かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:レスピーギ 作品集2

東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリをご紹介しています。今回はレスピーギの作品を収録したアルバムの2枚目です。

2枚目には、「リュートのための古風な舞曲とアリア」の全曲、そしてローマ三部作の残り1曲、「ローマの松」です。

1曲目の「リュートのための古風な舞曲とアリア」は、その名前の通りにではありません。リュートのための作品ではなく、管弦楽作品だからです。この作品集は「作品集」とはなっていますがレスピーギ管弦楽作品集です。ですから、この作品も管弦楽のための作品です。ただ、原曲がありましてそれはリュートのための作品です。

ですから、正確には原曲がリュートのための古風な舞曲とアリア、なのであって、それを管弦楽へとレスピーギオーケストレーションした作品、ということになります。この手の作品を結構レスピーギは書いているんだなあと思う反面、そのオーケストレーションの色彩の豊かさには舌を巻きます。

ja.wikipedia.org

とはいえ、原曲がそもそも「リュートのための古風な舞曲とアリア」という題名をつけていたわけではなく、ウィキが示す通り、16世紀~17世紀にかけてのリュートの作品をレスピーギが集め、その集合体を「リュートのための古風な舞曲とアリア」と便宜的に名付けただけなのです。そして作品自体は、その便宜的に名づけた集合体を20世紀の管弦楽オーケストレーションで彩った作品です。

とはいえ、完全に20世紀へと替えるのではなく、20世紀までに人間が取得した様々なオーケストレーションの手法を縦横無尽、自由自在に使っているのが特徴で、音楽学者としても活躍したレスピーギらしい作品に仕上がっています。それだけになつかしさがあったりもして、どこか田園風景を想起させるような作品に仕上がっているのも、また魅力です。

このアルバムでも、演奏はいくつかの団体が務め、この「リュートのための古風な舞曲とアリア」はヘスス・ロペス・コボス指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団が担当。ヘスス・ロペス=コボスは20世紀スペインの指揮者で、調べてみるとそうそうたる歌劇場などでタクトを振った実力派。軽妙さも加えたうえでロンドン・フィルを存分に鳴らし、歌わせています。これは歌劇場たたき上げの指揮者によくみられる解釈ですが、実にそれがマッチしています。このアルバムの編集者があえていくつかのオケの演奏を採用しているとここでも判断できるかと思います。

そして全体最後の「ローマの松」。特に最終曲の「アッピア街道の松」が壮麗にて圧巻なのがこの曲なのですが、演奏はロリン・マゼール指揮クリ―ヴランド管弦楽団クリーヴランド管だからなのか、多少引き気味で演奏しているのが印象的。むしろアッピア街道の松の様子を、カメラで追っているかのよう。しかも少し引いたとこからカメラで撮っている感じの演奏なんです。決して情熱的すぎず、多少抑制的な演奏は一度聴きますとあれ?って思ってしまいますが、何度か聴きますとなるほど、ちょっと引いているんだなとわかります。そこを私たち聴衆が受け止めるか否かで評価は分かれる演奏だと思いますが、悪くはないと思います。ただ、これを好む聴衆はどれだけいるんだろうなとは思います。

ですがここまでくれば、その演奏をあえて編集者が置いているとすれば、その演奏にこそ意味があるわけなのです。レスピーギは熱狂を常に表現した作曲家であったのか、です。むしろレスピーギ音楽学者でもあったわけで、だからこそ1枚目では組曲「鳥」があり、そして2枚目には「リュートのための古風な舞曲とアリア」があるわけで、それも聴いて総合的に判断してほしいという編集方針が見えてきます。

だとすれば、レスピーギに対する私たち日本人のとらえ方というものも、変化を求められるのかもしれないと私は思います。レスピーギと言えば「ローマ三部作」しか知られていない作曲家のような気すらします。しかし本来は音楽学者であり、その深いアカデミズムから、「ローマ三部作」は現出しているのだとすれば、その三部作が意味するものは全く変わってしまいます。むしろローマという都市の変貌というものがテーマになっているのでは?という気すらするわけで、熱狂はその一部を意味するものでしかないのだとすれば、私たちはレスピーギという作曲家とその作品に対する見方と態度を変える必要があるように思います。

それは視点を変えれば、現代日本のクラシック作曲家への、突きつける刃だと言ってもいいでしょう。温故知新を徹底的に避け続ける日本のクラシック作曲家、特に右寄りの作曲家たちに対する刃です。本来この国が自由であるならば、たとえば平安時代に成立した雅楽の旋律を使った管弦楽作品や、あるいは室町時代あたりの旋律を使った室内楽などがあってもいいはずです。しかし左翼がと言って徹底的に逃げ回っているのは作曲家たちです。しかし左翼系の作曲家たちと親交を持ちながら、黛氏は曼荼羅や声明を題材に交響曲を書いています。それに続く作曲家たちが出ないんです。それは左翼のせいではありません。右翼のやる気がないだけです。それを左翼のせいにするのは逃げているのと一緒です。

