・チェルカトーリ 第3回演奏会を聴いて

コンサート雑感、今回は令和6(2024)年7月15日に聴きに行きました、オーケストラ・チェルカトーリの第3回演奏会のレビューです。

オーケストラ・チェルカトーリさんは東京のアマチュアオーケストラです。昨年第1回を開催したまだうぶな団体ですが、常に新しい音楽、視点を提供する意欲的な団体です。ホームページは存在せず、広報活動はX(旧ツィッター)とインスタグラムなので、URLを出すことは控えさせていただきます。スマートフォンをお持ちの方だと、情報収集はしやすいのかなと思います。その点でも、若い団体だと思います。

このチェルカトーリさんは、昨年の第1回を聴きに行っています。この時もメインはドヴォルザーク交響曲第8番であるにも関わらず、意欲的なプログラムでした。この演奏会のすばらしさがあったため、今回も足を運んだ次第です。

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しかも今回のプログラムは、さらに意欲的。実は第2回は聴きそびれたため、このプログラムなら絶対に足を運ぶ!と決めていました。

①ハルヴォルセン ノルウェー狂詩曲第1番
グリーグ 劇音楽「ペール・ギュント」より抜粋
③ハルヴォルセン 交響曲第1番

テーマは「ノルウェー音楽の名匠 ヨハン・ハルヴォルセン」。え?ハルヴォルセンって誰?って思いますよね?しかし、チェルカトーリさんが取り上げる作曲家ですから、それなりの作曲家であることは間違いないと判断し、足を運んだ次第です。そして結果は・・・やはり、チェルカトーリさんは素晴らしい団体だとしか言えない演奏会でした!

まず、ハルヴォルセンのご紹介。ノルウェーのヴァイオリニストであり指揮者、そして作曲家です。グリーグと親交があり、奥様はグリーグの兄の娘であるアニー・グリーグ。ブックレットに拠れば、プロポーズのセリフは「僕の全財産はこのヴァイオリンだけ。もしついてきたいならついてきて!」だそうです。いやあ、そう簡単には言えないセリフです・・・かっこよすぎる!それだけ人生の前半生は苦しみの連続だったようで、若くして両親を失いましたが、それでも音楽への情熱を捨てず独学で学び、ステイタスを築いた人です。

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生きた時代からして、国民楽派の時代であり、実際ハルヴォルセンのキャリアも、国際的なヴァイオリン奏者としてではなく、祖国での活動を選びました。同時代の作曲家として、ドビュッシーシベリウスリヒャルト・シュトラウス、ニールセンなどがいます。そんな彼らと同じ時代を生きたのが、ハルヴォルセンなのです。グリーグ、スヴェンセンらが興した「ノルウェー独自の民族音楽と西欧音楽の融合」に共感して作品を作り続けたのが、ハルヴォルセンでした。

当日は上記の前に、プレコンサートとして、グリーグの「3つのノルウェーの旋律(金管五重奏版)」とハルヴォルセンの「ヴァイオリンとヴィオラのためのヘンデルの主題によるパッサカリア」が演奏されました。ウィキペディアのハルヴォルセンのページにもあった有名な曲ですが、それをプレ・コンサートでやってしまうと言う・・・

この2曲の演奏からして、もう素晴らしいの一言なのです。グリーグ金管が安定していますし、ハルヴォルセンのも、全くやせた音がなく素晴らしいアンサンブルです。グリーグノルウェーと聴くほどは西欧的な音楽ですし、ハルヴォルセンもヘンデルの主題を使っているせいか、ノルウェー感があまりしません。しかし、2曲とも美しい作品であり、実直な演奏は作品が持つ美しさをしっかり伝える惑割を持っています。

そして、まずは1プロのハルヴォルセン「ノルウェー狂詩曲第1番」。1919~20年にかけて作曲され、1920年にベルゲンにて作曲者自身の指揮で初演されました。キャリアを祖国ノルウェーでの活動に費やしたハルヴォルセンは、ノルウェーの民謡や音楽を愛した人でもあります。そのため随所にノルウェーの民謡や音楽が反映されています。まさに「ラプソディー」。曲は3つの部分から成り、急~緩~急で構成され、それぞれに民謡からインスピレーションされた音楽が反映されています。1つ目は「ベルゲンの春」。2つ目が「夜をこめて眠りにつきぬ」、そして3つ目が「ハリング~スプリンガル」です。民族音楽が基になっているせいか、生命力ある作品であり、その魂を存分に掬い取った演奏もこれまた素晴らしい!今回も指揮は中央大学管弦楽団音楽監督である佐藤寿一さんですが、こういった作品を振らせますと本当にオーケストラが生き生きと演奏するんですよね!特に弦各部はノリノリ!こちらもつい楽しくなってしまいます。ホールはデッドな調布市グリーンホールなのに、全くそのハンデを感じないのも好印象です。

2プロは、グリーグの「ペール・ギュント」。通常は2つの組曲が演奏されることが多いですが、実際は劇音楽です。今回もその劇音楽らしく第1幕から順に抜粋で演奏されました。そのため、いきなり「ソルヴェイグの音楽」が聴こえてくるのはあれ?と思いますがそれは私が組曲を耳タコで聴いているからであり、それが本当のペール・ギュントにおける順番なのですよね。

