かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:ビエロフラーヴェクとチェコ・フィルによるドヴォルザーク交響曲と協奏曲全集8

今月のお買いもの、12回シリーズで取り上げております、令和4(2022)年5月にe-onkyoネットストアにて購入しましたハイレゾ、イルジー・ビエロフラーヴェク指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏によるドヴォルザーク交響曲と協奏曲全集、今回は第7回です。交響曲第5番を取り上げます。

この第5番から、ドヴォルザーク交響曲には「鉄分」が多く含まれるようになると思っています。ここでいう「鉄分」とは栄養学で言うミネラルにあたるものではなく、その言葉を借りた「鉄道ファンらしさ」を意味します。鉄道ファンの間では自分の鉄道に対する思いを「鉄分」と言うのです。

現代の言葉で言えば「鉄ヲタ鉄道ヲタク。筋金入りの鉄道ファンを指す)」と言えるドヴォルザークアメリカでのエピソードも伝えられていますが、この第5番から機関車が走っている様子を音を巧みに使って表現しているのが前面に出てくるようになります。その萌芽はすでに第4番の第4楽章にも表れていましたが・・・・・

この第5番では、第1楽章から第4楽章にかけてすべての楽章においてどこかしらに蒸気機関車の息吹が感じられるパッセージがちりばめられています。そのためなのか、ビエロフラーヴェクは多少どっしりとしたテンポをこの第5番では採用しています。そしてそのテンポが気にならないんです。むしろ適切でさえ思えてしまう、ビエロフラーヴェク・マジックとでもいうべきものが現出しています。

現代の鉄道はスピード重視。特に東北・北海道新幹線は最高速度が時速320キロ。しかし、蒸気機関車はせいぜい時速120キロ。しかもボヘミアの草原を走っていく列車であれば、100キロ程度でしょう。どっしりとしたテンポのほうがその風景にぴったりであるように思います。

日本であれば、C62よりは、中央本線を走ったD51のほうが、このテンポには適切であるように思いますし、ボヘミアも日本のように山間部もあることを考えれば、時速80キロ程度だったかもしれません。そのためどっしりとしたテンポを採用したように、私には思えます。それをうかがわせるのが、第3楽章スケルツォアレグロ・スケルツァンドと指示されていますが、それならもう少しテンポアップしてもいいように思います。しかし歩くようなテンポになっているということは、まるで草原の上り坂をゆっくりと蒸気機関車が昇っていくような風景が広がるようなテンポを採用しているということを意味するからです。

私自身も鉄ヲタなので、この楽章は時速何キロなんだろう?この楽章はもしかすると上り10‰以上なのかな?とか想像しながら聴いてしまうのですが、不思議なことにそれで違和感ないんです。ということは、ビエロフラーヴェクが譜読みをしたときに、ドヴォルザークが生きた時代の列車が走る風景を掬い取ったように思えるのです。

日本の風景を前述しましたが、中央本線、富士見の峠を越えるD51がけん引する貨物列車を描写したかのような、そんな演奏です。やがて峠を昇り切り、上諏訪の機関庫へと帰っていく・・・・・そんな鉄道がある風景を、この演奏からはどうしても想像してしまい、鉄ヲタとしては喜びと楽しさにあふれる演奏なのです。

実際に、中央本線で特に甲府以遠、富士見の峠あたりを普通列車に乗りながら聴きますと、この第5番などはピッタリなのは偶然なのでしょうか・・・・・

 

 

聴いているハイレゾ
アントニン・ドヴォルザーク作曲
交響曲第5番ヘ長調作品76
イルジー・ビエロフラーヴェク指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
(Decca flac96kHz/24bit)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~府中市立図書館~:マズアとライプツィヒ・ゲヴァントハウス管によるブルックナー交響曲全集2

東京の図書館から、9回シリーズで取り上げています、府中市立図書館のライブラリ、クルト・マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏によるブルックナー交響曲全集、今回はその第2回。交響曲第2番を取り上げます。