レスピーギは決して逃げずに、イタリアに息づく温故知新というものを、二つの楽曲でやってのけていることを考えると、日本の右翼クラシック作曲家はなんと怠惰なのだろうと思います。黛氏の二つの交響曲を、左翼は叩いていますか?いませんよね?それを考えれば、誰のせいなのかは一目瞭然です。右翼作曲家の猛省と奮起を求めます。有職故実を親しんだ私に対して、逃げられませんよ。温故知新のいい作品を書いてください。

 


聴いている音源
オットリーノ・レスピーギ作曲
リュートのための古風な舞曲とアリア
第1組曲
第2組曲
第3組曲
交響詩「ローマの松」
ヘスス・ロペス・コボス指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団リュートのための古風な舞曲とアリア)
ロリン・マゼール指揮
クリ―ヴランド管弦楽団(ローマの松)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

想い:オリンピックとパラリンピックの開閉会式を考える

久しぶりに「想い」を掲載します。テーマはオリンピックとパラリンピックの開閉会式です。

私も全部見たわけではなかったのですが、それでもオリンピックの閉会式はほぼ全部見て、開会式はダイジェストで見ました。パラリンピックも開会式は入場行進までは見て、閉会式もちょっとだけ見ました。

それですべては語れませんが、それでも感じたのは、オリンピックの開会式のお粗末さと同居するいい部分でした。その意味ではオリンピックの開会式は折角東京でやるのに中途半端な気がしました。それでダイジェストで見ることに決めたのです。

小山田氏に対しては多くを語ることはやめにします。勿論、彼が過去に発言したことは私もいじめられっ子だったので許すわけにはいきません。とはいえ、彼の創作まで「殺す」とはないだろうと思っています。ただ、その彼の創作が、いじめるということも含めての意味を持つのだとすれば、やはりオリンピックにはふさわしくありません。その意味で差し替えたのはよかったと思います。

その差し替えられたものの一部が、日本人作曲家の吉松隆交響曲交響曲第2番「地球にて」でありそのうえその演奏の指揮者が、私が学生時代第九を振られた藤岡幸夫氏だった、ということです。やればできるではないか!と思いました。今のところ吉松隆氏の交響曲はその藤岡氏が振られた交響曲第1番しか持っていないのですが、こうなると第2番以降も欲しくなりました。できればハイレゾで手に入れることができればと思います。

現代日本、そして東京を語る上で、モザイク模様というのは外せないと思います。その「モザイク模様」をどう描こうかと、開会式は苦心していたように思います。

しかし閉会式では一転、スカパラ東京スカパラダイスオーケストラ)が出てきたり、今新進気鋭のグループCreepy Nutsの片方であるDJ松永(もう片方はフリースタイルの帝王R-指定)で、これはいいセンスしているぞ!と思いました。これを待っていた!と。

もちろん、そこにいるのはクラシックの演奏家ではありません。しかし、スカパラと言えばスタイリッシュな楽曲を自分たちの音楽でしっかりと表現する日本を代表するグループですし、DJ松永はDJの世界選手権で優勝経験を持つ経験豊富なDJであり、Creepy NutsR-1グランプリのために書き下ろした楽曲「バレる!」でもR-指定のラップにしっかりといいセンスでDJをつけていたりと、二つとも素晴らしい才能の持ち主です。

これを開会式でやれればなあと、本当に残念でなりません。どうしても国威発揚の方へ行ってしまったようです。それは本当にCovid-19の変異株が猛威を振るう、現状に合っていたのかどうか、私には疑問です。無観客だからこそ開催できたオリンピック、そしてパラリンピックなのです。

そしてそのパラリンピックは、開会式はギュッとコンパクトにして、障害者たちが世界中から選手が東京へ集まるのを、航空機が着陸するという様子を表すことで表現していたのが印象的です。こういうセンスを待っていた!と思いました。断然開会式はパラリンピックのほうがよかったですし、閉会式もちょっとだけですがいいセンスをしていたと思います。

その意味では、今回パラリンピックのほうが全体的に国際規格に合っていたように思います。SDGsという視点ではあまりいい大会ではなかった点も見られましたが、しかし開会式、閉会式、そしてNHKの放映も開会式はよかったと思います。しかし閉会式で手話放送が教育のほうでなかったのは残念です。開会式でいろんな議論を巻き起こしましたが開会式の手話放送こそ、オリンピックの理念にかなうものだったのです。それを閉会式の放送で放棄したNHKには、今後厳しい目を向ける必要があるでしょう。

確かにオリンピックでも、そしてパラリンピックではオリンピック以上に、日本の選手たちが活躍してくれて、うれしい面もあるのですが、それでもこの大会はCovid-19の変異株が猛威を振るうという中で開催された大会です。私自身も罹患し16日間の入院を余儀なくされました。中等症2でしたので下手すればこの世にいなかったかもしれないという症状の中で、選手たちとは異なり生きるための戦いをし続けました。そういう経験からしますと、本当に「開催できた喜び」というものを大会関係者は感じていたのだろうかと、疑問を持たざるを得ません。それはそれで大会運営は大変だとは思いますが・・・・・