ちなみに、このペール・ギュントはハルヴォルセンが編曲した曲が挿入されていまして、今回はテーマがハルヴォルセンなので、その曲も演奏されました。グリーグはそもそもがピアニストでありピアノ曲を多く書いた人なので、オーケストレーションは苦手とする人ですが、ペール・ギュントを聞いた限りではそんな印象を持ちません。しかし、やはり専門家に頼んだということもあったのだと思います。そしてその相手が、親戚になっていたハルヴォルセンだということだと思います。実際聴いていても違和感ないです。

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今回抜粋されたのは以下の通り。

1.第1曲「婚礼の場で」(第1幕への前奏曲
2.第2曲「花嫁の行列の通過」(追加曲。ピアノ曲集『人々の暮らしの情景』作品19第2曲をハルヴォルセンが編曲)
3.第4曲「花嫁の略奪とイングリッドの嘆き」(第2幕への前奏曲
4.第6曲「ペール・ギュント『育ちの良さは馬具見ればわかる』」(第2幕)
5.第7曲「ドヴレ山の魔王の広間にて」(第2幕)※いわゆる「山の魔王の宮殿にて」
6.第12曲「オーセの死」(第3幕)
7.第13曲「朝のすがすがしさ」(第4幕への前奏曲)※第1組曲の第1曲
8.第15曲「アラビアの踊り」※第1組曲第3曲「アニトラの踊り」
9.第23曲「ソルヴェイの子守唄」(第5幕)

実は以前、SNSであるmixiのコミュニティ「クラシック同時鑑賞会」でもこの全曲版が取り上げられたことがあります。その時の印象もあって、今回この抜粋版を演奏すると言うのも、チェルカトーリ(探究者)に相応しいプログラムだと思っていました。

聴きなれた作品であることもありますが、そもそもこの曲順こそがオリジナルということもあって、まるでオーケストラも私達聴衆と共に物語を楽しんでいる様子がありありと見えたのも楽しかったです。最後の第23曲は物語の最後の曲ですが、とても平安に終わるのです。つい男は冒険しがちですが、その陰にはその冒険に理解を示してくれる女性がいて初めて許されるのであり、そうでなければ好きだと言っても飽きて置いて行かれた女性が優しく包んでくれるなんてことはあり得ません。こうでありたいなあと思いますがしかしそこにはかなりお互いの愛がないと無理。原作がイプセンであるということを考えますと、少しペール・ギュントの物語の意味は私たちが想像するものとは違ったものに見えてきませんでしょうか。男のほうが女性に許しを請うて初めて優しく包んでくれる、ということが・・・

つまり、男性が好き勝手にやって女性はそれについていくべき、という思想ではその安らぎは得られないということを、イプセンは物語に示しているわけで、そのイプセンが選んだ作曲家がグリーグだったこと、そしてそのグリーグが追加曲のオーケストレーションをハルヴォルセンに頼んだということは、現代を生きる私達日本人にとっても、非常に大切なメッセージであると思います。

最後の3プロ、ハルヴォルセンの交響曲第1番。栄えある第1番の交響曲で、ハルヴォルセンもいろんな作品を作曲しつつもやはり交響曲を書くことにこだわったようです。1923年、ハルヴォルセン59歳の時の作品で、ちょうど劇場音楽監督の職を辞したタイミングでもあり、時間に余裕が取れるようになったことも、作曲への動機につながったようです。ハルヴォルセンにしては珍しいソナタ形式の作品とのことですが、確かに聴いているとあまりソナタ形式をはっきりと聴き取れません。とはいえ、作品の生命力は確かに存在していますし、喜びに満ちた旋律も多く、西欧的な雰囲気とまでは言えない、民族的雰囲気が漂う作品であることも確かです。満を持して作曲したハルヴォルセンの喜びを爆発させるかのようなオーケストラの演奏は、生き生きを超えてノリノリであり、作品への共感に満ちています。前回もそうでしたが、オーケストラのレベルが高い!賛助出演がハープのみというのも、このオーケストラの各員の音楽への情熱の深さを感じるところです。

鳴りやまない拍手のなか演奏されたアンコールがハルヴォルセンの「ボヤール人(ロシア貴族)の行進」。これもまた全員ノリノリで演奏するのです!ハルヴォルセンという作曲家の作品の魅力、楽しさ、そしてペール・ギュントという物語の真の意味。どれをとっても素晴らしい演奏会でした。次回はティアラこうとうでの演奏会だそうですが、どこかとバッティングしなければいいなと今から思っているところです。

 


聴いて来たコンサート
オーケストラ・チェルカトーリ 第3回演奏会
エドゥアルド・グリーグ作曲
3つのノルウェーの旋律(金管五重奏版)
ヨハン・ハルヴォルセン作曲
ヘンデルの旋律によるパッサカリア
ノルウェー狂詩曲第1番
エドゥアルド・グリーグ作曲
劇付随音楽「ペール・ギュント」抜粋
ヨハン・ハルヴォルセン作曲
交響曲第1番
ボヤール人(ロシア貴族)の行進(アンコール)
佐藤寿一指揮
オーケストラ・チェルカトーリ