第1番から6年の歳月を経て作曲された第2番。途中、番号をつけることを断念した第0番があり、この第2番が成立します。ブルックナーの独創性がいかんなく表現されていますがベートーヴェンの影もある作品です。

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ブルックナー交響曲はそもそもオルガニストであるブルックナーの手腕が反映されているのですが、意外に我が国ではあまりその点が知られていないことが多いんです。モテットなどを聴いて交響曲を聴きますと、すでに交響曲で使っているブルックナー終止などが現れていることに驚きます。

この第2番も教会的な響きがあります。そして演奏からもどこか教会的な響きが聴こえてきます。それもそのはず、この全集はロケーションがライプツィヒパウル=ゲルハルト教会なのです。勿論前回の第1番も同じです。つまり、オケのホームであるゲヴァントハウスではないんです。

この選択はうなってしまいます。確かに旧東独での録音はホールではなく教会ということが多く、その選択がそん色ないのですが、この録音程作品の特徴を的確にとらえたと言えるものはないでしょう。ブルックナー交響曲は、教会音楽がその基礎にあるのですから。

だからこそ、多くのクラシック・ファンが重厚な響きの中で酔えるため、ブルヲタになっていくんだと思います。しかしブルックナー交響曲の魅力は決して重厚な響きにあらずと私は思っています。その基礎にあるオルガニストとしてのブルックナーという存在だと思うのです。

オルガンの圧倒するような響きを、オーケストラでいかに実現するか。それがブルックナー交響曲だと、私は定義づけています。だからこそ多くの人がその響きの中で酔えるんだと思います。結果、ブルックナー交響曲は後期ロマン派らしい、重厚な響きが存在するのですから。だからこそ、私たち聴衆はブルックナーの音楽を聴けば酔えるんだと思ってます。

その視点で言うと、マズアはオケを雄弁に鳴らしつつも、過度にオーケストラの重厚な響きを追求せず、作品の生命力をゲヴァントハウス管というオーケストラを使って引き出していくという作業を大切にしているように聴こえるのです。教会というロケーションを存分に使って、基礎にある教会音楽を感じながら、あくまでも管弦楽作品としてそのポテンシャルを引き出す演奏なのです。

それはある意味、旧東独が社会主義体制だったこともあるのだと思います。しかし旧東独は決して旧ソ連のように教会音楽を過度に規制する国家でもなかったという、微妙な立ち位置がこの演奏にも表れているように思うのです。だからこそ、どうもあの重厚さが苦手なんだよね、という人でもこの演奏であればブルックナーの芸術を楽しめるのではないかと思います。

その意味でも、この全集は個性的で魅力的であるということを見せている、素晴らしい全集であると言えるでしょう。

 


聴いている音源
アントン・ブルックナー作曲
交響曲第2番ハ短調原典版
クルト・マズア指揮
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団


地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~府中市立図書館~:マズアとライプツィヒ・ゲヴァントハウス管によるブルックナー交響曲全集1

東京の図書館から、今回から9回シリーズで府中市立図書館のライブラリであるクルト・マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏によるブルックナー交響曲全集を取り上げます。第1回の今回は交響曲第1番を収録したアルバムです。

ブルックナー交響曲は以前からとり上げてはいますが、全集を取り上げるのはおそらく初めてではないでしょうか。こういう全集ものは府中市立図書館の得意とするところ。

ただ、この全集には、ブルックナー交響曲のうち二つが抜けています。習作で現在ファンの中では真の第1番とも言われる交響曲短調、そして本来この第1番の次に作曲された交響曲第0番です。その意味では、ブルックナーファン入門編ともいえるかもしれません。

さて、第1番は作曲された時期にしてはかなり和声的に特徴的なものをもっている作品です。ブルックナーとしては40を過ぎた、脂が乗った時期に作曲していると言えますが、管制した1866年と言えば後期ロマン派。まだまだ和声的に絶対音楽な作品が多い時期。日本で言えば大政奉還の前年です。