長野オリンピックで、開催反対を唱える人たちはごく少数でした。オリンピックではないですがサッカーワールドカップ日韓大会でも開催反対は少数でした。しかし今回のオリンピック東京大会に関しては、直前まで反対が多数を占め、始まっても一定数の反対意見が出るという、異様な大会でした。下手すればもう一度延期、あるいは中止という選択もあった中での開催は、無観客だからこそ実現しえたと言えるでしょう。つまり、反対を唱えた人たちのおかげで無観客が実現し、開催までこぎつけることができたということへの感謝の念というものは、賛成派の人たち、あるいは大会関係者の方々に果たしてあったのかどうか、はなはだ疑問です。

その感謝の念がないまま、開催の総括をするのは、2030年に札幌冬季の招致という話も出ている現状では、おかしな方向へ行くはずだと確信しています。


地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

音楽雑記帳:PCでいい音で聴ける?決め手は「排他モード」

音楽雑記帳、今回はPCで音楽を楽しむ秘訣を一つご紹介します。

PCあるいはタブレットでも同じではあるんですが、通常そういった情報機器で据え置きデッキのような音は難しいって思ってしまいがちです。当の私も随分長い間そのように思っていました。

しかし、まさか自分の父親が、それをいち早く実行しているとは思いもよりませんでした。PCについているようなスピーカーだと音が貧弱ですが、それをパイオニアのウッドコーンに直でつないでいるんです。いやあ、その音のなんとまろやかなこと!

実は、私のソニーのポータブルスピーカーをPCスピーカーとして使うという発想は、そこから来ています。どうしてもPC用のいいハイレゾ対応のスピーカーが在庫がない、という情況において、手ごろな価格ですぐ買えるのはソニーのポータブルスピーカーSRS-HG10しかなかったため、です。そこで思い出したのが、父がPCとウッドコーンスピーカーをつないでいたこと、だったのです。

PCの音質向上はちょっとした発想や知識から意外と始めれらるものです。今回はその一つである、排他モードについてお話をしたいと思います。

皆さんは、PCの「音」がどのようにして出ているか、ご存じですか?え、ただ音声データをそのまま出力しているだけでしょ?って思うじゃないですか。ところがそうではなかったんです。

もちろん、音声データが再生されていることは間違いありません。ただそれが、PC側である意味ミックスされたりして「作られている」となると、話は違ってくると思いませんか?実は、通常PCを使っている状況だと、音声はPCによって「作られている」と、言えるのです。それはどこで?PCについているアプリケーションです。

Windows10PCを例にとりましょう。Windowos10だと、今やWMPWindows Media Playerすらなく(なので私は最初別途DLしました)、Grooveミュージックがデフォルトで入っており、音楽はすべてGrooveミュージックで聴くようになっています。関連付けも主にこのGrooveミュージックになります(私のPCも今でも関連付けでGrooveミュージックになっています)。ですがこのアプリも、WMPも、ともに音楽を再生するとき、PC側で「作っている」アプリケーションです。

そしてさらに言えば、その「作っている」ものを「データから直」に変更することもできません。こうなると何が起きるのかと言えば、生の音声データそのものではない上に、実はPCのノイズを拾ってしまうんです。

聴いているうえではそん色ないんですが、しかしどこか貧弱な感じがするときって、PCで聴いているとありませんか?スピーカーもいいのに交換したのに、どこかデッキとは違う音に感じると思う瞬間がある方もいらっしゃるかもしれません。それはおそらく、アプリケーションで音を「作っている」のが原因だとみていいと思います。その分、さらにPCのノイズも拾ってしまっています。

もちろん、たとえば据え置きデッキでもアンプでノイズの問題がないわけではないんですが、それはメーカー側で徹底して対策を行っています(ただ、デッキの金額に応じてそのレベルは異なってきますが)。しかしPCあるいはタブレットだと、その対策を使用者自身がしないといけないんです。それが、排他モードを選択すること、なのです。

weekly.ascii.jp

私が長年使っていたWMPや、新しいGrooveミュージックから、多少不便があってもソニーの二つのアプリケーション、Music Center for PCとHi-Res Audio Playerになぜ変更したのかと言えば、この排他モードがある、ということに尽きます。Music Center for PCの場合は、音を「作る」モードを一応通常としていますが、そのほかに上記アスキーでも触れているWASAPI排他モードと、ASIOの二つの排他モードが選択可能となっています。Hi-Res Audio Playerは強制的に排他モードになります。ですのでほかのアプリケーションに比べて音質が違ってきます。どこかクリアな感じがほかのアプリケーションとはして、異なる印象がするのが特徴です。

私の場合、Music Certer for PCでは排他モードは選択しないといけないので、通常はWASAPI排他モードにしています。この上でDSEE HXを動作させると、正直もうデッキは要らないというところまでの音質を得ることができます。お使いのコンポなどがミニコンポあたりであれば、正直PCだけにしてしまうほうが経済的だと私は思います。