令和6(2024)年7月15日、東京、調布、調布市グリーンホール大ホール

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:グールドが弾くモーツァルトのピアノ・ソナタ全集2

東京の図書館から、4回シリーズで取り上げております、小金井市立図書館のライブラリである、グレン・グールドが弾くモーツァルトのピアノ・ソナタ全集、今回はその第2回目。第2集を取り上げます。

第2集には、第7番から第10番までの4曲が収録されています。もっと収録してもいいはずなんですが、この第2集では第10番までになっています。第11番が「アレ」だからかな・・・え?阪神の優勝ですかって?いいえ、違います。そもそも私はベイスターズファンですし・・・

さて、この第7番から第10番というのは、内田光子さんの全集ではぶった切られていますが、実はモーツァルトマンハイムやパリへ旅行に出かけた時期の作品です。その間、モーツァルトは一緒に出掛けた最愛の母を亡くしてしまいます。

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第7番はマンハイムでカンナビヒの娘のために作曲し、第8番は新全集では第9番とされた作品で、その道中パリで仕事も見つからずさらに母を亡くすという悲しみの中で積ぎ出され、第9番は新全集で第8番とされた作品で母との道中で作曲した作品、第10番はその後1780年に作曲された作品です。この中で実は第10番は他の3曲とは異なる時期の作品となっていることに留意が必要ですが、この全集では一つのCDの中に収録されています。全体の時間の関係だと思いますが、この辺りはCDというメディアの特徴による苦肉の策であるように感じます。

と言うのは、第7番から第9番までは、「作品4」としてまとめられて発表された作品です。現在ではモーツァルトの作品に作品番号を付すことはなくケッヘル番号で示しますが、発表時は作品番号が付され、ひとまとまりだったことに留意が必要なのです。とはいえ、4つまとめて演奏されますと、それほどの差を感じません。むしろ第7番からぐっと内容が濃くなっているのに気が付かされます。

第1集ではグールドのアルバムではおなじみの鼻歌も聴こえてくるのですが、この第2集では不思議とその鼻歌が殆ど聴き取れません。特に私の場合、リッピングした音源をTune Browserで192kHz/32bitにアップサンプリングして聴いていますが、それでも聴こえてこないのです。グールドが作品の背景をしっかりとらえて弾いていることが、このことからも明らかになるのです。どこかモーツァルトの内面に共感し、寄り添っているように聴こえます。

特に、第8番(新全集では第9番)の第1楽章は、激しい演奏になっています。明るい音も散見されつつも、主調はイ短調と悲しみの調性。その意味を十分にとらえて表現するグールドの咀嚼力と表現力は圧巻です。第2楽章はまるで母との思い出を懐かしむような明るさですし、第3楽章は再び荒々しい音楽。それをそのままストレートに演奏して奇をてらわず自分の共感のままに弾いていくグールドのピアニズムに圧倒されます。

このマンハイムとパリへの旅行、そして最愛の母の死で、モーツァルトの音楽はさらに内面性を深め、表面的な美しさだけではない深さが加わりますが、その点をしっかりと捉えつつ、自らの内面も表現していくグールドの演奏は、聴いている私自身の母を失った悲しみに寄り添ってくれているかのようにも感じるのが不思議なのです。確かにグールドは天才と言われましたし個性が強い人でもありましたが、一方でグールドというピアニストは単に感性だけで弾いているのではなくやはり一流の演奏家はしっかりスコアリーディングをするものだと感じますし、また作品の背景もしっかりと捉えたうえで自分の個性を反映させていくものだと思い知らされます。グールドは天才ですがその前に一個の人間であるということを、私達は忘れてはならないと思い知らされるのです。

つい私たちは天才やヒーローにすがりたくなりますが、こういった演奏を聴きますと、その天才もまた一人の人間、私達と何ら変わりないのだということに気づかされます。私はさらに、グールドのドキュメンタリー映画を見た経験もあるという点も影響しているのかもしれませんが、演奏を聴くだけでも、グールドが一人の人間にすぎないということが如実にわかるのではないかという気が私はしています。音楽を聴くことは単なる娯楽ではなく、演奏家や作品との対話でもあるのだと、グールドが教えてくれているようにすら、感じるのです。

 


聴いている音源
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト作曲
ピアノ・ソナタ第7番ハ長調K.309
ピアノ・ソナタ第8番イ短調K.310
ピアノ・ソナタ第9番ニ長調K.311
ピアノ・ソナタ第10番ハ長調K.330
グレン・グールド(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:グールドが弾くモーツァルトのピアノ・ソナタ全集1

東京の図書館から、今回から4回シリーズで、小金井市立図書館のライブラリである、モーツァルトのピアノ・ソナタ全集を取り上げます。

以前、神奈川県立図書館のライブラリで内田光子が弾くものをご紹介しています。

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合計5回シリーズでしたが、今回はそれよりも一つ少ない4回シリーズとなるのも注目です。今回のピアニストは、グレン・グールドです。以前もバッハやベートーヴェンでその演奏をご紹介してきた、有名なピアニストです。特に、グールドと言えば、ベートーヴェン交響曲だったり、バッハの平均律クラヴィーアの演奏で有名なのですが、図書館でモーツァルトのピアノ・ソナタも見かけましたので、借りてきたということになります。それにしても、内田光子の演奏のを取り上げたのは10年前・・・月日が過ぎるのは速いものです。