そんな時代に、不協和音がいきなり第1楽章の第1主題で出てくるような作品を欠いているというわけです。この作品の後、ブルックナーはシンフォニストとして活動することになります。

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そんな作品を、マズアはあまり重々しくは演奏させていません。むしろ音楽の三要素のうちの一つ、テンポを重視しているように思います。なのにブルックナー交響曲が特徴的に持つ重厚さはみじんも消えていないんです。

ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団は特徴的なサウンドを持つと言われはしますが、むしろテンポを重視した演奏であるように思います。ただ、オーケストラが持つサウンドが、色彩感を持たせていることは確かでしょう。そのことにより、過度に重々しい演奏にはならず、非常に筋肉質な演奏になっています。

その意味では、非常に楽しみな全集だと言えるでしょう。

 


聴いている音源
アントン・ブルックナー作曲
交響曲第1番ハ短調リンツ版)
クルト・マズア指揮
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

今月のお買いもの:ビエロフラーヴェク指揮チェコ・フィルによるドヴォルザーク交響曲と協奏曲全集7

今月のお買いもの、令和4(2022)年5月に購入したものをご紹介しています。12回シリーズで取り上げています、e-onkyoネットストアにて購入しましたハイレゾ、イルジー・ビエロフラーヴェク指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団によるドヴォルザーク交響曲と協奏曲の全集、今回の第7回では交響曲第4番を取り上げます。この第4番以降は、交響曲のみとなります。

第4番の演奏はすっきりとしつつも細かくオーケストラを歌わせており、私がすでに持っているノイマン指揮チェコ・フィルに比べるとカンタービレしているなと思いますがそれも過度ではないんです。しかしそこからは明確に「歌」が聴こえてきます。そしてその歌が全く鼻につかず、自然に楽しく聴けるのがあっぱれです。

同じオーケストラなのに、この表現の差は驚きますが同時にどちらも説得力があり、聴いていてこっちのほうがとか考えないんです。ビエロフラーヴェクは特にドヴォルザークであればどの指揮を聴いても問題ないようにここまでは思います。意外とあまり好きな指揮者ではないんですけどね、私は。

でも、このドヴォルザークに関してはここまで全くネガティヴに感じる演奏がありません。ビエロフラーヴェク・マジックとでも命名しましょうか、本当に素晴らしい、魂に語り掛けてくる演奏です。

こういう全集に出会えるのが、クラシック音楽を聴いていて幸せなんですよねえ。ドヴォルザーク交響曲ノイマンで全集を借りてきてリッピングしてあるし、スウィトナーノイマンなどでそれ以前に交響曲は揃えているにもかかわらず、です。「新世界より」だけはドホナーニとクリーヴランド管の演奏がいまだにぴか一ですが、さてこの全集はそれを覆してくれるのかと考えると、ワクワクします。

ワクワク感を与えてくれる演奏・・・・・それこそ、プロの仕事だと私は信じています。どうしても人は最初に聴いたり、印象に残ったりした演奏を一番だと思い込む性質があります。しかしそれを覆す、あるいは違うんだけれども説得力がありうなってしまうような演奏を如何に聴衆に届けることができるかが、表現者としてのプロフェッショナルだと思います。クラシック音楽を演奏するということは再現芸術なので。

つまり、先達がいるわけなんですね。その先達と比べ、どれだけ聴衆の立場からはうなるような演奏に出会えるのか、あるいは一番に躍り出るのかに出会えることは、新しいものに出会わなくてもその出会いを喜びとすることができます。

そんな喜びを与えてくれるのが、プロフェッショナルだと思います。いや、別にNHK(「プロフェショナル 仕事の流儀」)から取材を受けてなど居ませんが、しかしこれが私のクラシック音楽を演奏する人たちに対するプロフェッショナルの定義です。