では欠点はないのかと言えば、あります。ほかのアプリケーションやMusic Center for PCの通常モードであれば、アプリが動作しつつも例えばインターネット上の音も聴くことできますが、排他モードが選択されていると一つのアプリケーションが独占するため、インターネット上の音楽など、ほかのアプリによる「音」が聴けなくなります。例えば、Hi-Res Audio Playerが立ち上がっている時には、youtubueを見ることができても音声再生は不可ですし、映画を見ようとアプリを立ち上げてもyoutubeと同じ結果になります。

しかしその代わり、高音質を楽しむことができます。はじめこれに私は面喰いましたが、「自分が何をPCにおいて優先するのか」を明確にしたことで、現在それはほぼ回避できています。つまり、今音楽が聴きたいのか、好きなyoutuberの番組が見たいのかを明確にすることで、回避できています。結局立ち上がっていても、使用状態でなければ使っていないということなのですから、クリックして止めてしまってもいいわけですから。

私と同じものでなくてもいいと思います。ほかに排他モードが搭載されているアプリはたくさんあります。自分の好みで選択すればいいと思います。私の場合、クラシックを聴くのにはMusic Center for PCがレビューを見て最も適している、と判断したので選択したのですから。Hi-Res Audio Playerも強制的に排他モードになり、CDなどを聴くにはいいアプリなのですが、いかんせん楽章でギャップが入るのが欠点。CDを聴くときにはアップスケーリングしてはくれませんが、リッピングさえしてしまえばDSEE HXでアップスケーリングしてくれるMusic Center for PCは本当に便利です。ですがこの欠点が、時として曲順がバラバラになること。これさえなければ、最強のアプリケーションと言っていいのにって思う分、残念ですが、それでも高音質という点ではおすすできるアプリです。

とにかく、排他モードが選択できるアプリケーションに乗り換えることは、PCで高音質で聴く第1歩です。読者の皆さんには、ぜひともご検討いただきたいモードです。

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:レスピーギ 作品集1

東京の図書館から、今回も小金井市立図書館のライブラリをご紹介します。レスピーギの作品を収録した2枚組アルバムのまずは1枚目です。

この一枚目には、「ローマの噴水」「組曲 鳥」「ボッティチェリの3枚の絵」「ローマの祭り」の4曲が収録され、それぞれ指揮者とオーケストラが違うという豪華というか、寄せ集めてきたというか、というアルバムになっています。

「ローマの噴水」はよく知られた作品。ローマにある噴水を描きつつ、それを一つの作品というか「絵」にまとめ上げたかのような作品で、違う噴水を描いているのに楽章はつながっているという作品です。アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団の演奏。瑞々しい演奏が単なる絵画をまるで動画にしているかのようです。

2曲目が組曲「鳥」。これは初めて聴く作品ですが前奏曲のあとそれぞれ描かれている鳥がとてもかわいい。この演奏もDSEE HXを動作させてMusic Center for PCにて聴いていますが(今回はしっかり並んでおります)、まるでホールにいるかのような錯覚に陥ります。前奏曲以外はもともと17世紀の作品をもとにしていますが、レスピーギ管弦楽法が冴える作品でもあるため、DSEE HXを動作させると本当にホールにいるかのよう。イシュトヴァン・ケルテス指揮ロンドン交響楽団

ja.wikipedia.org

3曲目が「ボッティチェリの3枚の絵」。ボッティチェリの絵画から、それぞれ有名な「春」「東方の三博士たちの礼拝」「ヴィーナスの誕生」の3枚を音楽にしたもの。音楽にしたというよりは、多分ですがその絵画から受けたインスピレーションを音楽にしてみた、というものだと思います。2枚は知らなくても最後の「ヴィーナスの誕生」はあのヴィーナスが貝の上に乗っている絵なので知っている人も多いかと思いますが、この音楽からあの絵を想像するかなあという気はします。とはいえ、レスピーギオーケストレーションはさえわたっている作品です。それを室内オケでやるというのも、ある意味ヨーロッパらしく、むしろ音の一つ一つが明確で、なるほどそう受け取っているのねレスピーギはと説得力のある演奏になっているのが魅力です。ラーズロ・ハルタイ指揮アルゴ室内管弦楽団

そして最後4曲目が「ローマの祭り」。これもローマを代表する祭りを4つの楽章で描きながらも続けて演奏することで一つの作品にまとめ上げたもので、「ローマの噴水」のように時系列でまとめ上げられている作品です。これ、意外と調べないとわからない情報ではないかと思います。

ja.wikipedia.org

古代ローマからキリスト教が完全に布教された時代までを俯瞰する作品でもあるわけですが、とにかく壮麗でもあります。これを演奏するのはシャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団デュトワが得意とするような作品でもあるせいか、そのタクトは冴えていますし、またオケの反応も素晴らしいため、各祭りの「熱狂」という部分もクローズアップされます。意外とこの作品には考えさせられる点があるんだと教えてくれる演奏でもあるでしょう。

そう考えると、それぞれ別な指揮者、オーケストラを持ってきたのには意味がある、と言っていいでしょう。勿論一人の指揮者、ひとつのオケで演奏したっていいはずですが、あえて「寄せ集め」にしてみることで各曲を聴いて浮かび上がるものを聴衆が考えるきっかけを与えているとすれば、これはいいアルバムだと言えるでしょう。