このグールドによる全集は、内田光子さん同様、旧全集に基づいた番号順となっていますが、まず第1集に収録されているのは、第1番~第6番、いわゆる「デュルニッツ・ソナタ」です。内田さんでは第5番までしか収録されていませんでしたが、このグールドのは第1集にひとまとまりの6曲すべてが収録されています。この辺りをどうとるかは人それぞれだとは思いますが、私自身はこの6曲がひとまとまりになっているのはレファレンス要素がしっかりしていて好印象です。

さらに、グールドの演奏と言えば、速めのテンポという点がありますが、そのテンポが「デュルニッツ・ソナタ」全曲を一枚に収録するという点に於いて、有利に働いています。そのうえで、この「デュルニッツ・ソナタ」の6曲が、モーツァルトのピアノ・ソナタの特質をいきなり語っているのも特色だと思います。内田光子さんの時にも言及しましたが、この「デュルニッツ・ソナタ」を作曲したころのモーツァルトはすでに青年期であり、コロレド神父からの脱却、父の支配からの脱却という、二つの事柄からの脱却を目指した時期の作品です。それだけに、どこかギャラントな雰囲気がありつつも、チェンバロ的な作品になっていない点が自然と浮かび上がらせることに成功しています。

このグールドの第1集を聴いて、改めて内田光子さんの演奏と比べますと、モーツァルトのこのピアノ・ソナタがどれだけ革新的であったのかが手に取るようにわかりますし、そしてその革新性という視点は、いろんなピアニストで共有されているということもまたわかるのです。これが複数の演奏家の演奏を聴く意義であり、醍醐味でもあります。

第1楽章は各曲ともギャラントな、チェンバロの延長線上の音楽が聴こえてきますが、第2楽章の緩徐楽章は各曲とも決してそんなことがなく、むしろたっぷりロマンティックに弾いたとしても問題ないのも、モーツァルトがこれらの作品を作曲するにおいて、チェンバロよりはむしろピアノ・フォルテという、最新の楽器を念頭に置いていたであろうことが容易に想像できる点も、このグールドの演奏で余計示されていると感じるのです。

そのうえで、グールドらしい颯爽とした疾走感も感じられます。それが余計、古典派の作曲家であるモーツァルトの音楽を聴く楽しみにもつながっています。自らの個性を出しつつも、作品を捻じ曲げることをせずむしろ作品の特徴を浮かび上がらせる・・・さすが、才能を持つ人と言うのはこういうことをやってのけるのか!と感嘆せざるを得ない演奏で、実に楽しいですし喜びを感じます。このモーツァルトのピアノ・ソナタも、ベートーヴェンのピアノ・ソナタへある程度の影響を与えたと考えれば、ギャラントな性格だからと言って袖にできるものではないなあと、強く感じる次第ですし、グールドが表現しているのも、その点ではないだろうかと感じざるを得ないのです。

 


聴いている音源
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト作曲
ピアノ・ソナタ第1番ハ長調K.279
ピアノ・ソナタ第2番ヘ長調K.280
ピアノ・ソナタ第3番変ロ長調K.281
ピアノ・ソナタ第4番変ホ長調K.282
ピアノ・ソナタ第5番ト長調K.283
ピアノ・ソナタ第6番ニ長調K.284
グレン・グールド(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

コンサート雑感:ラスベート交響楽団第47回定期演奏会を聴いて

コンサート雑感、今回は令和6(2024)年7月7日に聴きに行きました、ラスベート交響楽団の第47回定期演奏会のレビューです。

ラスベート交響楽団さんは東京のアマチュアオーケストラです。「ラスベート」とはロシア語で「夜明け」を意味するそうで、1999年に創立されたことから新世紀を意味したそうです。

paccbet.deci.jp

過去の演奏会のプログラムを見てみますと、ロシアの作曲家と言うよりは、ロシアの作曲家を中心にしながらもこだわらずという印象があります。ロシアの特殊性という現在のロシア大統領が主張することよりはむしろロシアのクラシック音楽のヨーロッパとのつながりという意識のほうが強いような選曲です。しかも、ロシアと言えばチャイコフスキーが特に有名ですが、むしろあまり有名ではない作曲家に焦点を当てているのが特徴です。主にグラズノフで、そこにカリンニコフやボロディンという名前が並びます。そこにたまにチャイコフスキーラフマニノフが入ってくるという感じです。そもそも、ロシア国民楽派の勃興もドイツロマン派やフランス共和制の影響を多分に受けて成立していますし、いい視点を持っているオーケストラだと思います。

今回のプログラムは以下の通りでした。

①ディーリアス 幻想曲「夏の庭で」
グラズノフ ヴァイオリン協奏曲
ラフマニノフ 交響曲第3番

まあ、現在のロシアであれば取り締まりを受けるような選曲です。つくづく日本に生まれて良かったと思う瞬間です。また、第1曲目がディーリアスというのも、アマチュアオーケストラらしいなあと思います。プロオケならマイナーな作曲家かつマイナーな曲であることから収益性が低いため避ける曲ですので。