今後もそんなプロフェショナルな演奏を、どこまで聴かせてくれるのか、今後もこの全集は楽しみです。

 


聴いているハイレゾ
アントニン・ドヴォルザーク作曲
交響曲第4番ニ短調作品13
イルジー・ビエロフラーヴェク指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
(Decca flac96kHz/24bit)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~府中市立図書館~:バルトークとシェーンベルクの作品をピアノで

東京の図書館から、今回は府中市立図書館のライブラリである、バルトークの「中国の不思議な役人」とシェーンベルクの室内交響曲第1番を、それぞれピアノで演奏したアルバムをご紹介します。

第1曲目に収録されているバルトークの「中国の不思議な役人」は、結構勘違いして知られている作品ではないでしょうか。どんなジャンルの作品だと皆さん思っていらっしゃいますか?あったりまえでしょ!バレエです!私も踊りましたから!という人も少なくないかもしれませんが、そればブッブー!です。

正解は、パントマイムなのです。

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もちろん、一度はバレエとして上演されていますので決して間違いではないんですが、そもそもはパントマイムのための作品なんです。いろんな解釈がこの作品には存在しますが、パントマイムとなると、これは強烈な社会への風刺、あるいは批判ととるべきだと私は思います。

ヨーロッパにおいて、日本人以上にわけわからず、下手すれば気持ち悪く感じられていたのが、中国人だと言えるでしょう。ですがバルトークがこの作品を作曲した時代、すでに辛亥革命が起こった後です。

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つまり、ここでいう「中国の不思議な役人」とは、清王朝の役人を指しています。ですがそれは中国批判として描かれるのではなく、むしろ当時のヨーロッパにおける中国人差別に対するアンチと考えるのが、作品の内容からは自然でしょう。そしてもう一つのアンチ、それは女性を性の道具として使い、奴隷的に扱っていた男性たちに対するアンチでもあると言えるでしょう。

そのテクストに合うためにはバレエでは不足で、パントマイムを選択したのだと思います。

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差別をしていることを面白おかしく見せることで、如何に差別がおかしいことなのかを考えさせる・・・・・バルトークはよく考えたものだと思います。そうなるとこの作品をバルトークがバレエとして上演することに難色を示したことが腑に落ちます。

だからこそなのか、実は初演は4手ピアノで演奏されています。勿論バルトークはそもそもはオーケストラの伴奏で書いているのですが、初演があえて4手ピアノのためであるという点にも、この作品によってバルトークがいかに異議申し立てをしたかったがわかるのです。

そもそも、管弦楽作品をピアノ版へ編曲するという場合、それは広く聴いてほしいという古典派いらいの伝統があります。下手すればオーケストラを用意できない場合もあるからです。そのためバルトークもいち早く作品を知ってほしくて、4手ピアノ版の編曲を手掛け、それによりとりあえず聞いてもらうという選択をしたのだと思います。このアルバムが4手ピアノ版を選択しているというのには、そのような経緯が踏まえられていると考えていいでしょう。

2曲目のシェーンベルクの室内交響曲第1番も、シェーンベルクの意欲作で、初演時には物議を醸しだした問題作です。しかしマーラーが支持したことから、日の目を見たと言えるでしょう。ですが物議を醸しだしたがゆえに、やはりより多くの人に聴いて判断してほしいという意味合いがあって、この作品もピアノ版が存在するのだと私は判断しています。

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この演奏は、実はロケーションがハンガリーのブタペスト市庁舎というのがミソだと私は思っています。バルトークの「中国の不思議な役人」はハンガリーでは上演禁止となり、なかなか演奏されなかった作品です。その作品を、広く聴いてほしいという4手ピアノ版で、上演禁止となったハンガリーはブタペストの、しかも権力の象徴の一つでもある市庁舎で演奏するということは、いろんな意味でのアンチであると考えます。そして同じようにアンチの意味があるシェーンベルクも・・・・・