 


聴いている音源
オットリーノ・レスピーギ作曲
交響詩「ローマの噴水」
組曲「鳥」
ボッティチェリの3枚の絵
交響詩「ローマの祭り」
エルンスト・アンセルメ指揮
スイス・ロマンド管弦楽団(ローマの噴水)
イシュトヴァン・ケルテス指揮
ロンドン交響楽団組曲「鳥」)
ラーズロ・ハルタイ指揮
アルゴ室内管弦楽団ボッティチェリの三枚の絵)
シャルル・デュトワ指揮
モントリオール交響楽団(ローマの祭り)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

音楽雑記帳:CDがハイレゾになる?アップスケーリングとアップサンプリング

音楽雑記帳、今回はちょっとオーディオの話をしたいと思います。

昨年から、私はPCで聴くアプリをもともとPCに入っていたGrooveミュージックからソニーのMusic Center for PCに替えました。或いはCDだけはHi-Res Audio Playerにしています。これはWAVあるいはCDをハイレゾ相当で聴いて発信してみようという試みです。

Groove ミュージックはWindows 10に入っているアプリで、ハイレゾの再生もできます。それはそれで優れモノなんですが、いろいろ調べてみると音質の点で問題点があることが分かったのです。それはそれで満足はしていましたが・・・・・

ソニーのポータブルスピーカーSRS-HG10にPCのスピーカーを替えてから、本格的にPCで音楽を聴く生活が始まり、デッキは埃をかぶりCDトレイはもう動かなくなっています。それだけPCで音楽を聴いているほうが長くなったわけです。当初はPCで聴くなんてデッキの代替えでしかないと思っていたのですが、実はPCでもデッキに負けないだけの性能を持っていることがわかったのです。それがRealtek High Definition Audioです。

これは、windows PCでは標準装備されている音楽ドライバでして、USBでの出力で192kHz/24bitまでに対応するオーディオドライバです。つまり、PCでも高水準の音が再生できる性能をもともと持っていることを示しており、問題はPC搭載のアンプとDAC(デジタルアナログコンバータ)であることは、随所で述べてきましたが今回改めて示しておきます。これはこの手の話題をするときに常に出てくるものですので、覚えていただけると幸いです。

こうすると、それだけでノイズなどが低下して音質の向上につながるのですが、実はアプリがGrooveミュージックだと向上には限界があり、排他モードを選択できないという問題が発生しました。これに関しては別途エントリを立てますので、今回はそのような問題があるんだという理解をしていただけると幸いです。

そこで、その問題を解決するために、Music Center for PCとHi-Res Audio Pleyerの二つを採用した、というわけです。前者にはちょっと問題点もありますが同じソニーのアプリでして、そして二つともアップスケーリングして再生する機能を持っている(後者は強制的にそうなります)のが特徴なのです。

Music Center for PCの場合は、ソニー得意のDSEE HXという、mp3音源でもハイレゾflac192kHz/24bit相当に変換しながら再生するという機能がついており、ワンクリックで選択できます。Hi-Res Audio Playerの場合はDSD1kHzに変換して再生するという機能が通常でついており、どのファイルでもDSD1kHz相当に変換して再生します。あえて今回はこの二つのハイレゾファイルの種類には触れないでおきます。ただハイレゾには二つの記録方法があるんだと覚えていただければいいかと思います。

そのどちらかであったとしても、この二つのアプリはアップスケーリングという方法でハイレゾ相当にしている、ということなのです。これは再生しながらハイレゾ相当の音質で再生するということを意味する言葉で、ちょっと前まではそれは周波数とビット数の二つを上げることを意味していました。

もう一つ、ハイレゾ相当にする方法が、アップサンプリングです。これはちょっと前までは周波数だけを上げることを意味していたのですが、dBpowerampというアプリが出てから状況が変わり、すでにある音楽ファイルを再生なしに希望する周波数とビット数に変換することを意味するようになりました。

例えば、CDは44.1kHz/16bitの音楽ファイルですが、それを192kHz/24bitと指定してリッピングして変換させることをアップサンプリングと現在は呼びます。それができるアプリこそ、dBpowerampです。ちなみにdBpowerampではCDをDSD1kHzへ変換してリッピングすることも可能です。ただ今すでにあるファイルをハイレゾ相当にするものは周波数だけがアップサンプリングできるようで、そのアプリがupconvです。

え、ということはハイレゾなんて買わなくていいの?と思うかもしれません。いや、まだそのCDなどを持っていないなら、私はハイレゾをお勧めします。ただ、CDだからと言ってそれ以上の音質が求められないかと言えばそうではないということを言いたいのです。これらは「疑似ハイレゾ」とも言われます。あくまでもハイレゾに似せたわけなので。録音した時にどのような数値で記録したのがわからなければ、それはハイレゾ相当としか言えませんし、そもそもハイレゾの定義は、基本的に録音した時にflac96kHz/24bit以上、DSD1kHz以上の音楽ファイルであること、です。

https://www.jas-audio.or.jp/hi-res/definition

上記サイトは日本オーディオ協会のサイトですから、再生に関することで定義づけしていますが、要するにハイレゾのマークをつけるためにはflacで96kHzx/24bit以上、DSDで1kHz以上で記録された音楽ファイルが再生できること、です。ですからそもそも該当の音楽ファイルが録音された時にflac96kHz/24bit以上、DSD1kHz以上でないとハイレゾとは言えないわけです。それを私たちは購入するときに記載されている周波数とビット数を見て判断するわけです。