「夏の庭」はディーリアスが1908年に作曲した幻想曲です。かれがその生涯のうち若き日に経験したキャリアの中で接した音楽の影響がふんだんに盛り込まれつつ、独創性にあふれたまさに「夏の風物詩」のような作品であることも魅力。その魅力を存分に引き出す指揮者と応えるオーケストラ。そしてそのレベルの高さ。このオーケストラもまたやせた音が散見されないレベルの高いオーケストラです。この第1曲目を聴くだけで、プロオケだけ聴いていると日本のオーケストラの真の実力と裾野の広さは分からないという典型例です。

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2曲目はグラズノフのヴァイオリン協奏曲。実はこのグラズノフが入っていたことが、このオーケストラを聴きに行きたいなと思った理由の一つです(もう一つはホールが自宅から近い武蔵野市民文化会館だったことです)。1904年に作曲された作品で、3楽章から成りますが連続して演奏されます。第2楽章は主にカデンツァという様式になっていることも特徴的。なので聴いているとあれ~カデンツァに入ったけれど楽章の分け目はどこ?と一瞬思ってしまいますがしかしそこで音楽がガラリと変わっているのでああここなのか!と後からわかるというちょっと癖のある作品。ソリストの丹羽さんはプロの演奏家ながらこのラスベート交響楽団さんのコンサートマスター兼トレーナーをやられているそうで、オーケストラのレベルの高さはこういう人が普通に混じっていることなのか!とわかります。倍音を聴かせる曲であるせいか多少その部分で力不足の点がソリストにはありつつも、オーケストラには全くやせた音が見受けられないのが唸ります。生命力は存分に表現されており、グラズノフがいかに意欲的な作品を生み出したのか、そしてその魂を掬い取っているかが明確な演奏でした。

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そして、最後のラフマニノフ交響曲第3番。なぜかラフマニノフ交響曲第2番はよく演奏されるのですが、第3番はあまり演奏されない曲なので、これも聴きどころだと思っていましたが、この演奏も生命力があって素晴らしい!金管ダイナミクスも安定しつつ力強く美しく、音楽の美しさとその内面性がしっかりと表現されていたのも魅力的。1936年に完成した作品なので、戦争の影なども影響しているのか、3楽章形式を取っていますが、その3楽章というのが意味するものを、譜面から掬い取ったかのような演奏は見事でした。

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会場の武蔵野市民文化会館は大ホールが多目的ホールなので決して響きのいいホールとはいいがたいのですが、しかし他の多目的ホールに比べますといい響きを持っているホールだと思います。そのホールを見事に楽器に変えるオーケストラの実力の高さも光ります。デッドな部分の影響があまり見られないんです。それは演奏自体のレベルの高さ、そして演奏に込める団員の想いが詰まっている故ではないでしょうか。やはり気持ちが乗っているというのはホールの状況を簡単に乗り越えていくものなのです。これがアマチュアオーケストラを聞く醍醐味でもありますし、また有名曲が並ぶプロオケでは楽しめない曲目の意外性も楽しみの一つです。アマチュアオーケストラを聞く意味というものを改めて思い出させてくれる、素晴らしいオーケストラだと思います。グラズノフ交響曲ツィクルスをやっても面白いだろうなと思わせるオーケストラだと思います。今後もチェックし続けたい団体です。

 


聴いて来たコンサート
ラスベート交響楽団第47回定期演奏会
フレデリック・ディーリアス作曲
幻想曲「夏の庭で」
アレクサンドル・コンスタントノヴィチ・グラズノフ作曲
ヴァイオリン協奏曲イ短調作品82
セルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフ作曲
交響曲第3番イ短調作品44
丹羽道子(ヴァイオリン、コンサートマスター
小久保大輔指揮
ラスベート交響楽団

令和6(2024)年7月7日、東京、武蔵野、武蔵野市民文化会館大ホール

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

コンサート雑感:フライハイト交響楽団第53回定期演奏会を聴いて

コンサート雑感、今回は令和6(2024)年7月6日に聴きに行きました、フライハイト交響楽団さんの第53回定期演奏会のレビューです。

フライハイト交響楽団さんは東京のアマチュアオーケストラです。昨年の第51回定期演奏会に私も足を運んでいます。

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昨年の「わが祖国」の演奏も頭にあり、さらに今回の演目と指揮者で行く決断をしました。しかも、時間も遅かったのも幸いです。私のコアな読者の方であれば「またはしごしたんですねw」と思われるかもしれません。はい、その通りで昼間はOrchestra & Chor AGORAさんを聴きに行っています。幸いなことに場所も近かったのもありました。一方は船堀ですが、このフライハイトさんの会場は今回錦糸町すみだトリフォニーホールでした。バスが1系統あってさほど時間もかからないのもはしごした理由です。鉄道でも都営地下鉄東京メトロで乗り換え1回。当日は大雨でしたが錦糸町に着くまでは何とか持ってくれたのが幸いです。

さて、今回フライハイト交響楽団さんを聴きに行った大きな理由は、プログラムが名前とは裏腹にフランス物特集だったこと、そして指揮者が女性である湯川紘恵さんだったこと、です。