おどろおどろしい「中国の不思議な役人」も、そしてシェーンベルクの室内交響曲第1番も、それぞれブタペストという都市において、アンチの意味合いを持つと言える作品だと言えるでしょう。とはいえ、折角の演奏機会を存分に活かそうと、自然体で臨む演奏は逆にヨーロッパにおける様々な抑圧の歴史を思い起こさせるのに十分で、私にとっては胸に突き刺さるような印象すら受けます。できればどちらも、オーケストラ版を聴いてみたいと思わせる、自然体かつ意欲的な演奏に感じられます。じわじわと感動が魂を貫いていく、素晴らしい演奏です。ぜひとも多摩地域に方には借りてほしい一枚です。

明日は、日本人の私たちだって、差別され抑圧されるかもしれないのです・・・・・

 


聴いている音源
バルトーク・ベラ作曲、編曲
パントマイム「中国の不思議な役人」作品19Sz.73(全曲)
アーノルト・シェーンベルク作曲・編曲
室内交響曲第1番作品9
ゾルターン・コチシュ(ピアノ)
エードリアン・ハウザー(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:ホグウッドとエンシェント室内管によるボッケリーニ交響曲集

東京の図書館から、今回は小金井市立図書館のライブラリである、クリストファー・ホグウッド指揮エンシェント室内管弦楽団の演奏によるボッケリーニの交響曲集を収録したアルバムをご紹介します。

ボッケリーニの交響曲は同時代の作曲家、たとえばハイドンモーツァルトに比べると、ハイドンよりは新しく、モーツァルトよりは古めかしいと言えるかと思います。しかし、独創的な構造は、聴いていますと結構楽しくて、少なくともベートーヴェンのような深みというものを目指したものではないと言えるでしょう。

第1曲目の作品12-4G506「悪魔の家」は、1771年に作曲された作品。三楽章形式というのが古めかしい感じですが、しかしギャラントよりは新しいものが聴こえてくるので、思わずノリノリになってしまいます。たとえ「悪魔の家」という標題がついていても、どこか楽しくなるのはボッケリーニ・マジックとでもいえるかもしれません。

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第2曲目の作品35-4G512は、1782年に作曲されたもの。これも三楽章形式で古めかしさを持っていますが、ハイドン的な部分もあり、聴いていてギャラントというよりは古典的な印象を持ちます。

第3曲目の作品41G519。四楽章形式というここで取り上げられている二つよりは新しい様式をもっており、1788年の作曲。つまりこのアルバム、ボッケリーニの交響曲の歴史みたいなものが追えるように編集されていることがわかります。しかもこの作品41ですが、枝番がありません。その意味では、ボッケリーニが新しいものを目指した意欲作であると言えるでしょう。

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しかし、意欲作なのはこの作品41にとどまらす、第1曲目の作品12-4も意欲作なのです。この時代、短調はあまり好まれません。そこをあえてやるという点に、ボッケリーニの先進性が見えるのです。

モーツァルトも、短調の作品を書くようになるのはある程度名が知れてからです。しかしボッケリーニは作品12という時期にそれをやってしまうわけなんですね。意外と知られない独創性だと思いますし、やはりこの時代、イタリアが音楽先進地域だったのだと思わずにはいられません。

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この3つの作品を、いかにも古典的に演奏するのが、このホグウッドとエンシェント室内管のコンビ。小さい音は弱く、大きい音は強くという、古典派の法則に基づいて演奏すると、あら不思議、自然と作品から生命があふれ出るんです。特にカンタービレしなくても、演奏は自然と歌いだしているんです。

だからこそ聴いていて楽しいですし、かといって軽薄でもないため、満足度も半端ない。しかしこういう演奏、あるいは作品を「精神性がない」と切って捨てる今までのメインストリームには私は乗りません。むしろこういう演奏こそ精神性が現れていると思います。特に奇をてらわずにも生命力あふれる演奏になっているなど、まさに精神性あふれる演奏だと言えます。