ですが疑似ハイレゾはそもそもが44.1kHz/16bitでもともと記録されているものをflac96kHz/24bit以上、DSD1kHz以上で「とりあえず」再生してみる、というものなのです。そう、ポイントは「とりあえず」という点なのです。ビットは音の細かさを意味しますから、16bitが24bitになるだけで、実は隠された音が表面に出てきます。いいアンプなら16bitでも引き出せる音が、24bitにするだけで簡便に表面に出てきます。後は周波数が上がれば音圧という点で音に包まれる感覚になります。そうなるとホールにいるかのような感覚になる、というわけで、それがCDでも可能になってくるというわけなのです。それがアップスケーリングもしくはアップサンプリング、です。

とはいえ、もともとの周波数がCDの44.1kHz/16bitなので、記録された時がいくつだったかは私たちにはわかりかねるわけです。ですから「ハイレゾ」と断定することはできず「ハイレゾ相当」あるいは「疑似ハイレゾ」と呼ぶわけです。ですから、ハイレゾで音源があってすでにCDを持っている場合、ハイレゾに買い替えてもいいとは思いますが、ネットストアで出ているファイルがflac96kHz/24bitなら、待ってください。もしかするとすでにあるCDをハイレゾ相当にアップスケーリングもしくはアップサンプリングしても問題ないかもしれません。それなら買う必要がないこともあります。

例えば私の場合は、パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツカンマーフィルの演奏によるベートーヴェンの第九がそれにあたりました。これはまだe-onkyoネットストアにありますが、確かflacだと192kHz/24bitが売られている最高値だったとおもいます。それなら、疑似ハイレゾにしてもそれほど問題はないはずです。ハイレゾファイルのほうがより現場に近いのは確かですが、いい音で再生できるのは疑似ハイレゾでも一緒です。CDをすでに持っているのなら売られているのが192kHz/24bit以上、もっと言えば例えばビット数が32bitになったとかなら購入を検討してもいいとは思いますが、PCが対応しないはずなんです。Realtek High Definition AudioはPCに搭載されているドライバでflac192Khz/24bitまで対応していると記載したはずです。つまりそれを超えるハイレゾファイルはPCは対応していない、ということです。ですから売られているハイレゾ音楽ファイルは押しなべてflacなら192kHz/24bitまでしかないはずなんです。

ですから、すでにCDを持っている場合は、アップスケーリングかアップサンプリングのほうが手っ取り早いんです。ただこれには欠点もあり、デッキによれば再生するときにギャップが入るのです。アップサンプリングはそもそもファイルをハイレゾ相当にするので問題ないですが、再生しながらハイレゾ相当にするアップスケーリングの場合は、デッキによってはギャップが入ります。例えば、Hi-Res Audio Playerでは楽章がつながっている場合は必ずギャップが入ってしまいます。ではそれならダメなのかと言えば、ならアップサンプリングしてファイルをハイレゾ相当にしてMusic Center for PCで再生してしまえば問題解決です。

その点で優れているのが、実はMusic Center for PCなんです。XperiaのDSEE HXは再生時必ずギャップが入りますが、Music Center for PCなら入りません。今次に原稿を書くためにレスピーギ管弦楽作品集を聴いていますが、そのうち有名な「ローマの噴水」と「ローマの祭り」は実は楽章がつながっている作品です。それをDSEE HXを動作させて聴いていますが、ギャップが入らずに聴けているんです。どうやらメモリが関係しているようですが、とりあえず原因はわからないので、CDをWAVでリッピングするか、あるいは楽章をつなげてCDexflacリッピングし、Music Center for PCで再生すれば問題ありません。このように、アップスケーリングあるいはアップサンプリングでも工夫すればいくらでもハイレゾ相当で楽しむことができます。

ハイレゾはおすすめこそしていますが、そうしなければならないという代物でもありません。CDだからと言って実はその中にはハイレゾまではいかないけれど膨大な情報が眠っており、アップサンプリングやアップスケーリングといった「疑似ハイレゾ」はその眠っている情報を引き出す役割を果たすと言っても過言ではありません。その引き出された情報は確実に、あなたの「耳」を驚かせ、まるでホールにいるかのような錯覚に陥るかと思います。是非ともお試しあれ!