プログラムは以下の通り。
イベール バッカナール
プーランク 牝鹿
ベルリオーズ 幻想交響曲

実はすべて、私がこのブログで取り上げたことのある曲ばかり。今回プーランクの「牝鹿」は全曲版ではなく組曲が採用されています。幻想交響曲も数回私も取り上げていますが、今回は最初に取り上げたエントリをご紹介。

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イベールのバッカナール。いきなり祝祭的な音をかっ飛ばしてくれます。それが力強く安定した金管!いやあ、昨年聴いた時も思いましたが、フライハイトさんのレベル高すぎです。全体的にも生き生きとしているんですよね。すみだトリフォニーということもあって響きも素晴らしいですがそもそも演奏が素晴らしすぎます。そもそもバッカナールとはバッカスを讃える酒宴の踊りのことです。バッカスとはローマ神話におけるワインの神様。それを讃える踊りはやはり酒宴でということになるわけで、そりゃあ踊り狂うということになるわけですから、はっちゃけた演奏をしてなんぼということになります。かといって支離滅裂で音程が不安定では芸術を演奏しているとはなりにくいですから、高いレベルで実現する必要があるわけですが、それがしっかりとできているのが聴いていて大満足です!ちなみに、私はお酒飲めませんし現在飲んではいけないのでご縁はないんですが・・・飲める時は酒宴のそのバカげた雰囲気が大好きだったので、その雰囲気が存分に表現されているのがアマチュアだということにもう感動なのです。

プーランクの牝鹿はそもそもはバレエ音楽ですから舞曲。その舞踊性もしっかりと表現していたのはさすがです。なので聴いていてとても楽しい!しかも気持ちいいんです。牝鹿には隠語でかわいこちゃんという意味があり、少し卑猥な匂いすら感じるのですが、しかしそこに果敢に切り込んでいく女性の湯川さん。少し恥ずかし気な女性に、追いかける男性の様子をしっかりと高い芸術性で表現されていることをスコアリーディングで掬い取っている様子がありありと見て取れました。湯川さんは自分が追いかけられている立場だったらどう感じるんだろうという意識も解釈の中にあったのかなと思います。それにしても指揮者の指示を受けてしっかり表現するフライハイトさんのレベルの高さをこの曲でも感じます。

そして最後の幻想交響曲。いろんな団体の演奏を聴いてきましたが、このフライハイトさんの演奏も力強くしなやかで美しい!特に最後の二つの楽章においては、幻想というよりは幻覚と言っていい内容の表現が絶妙!アマチュアらしいやせた音が全く聞こえず、若干金管がひっくり返り気味かなあという程度でそれも全く問題ないレベル。なので幻想交響曲という作品が持つドグマと美しいが故の危うさが演奏に同居しています。これをアマチュアの演奏で体験できるなんて、それだけで感動ものです。いや、この美しいが故の危うさが幻想交響曲のテーマだと私は個人的には考えているのですが、指揮者湯川さんの解釈も同じであるように感じましたしその解釈に対するオーケストラの共感もまたそこに存在していたように感じました。

マチュアオーケストラもここまでのレベルに達したかと思いますと、アマチュアオーケストラを聴き始めた当初に比べ本当にレベルが上がっていると感じます。そしてそれは、プロオーケストラのレベルも上がっているということなんですよね。NHK交響楽団も含め日本のプロオーケストラの実力は本当に上がりました。この恩恵を私たちは受けているんだと思うと、私自身は海外オケの実力の高さは認めつつ、日本のオーケストラを貶める発言はしたくないなあと思います。そういう人にはぜひともアマチュアオーケストラを聴きに行って欲しいなあと、このフライハイトさんの演奏を聴きますとさらに強く感じる次第です。

 


聴いて来たコンサート
フライハイト交響楽団第53回定期演奏会
ジャック・フランソワ・アントワーヌ・イベール作曲
バッカナール
フランシス・プーランク作曲
バレエ組曲「牝鹿」
エクトル・ベルリオーズ作曲
幻想交響曲作品14
湯川紘恵指揮
フライハイト交響楽団

令和6(2024)年7月6日、東京、隅田、すみだトリフォニーホール大ホール

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:3つのヴァイオリン協奏曲

東京の図書館から、今回は小金井市立図書館のライブラリである、3つのヴァイオリン協奏曲を収録したアルバムをご紹介します。

この3つの協奏曲とは、ブルッフブゾーニリヒャルト・シュトラウスの3人が作曲したヴァイオリン協奏曲のことを指します。それぞれあまり有名ではない作品が収録されているのも特徴です。

ヴァイオリン協奏曲は協奏曲の歴史に於いても比較的古い時期に成立したジャンルです。故に、様々な作曲家が作っているわけですが、それにしても、この3人と言うのは意外かもしれませ仙。特にブルッフはヴァイオリン協奏曲は有名ですし、リヒャルト・シュトラウス管弦楽では有名な交響詩をたくさん作曲した人でもあります。ですが・・・