重々しい演奏こそ精神性あふれる演奏だという人は、人間には深刻なものだけが精神に宿っているのか?と問わざるを得ません。人間には喜怒哀楽があり、その内面に立脚する演奏こそ、精神性のある演奏だと言えるのではないでしょうか。重々しい、深刻な演奏はその一部にすぎません。私にも深刻な心の内もありますし、ついウキウキしてしまう心の内もあります。それはすべて私の精神のうちの一つを構成するものです。

ホグウッドは「人間の精神性」というものをよく理解したうえで、譜読みをし、そこから作品の生命を掬い取っていると感じます。こういう作業がプロとして最低限だと思いますし、まさに基本的なことがしっかりしているからこそ、古楽のオケから聴こえる古めかしいアンサンブルから、生命讃歌が聴こえてくるのだと思います。素晴らしい演奏だと言えましょう。

 


聴いている音源
ルイジ・ボッケリーニ作曲
交響曲ニ短調作品12-4「悪魔の館」(G.506)
交響曲ヘ長調作品35-4(G.512)
交響曲ハ短調作品41(G.519)
クリストファー・ホグウッド指揮
エンシェント室内管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

今月のお買いもの:ビエロフラーヴェクとチェコ・フィルによるドヴォルザーク交響曲と協奏曲全集6

今月のお買いもの、令和4(2022)年5月に購入したものをご紹介しています。12回シリーズで取り上げています、e-onkyoネットストアにて購入しましたハイレゾ、ビエロフラーヴェク指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏によるドヴォルザーク交響曲と協奏曲の全集、今回は第6回としてピアノ協奏曲を取り上げます。

この全集を買おうと思った理由が、このピアノ協奏曲が入っていることでした。実は以前神奈川県立図書館でヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏によるドヴォルザーク交響曲と協奏曲の全集を借りてリッピングしてありますが、なぜか其の時ピアノ協奏曲だけできなかったのです。

そのため、いつかはドヴォルザークのピアノ協奏曲をと思っていましたが、それがこのビエロフラーヴェクが指揮する全集で実現したのです。そのため値段が6000円くらいしたので悩みましたが(何しろ現在休職し傷病手当金で生活しています)、ポチった次第です。

ドヴォルザークのピアノ協奏曲はかなりマイナーで、ドヴォルザークの3つの協奏曲の中でも演奏機会には恵まれず、知る人ぞ知るという作品となっています。しかし様式的にはロマン派の域を出ない華麗な作品となっており、決してヴィルトォーソな作品とは言えませんが、しかしメロディーメーカー・ドヴォルザークらしい、魅力的な作品となっています。

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そのためか、ビエロフラーヴェクはオケを存分に鳴らし、そこにピアノが華麗に乗っかってくる、という演奏をさせていて、それがまた魅力的に響くのです。このどこが悪く言われるんだろうなあと思います。勿論新しい点があるわけではありませんが・・・・・

しかし、この演奏では聴いていて全然飽きを感じさせないんです。むしろいつまでも聴いていたい演奏です。途中のフリアントもチェコのオケらしくノリノリですし、楽しいという印象しかないんです。演奏しているほうがノリノリということは楽しんでいるということであり、それは当然だと言えますが、とにかく聴いていて楽しい!

しっかし、ウィキはドヴォルザークピアノ曲をちょっと過小評価していないかなあという気はします。そんなのかんけーねえ!と悠然とオケを鳴らすビエロフラーヴェクのタクトも素敵。いかにもチェコらしい協奏曲であると感じさせます。これぞプロの仕事ですね。

 


聴いているハイレゾ
アントニン・ドヴォルザーク作曲
ピアノ協奏曲ト短調作品33
ギャリック・オールソン(ピアノ)
イルジー・ビエロフラーヴェク指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
(Decca flac96kHz/24bit)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。