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

音楽雑記帳:ラトルとウィーンフィルによるベートーヴェン交響曲全集を聴いた後で、その第九を聴いてみる

音楽雑記帳、今回はサイモン・ラトル指揮ウィーン・フィルによるベートーヴェン交響曲全集を第8番まで聴いた後で、一番最初に買ったはずの第九を聴いてみるという企画で行きたいと思います。

サイモン・ラトル指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるベートーヴェン交響曲全集のうち、私が一番最初に保有したのが第九でした。その時全集を買っておけばなあと今となっては思いますが、とにかく府中市立図書館での扱いが雑であったため、むしろ購入へと至ったという、まあラッキーと言えばラッキーであろうと思います。

そこで今回、その第九を第1番から第8番までを聴いた後でどう感じるのか、あえてこの全集の演奏で感じてみたいと思います。

第1楽章から第3楽章までは、それほど奇をてらってもいませんしとてもオーソドックス。第8番までで感じた情熱的な部分は一部にとどまります。それでも押さえるところは押さえてあるという、私のツボは外さない演奏になっています。そう考えると、この全集を収録するうえでラトルは決してブレていないことがわかります。

しかし、それが一転するのが第4楽章。むしろこの全集を貫き通している「情熱的なベートーヴェン」という点が爆発するのが第4楽章だと言っていいでしょう。そのコントラストが第3楽章までのオーソドックスな演奏との対比になっており、第九全体の構造もとらえているということも考慮すると、もう名演と言っていいはずだと思います。

第4楽章vor Gott!はそれほど変態演奏ではないんですが、しかしアラ・マルシアが始まるまで余韻があり、その点では演奏だと言っていいでしょう。しかも、アラ・マルシアはテンポアップしていく演奏で、ゆっくり始まったはずの演奏が速いテンポへと変わり怒涛のオケの演奏へと突入していきます。これは見事としか言いようがありません。その直前の「天使ケルビムは神の午前に立つ!」の合唱部分もしゃべるようで素晴らしいですし、バーミンガム市交響合唱団のレベルの高さを印象付けます。これ本当に歌うので表現するの難しいんですから。

それでですよ、Covid-19に罹患し生還した私としては、そのあたりから目に涙が・・・・・そして練習番号Mでは、もう男泣きに泣いています。

Deine Zauber binden wieder,    あなたの魔法の力は再び結びつける
Was die Mode streng geteilt,    世の中の時流が厳しく分け隔てていたものを
Alle Menschen werden Brüder,    全てのひとは兄弟になるのだ
Wo dein sanfter Flügel weilt.    あなたのその柔らかな翼が憩うところで

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「あなたの魔法の力は再び結びつける 世の中の時流が厳しく分け隔てていたものを」罹患して入院し法的に病室から退院まで出られなかったことを考えるとまさにこれで、看護師さんや医師たちが資力していただいたそのことこそ「あなたの魔法の力」だと思っています。これにはもう感謝しかありません。

しかも、バーミンガム市交響合唱団は、そのWas die Mode streng geteilt,を強調するんですよね。後半の最後の合唱部分でもBrüderよりもGanzen Welt!のほうを強調しているんです。これは印象的ですがおそらくこのWas die Mode streng geteilt,と対になっていると感じます。世界は分断されているが、時流により厳しく分け隔てられた人たちも、「あなたの不思議な力」により「再び結び合わされる」はずだ、と。まさに今、Covid-19の変異株により世界は分断されているわけです。オリンピックもパラリンピックもとりあえず平穏には終わりましたが、その開催をめぐりまさに日本国内は分断されたんです。本来オリンピックを楽しんできた私ですら、今やるの?という疑念は最後までぬぐえませんでしたし、実際私を看護してくれた看護師さんの中にもそのように思っている人は少なくありません。

だからこそ、このラトルの解釈は意味を持つのだと思います。今は分断されているが、必ず結び合わされる、それは「あなた」の不思議な力によって。その「あなた」は神のような存在かもしれないし、名もなき多くの人たちかもしれない。そんな豊かな想像力と感受性による素晴らしい演奏は、もちろん最初から素晴らしいと思っていましたが、今回再度そのすばらしさを確認できたことが幸せであると感じています。これはまさに特効薬がないという病気から生還した今だからこそ感じられるのだと思います。

 


聴いている演奏
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第9番ニ短調作品125「合唱付き」
バーバラ・ボニー(ソプラノ)
ブリジット・レンメルト(コントラルト)
クルト・シュトライト(テノール
トーマス・ハンプソン(バリトン
バーミンガム市交響合唱団(合唱指揮:サイモン・ハルゼイ)
サー・サイモン・ラトル指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:ベルグルンドが振るシベリウス交響曲全集及び管弦楽作品集5

東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリである、パーヴォ・ベルグルンドが振るシベリウス交響曲全集と管弦楽作品集の第5集を取り上げます。

第5集には交響曲第7番、そして「フィンランディア」を代表する交響詩、そしてカンタータ混声合唱曲が収録されています。

交響曲第7番はシベリウス交響曲として行きつくところまで行った作品であり、単一楽章の中にいくつかの部分があるという形になっており、シベリウスとしては構造的にこれ以上新しいことはできないと判断したようで、結局交響曲はこの第7番で完成は終わってしまいます。第8番も着手したようですが歓声を見ず、結局この第7番がシベリウスが完成させた最後の交響曲となりました。