まず、ブルッフのヴァイオリン協奏曲第2番。え?第2番ってブルッフにあったんですか?と訝しがる人もいるかもしれません。そう、実は一つではなくブルッフは2曲ヴァイオリン協奏曲を作曲しており、ずっと前から私は聴きたかった作品だったのです。このアルバムでその願いがかなったのでした。1877年に作曲され同年11月4日に初演された作品です。ヴァイオリンの名手サラサーテとゆかりが深い作品で初演もそのサラサーテソリストを務めています。

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比較的演奏時間が短いのは第1番同様なのですが、味わい深い旋律も多く、第1番に引けを取らない作品です。もっと演奏機会が多くてもいいと思います。

2曲目はブゾーニのヴァイオリン協奏曲。ブゾーニと言えばピアノ曲で有名ですし実際ピアノ協奏曲も書いていますが、ヴァイオリン協奏曲も書いています。1896年~97年にかけて作曲された作品で、ヴァイオリンの技巧的な部分も見せつつ、甘い旋律もあり、ザ・ロマン派と言った作品です。それにしても、ピアニストとしてはリストを尊敬していたブゾーニですが、ヴァイオリンでも技巧的な作品を書くというのは、ブゾーニの才能の一端を示すものとして重要な作品なのではないかと聴いた限りでは思います。一応第1楽章と第2楽章はつながっていますが、第3楽章もほぼアタッカで始まっており、事実上連続して演奏される曲だと言っていいでしょう。

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そして3曲目がリヒャルト・シュトラウスのヴァイオリン協奏曲。作品8というだけあり17歳のころ(1881~82年)の作品であり、上記2曲が楽章が繋がっておりロマンティックさが前面に出ていることに比べますと古典的な作品で、3楽章にしっかりと分かれているのも特徴。リヒャルト・シュトラウスと言えばその生きた時代の割には古い様式から出なかった人でもあります。その特徴、あるいは将来における自分の理想の音楽像と言うのが、ここに見えるように個人的には感じます。

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これらの作品を聞きますと、いかに現代のコンサートピースが偏っているかが分かります。よくドイツものばかりで他が演奏されないと不満を述べる人たちがいますが、そもそのそのドイツものであっても偏っているわけで、ドイツものにおける偏りが是正されない限りドイツものばかりという傾向が是正されないと私は思っています。なぜなら、有名曲じゃなくてもいい曲あるよね!という興味がなければ、フランスものも聴衆は聴くだろうか?と思うからです。いい曲であればドイツものだろうが他であろうが聴くのは喜びであるという意識が広く醸成されなければドイツもの、しかも有名曲ばかりに偏るのは当たり前であると言えるからです。特にプロオケは自分たちの活動が継続していくためにはある程度の利益を上げねばならないため、どうしても市場の要求に応えざるを得ません。私がアマチュアオーケストラを聴くために足を運ぶのも、その市場の意志から離れた作品が数多く演奏されるから、です。なぜ不満を持つならアマチュアオーケストラを聴きに行かないのだろうとずっと思っています。

実際、このアルバムはClavesレーベルで、指揮はリオール・シャムバダル、ヴァイオリンはインゴルフ・トゥルバン。わが国ではあまり有名な演奏者たちではないですが、検索してみれば華々しいキャリアの持ち主です。さらに、トゥルバンはチェリビダッケが尊敬したヴァイオリニストでもあり、その実力は折り紙付きであるわけです。海外レーベルではこういったメンバーによるアルバムが普通に出ているわけで、当然このようなアルバムをアマチュアオーケストラの団員たちは聴きまくっています。アマチュアオーケストラのメンバーがナクソスのヘビーユーザーであることは結構SNSなどで交流すれば当たり前に話されていますし、そう言った話を聞かずに不満ばかり言っている人が多ければ、日本は変わっていかないだろうなあと思っています。

このアルバムではさらにオーケストラはバンベルク交響楽団。甘く切ないヴァイオリンの旋律、そこに内包される内面性と精神性、さらにサポートするオーケストラの生命力、指揮者の解釈が加わって、見事な演奏に結実しているのは聴いていて楽しいですし喜びを感じるものです。こういったものが図書館にあり、手に届くのになぜ足を運ばないの?としか私には見えません。図書館は何のためにあるのか・・・今一度私たちは振り返ってみる必要があると思います。

 


聴いている音源
3つのヴァイオリン協奏曲
マックス・ブルッフ作曲
ヴァイオリン協奏曲第2番ニ短調作品44
フェルッチョ・ブゾーニ作曲
ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35a
リヒャルト・シュトラウス作曲
ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品8
インゴルフ・トゥルバン(ヴァイオリン)
リオール・シャムバダル指揮
バンベルク交響楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~小金井市立図書~:Morgen R.シュトラウス、ドヴォルザーク、ソナタ集

東京の図書館から、今回は小金市立図書館のライブラリである、リヒャルト・シュトラウスドヴォルザークソナタ集のアルバム「Morgen」を取り上げます。

リヒャルト・シュトラウスと言えばどうしてもオペラや交響詩というジャンルを想起してしまいますが、ソナタも作曲しています。そして、ドヴォルザークもまた、交響曲のイメージが強い人ですが数多くの室内楽曲を作曲した人です。