まあ、「ハ長調」を採用した時点で、もうこれで終わりという感じはします。ハ長調はミサ曲で使う聖なる調。シベリウスが知らなかったとは思えません。つまり第7番とは、シベリウスにとってのミサ曲、と位置付けることも可能かもしれない作品です。

それだけ、究極の作品であるわけなんですが、実は21分ほどで終わってしまう短い作品でもあります。その短さから言ってもこの作品には隠された「聖なる部分」があると私は考えています。ベルグルンドはそんな「聖なるもの」を引き出すかのようにオケを存分に鳴らして歌わせます。そう、ミサ曲のように・・・・・おっと、これは解釈が一緒ですな、と感じます。

そのあとには、シベリウス管弦楽作品がずらり。まず「大洋の女神」はギリシャ神話に基づく作品。シベリウスの作品の中では珍しい題材だと言えますが、愛国的かつコスモポリタン的な部分も持つシベリウスだとむしろ自然なのかもしれません。

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次の「故国」はウィキですと「我が祖国」と記載がある作品です。まあ一緒と言えば一緒ですが、「我が祖国」だとどうしてもスメタナの連作交響詩のほうを想起してしまいます。その分、「故国」とは粋だなあと思うのですけれど。勿論、祖国フィンランドを歌い上げた作品であると言えます。すでに独立を果たした後の作曲ですが、赤衛軍、つまりソビエト共産党の息のかかった団体の影響が後退した後の作曲となると、共産主義への抵抗ということもあるのかもしれませんが私は必ずしもそうは考えません。むしろ帝政ロシアを虎の威を借る狐のようにソビエト共産党が使ったことへの反発でしょう。そもそも、フィンランド帝政ロシア支配下にあったわけですから。そのロシアを否定するなら、フィンランドへの影響は極力少なくするのが共産党としては本来だろうという批判精神すら、この愛国的な作品には見え隠れします。

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4曲目が「火の起源」。これはフィンランドの伝説に基づいたもので、よく知られるギリシャ神話とは違うものですが、どこか似通ったものは感じます。火というものが文明を表し、それが「国」であれば、これはフィンランドを意味する言葉でもある作品で、フィンランディアと同じく帝政ロシア支配下にあった時代に書かれた作品です。

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5曲目は有名な「トォオネラの白鳥」と6曲目が「レンミンカイネンの帰郷」ですが、この二つはセットで一つとして扱われています。ともに「レンミンカイネン組曲」あるいは「四つの伝説曲」として知られているもの。そのうち有名なのが、この二つなのです。

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そして最後が有名なフィンランディアで締めるなんざあ、粋だねえと最後まで思います。普通最初にもってきてもいい作品ですが、これを最後に持ってくることによって、「フィンランディアという作品は何ぞや」と考えさせられるってわけです。勿論帝政ロシア支配下に置いて作曲されたとても愛国的作品ですが、表面上はとても情熱的あるいは愛国的に見えますが、わたしからすれば「火の起源」のほうがよほど愛国的な作品だと見えるのです。愛国的というよりは煽情的な作品だとフィンランディアは言えるのではないでしょうか。一方「火の起源」は表面的には愛国的に感じないかもしれませんがフィンランドの伝説に範をとるという時点で、愛国的作品というのは確定しています。なぜにフィンランディアばかり日本では取り上げられるのか?それは一度立ち止まって考えるほうがいいかもなあと、現在の自民党政権を見ると考えさせられます。

しかも、ベルグルンドはここで粋なことをしています。「故国」と「火の起源」はともに合唱を伴う作品ですが、その合唱団を「故国」ではヘルシンキ大学男声合唱団とフィンランドの合唱団を使っているんですが、「火の起源」という愛国的作品ではソヴィエト・ロシア国立アカデミー・エストニア男声合唱団にさせているんです。思わずニヤリとさせますよねえ。ベルグルンドの深謀遠慮すら見え隠れします。もちろんそれは表現として素晴らしいものを追求した結果だと言えますが・・・・・

最後の最後まで、飽きさせないベルグルンドが振るアルバムは、全集としてそろえておいていいものだと本当に思います。カラヤンができなかったシベリウス交響曲全曲収録をやってのけたのは、このベルグルンド。その意味でも、価値の高い全集だと思います。

 


聴いている音源
ジャン・シベリウス作曲
交響曲第7番ハ長調作品105
交響詩「大洋の女神」作品73
③「故国」作品92
④「火の起源」作品32
交響詩「トォオネラの白鳥」作品22-2(「四つの伝説曲」より)
交響詩「レミンカイネンの帰郷」作品22-4(「四つの伝説曲」より)
交響詩フィンランディア」作品26
ヘルシンキ大学男声合唱団(③)
ヨルマ・ヒンニネン(バリトン、④)
ソヴィエト・ロシア国立アカデミー・エストニア男声合唱団(④)
クリスティーン・ペンドリル(コール・アングレ)
パーヴォ・ヤルヴィ指揮
ヘルシンキフィルハーモニー管弦楽団(①~④)
フィルハーモニア管弦楽団(⑤~⑦)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。