まずは、リヒャルト・シュトラウスの「チェロ・ソナタ ヘ長調作品6」。作品番号からわかるように若い頃の作品で、1882~83年にかけて作曲されました。まだ18歳という若い頃の作品であるだけに、ベートヴェンなど先人の様式が強い作品ですが、それでも颯爽とした第1楽章、渋い第2楽章、壮麗な第3楽章と、若書きを感じさせない作品でもあります。

続く「ロマンス ヘ長調」は実は上記チェロ・ソナタと同時期に作曲された作品で、チェロ協奏曲の緩徐楽章になる予定だった作品。味わい深い旋律なのですが、しかしシュトラウスはチェロ協奏曲の作曲を断念。幻想曲風の作品となりました。しかしこのアルバムはソナタ集。つまり、オーケストラは参加していません。実は、この作品は現在はピアノとチェロによって演奏されます。ある意味、古典派は前期ロマン派に於いて、ピアノ協奏曲がピアノ四重奏曲で演奏されたのと同じように、オーケストラがピアノに置き換わっています。

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続く3曲目から5曲目まではドヴォルザーク。第3曲目は「ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ」。1893年に作曲された、彼の子供の教育を念頭に置いた作品です。4楽章の作品なのでソナタとしてもいいところですが、様式的には簡単なものになっているためソナチネとなっているそうです。そのあたりが子供を念頭に置いたところなんでしょうが、とはいえバッハの平均律クラヴィーアや、ショパンエチュードなどは学習とはいえ結構高いレベルを要求しています。おそらく、ドヴォルザークの娘が当時10歳だったと言うのがあるんでしょう。

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第4曲目は「4つのロマンティックな小品 作品75」から第4曲。この曲はかなり紆余曲折な経緯を経て成立した作品です。まずドヴォルザークが当時住んでいた住居に居候していた学生クルイスのために三重奏曲を書きましたが難曲過ぎて別の作品を書くのですが、それが「ミニアチュール」と呼ばれる弦楽三重奏曲です。そのミニアチュールをヴァイオリンとピアノのためにドヴォルザーク自身が編曲したのが、「4つのロマンティックな小品 作品75」なのです。

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第5曲目は、有名な「ロンド ト短調」。1891年の作品で、ドヴォルザークの友人であったチェリスト、ハヌシュ・ヴィハンに献呈され、ヴィハンのチェロを念頭に置いて作曲されたと言われています。

最後はリヒャルト・シュトラウスに戻り、「明日の朝」。「4つの歌」作品27の第4曲で、もともとはソプラノとピアノ、ヴァイオリンのための作品ですが、ここではチェロとピアノで演奏されています。

さて、演奏するのはチェロがミッシャ・マイスキー、ピアノがパーヴェル・ギリロフ。あれ?演奏者はそれだけですかって?ええ、そうです。つまり、第3曲「ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ」と第4曲「4つのロマンティックな小品」、そして最後の「明日の朝」は、ヴァイオリンではなくチェロで演奏されているのです!特に、第3曲目「ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ」」はマイスキーの編曲だそうで、違和感ありません!記載がないものであっても、マイスキーの校訂が入っている可能性は高いと思います。さすがに出せる音の高さが異なりますから。

マイスキーの演奏が素晴らしいのは言うまでもないことですが、編曲あるいは校訂者としても、マイスキーは能力がある人だということを意味しています。特に最後の「明日の朝」は本来声楽しかもソプラノが入っている作品であるにも関わらず、ソプラノとヴァイオリンという2つのパートをチェロで置き換えてしまうという・・・原曲を聴いていないので何とも言えませんが、ピアノパートも校訂がはいていてもおかしくないと思います。こうなると、原曲が聴きたくなります。

以前の私であれば、原曲オンリーだったのですが、特にラ・フォル・ジュルネでいろんな楽器によるアレンジが楽しいと知ってからは、原曲はもちろん好みますが、そのうえでアレンジを楽しむという方向に変わっています。特にそれに転じたきっかけは、mixiにおける「同時鑑賞会」だったと思います。あれがなければ、今頃まだ原曲原理主義だったことでしょう。さらに、モーツァルト自身の編曲におけるピアノ協奏曲第14番のピアノ四重奏曲編曲を聴いたことが決定的となりました。そうでないと、リストのベートーヴェン交響曲アレンジとか聴けませんでしたし、バッハ・コレギウム・ジャパン小川典子による第九ワーグナー版も聴けることはなかったでしょう。

そういった経験が、アレンジものも抵抗がなくなり、音楽を本当に楽しめる人生になったと言えます。マイスキーがこのアルバムでなぜ「Morgen」という、最終曲に因んだアルバム名を付けたのかと考えるとき、室内楽曲を楽しむというのは原曲を楽しむだけではなく、アレンジも楽しむと言うことを意味していないか?ということなのではないかと思う次第です。

 


聴いている音源
Morgen シュトラウスドヴォルザークソナタ
リヒャルト・シュトラウス作曲
チェロ・ソナタ ヘ長調作品6
ロマンス ヘ長調AV.75
アントニン・ドヴォルザーク作曲
ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ ト長調作品100B.183(マイスキー編)
4つのロマンティックな小品 作品75第4曲
ロンド ト短調作品94B.171
リヒャルト・シュトラウス作曲
明日の朝 作品27第4曲
ミッシャ・マイスキー(チェロ)
パーヴェル・ギリロフ(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。