かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:ムターとオーキスによるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集4

東京の図書館から、4回シリーズで取り上げてきました、アンネ=ゾフィー・ムターランバート・オーキスによるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集、第4回の今回は第4集に収録されている第9番と第10番の演奏を取り上げます。

第9番「クロイツェル」と第10番。二つの作品は作曲時期が異なっており、作風も違いますが、しかしベートーヴェンの目指したソナタの理想形が実現されている作品です。しかも、第9番は3楽章制なので、言われているほど重々しい作品ではなくむしろコントラストが明確な作品であり、楽し気な部分もたくさんある作品です。

ムターとオーキスの二人は、そういったベートーヴェンが目指した理想形をよく踏まえたうえで、アーティキュレーションを見事に表現として実現させており、人間の内面というものがいかに深いのかを、楽しさの中に織り込んでいるのが非常に素晴らしい点です。

それを象徴するのが、アンコールに演奏された6つのメヌエットWoO10(ミッシャ・エルマン編曲版)から第2番メヌエットの演奏。ベートーヴェンのいかつい感じではなくむしろ優しい音楽がそこにはあります。ムターとオーキスの二人が持つベートーヴェンの印象が集約されているように思います。

この全集を貫き通しているのはまさに「人間ベートーヴェンへの共感」だと私は受け取っています。だからこそ過度に重々しい演奏に走ることなく、様々な表現を使っての演奏になっていると私は思います。ベートーヴェンの音楽はこうだから!という型を安易に嵌めることなく自在に表現することで、真の人間性、そして精神性の追求に至っています。

こういう演奏こそ、真にプロに求められる演奏でしょう。なんと言っても演奏者は表現者なのですから。楽譜はあくまでもデータでしかありません。そのデータから何を読み、表現するのかは演奏者に任されています。そのアウトプットとしての演奏が演奏者がしっかり咀嚼したうえでのものなのか・・・・・当たり前のように見えますがとても大切なことです。

その「当たり前」なことをしっかりとやり遂げているこの全集は、名盤の一つと言って差し支えないでしょう。一方でこの名盤は、さらなる「ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ沼」へと私を引きずり込むことになるのです。それは次回以降で・・・・・

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調作品47「クロイツェル」
ヴァイオリン・ソナタ第10番ト長調作品96
6つのメヌエットWoO10(ミッシャ・エルマン編曲版)から
 第2番メヌエット ト長調WoO10-2
アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
ランバート・オーキス(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~府中市立図書館~:ムターとオーキスによるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集3

東京の図書館から、4回シリーズで府中市立図書館のライブラリである、アンネ=ゾフィー・ムターランバート・オーキスによるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集を取り上げていますが、第3回の今回は第3集に収録されている第6番~第8番の演奏を取り上げます。

第6番~第8番は作品30ですから、ひとまとまりなんですね。これは先日取り上げたスークとパネンカのものとは違っています。実はこの全集、ライヴ録音なんです。つまり、4つに分かれているその通りにリサイタルが行われたであろうという構成になっているんです。

そのせいか、演奏も集中力の高さが随所にみられるのも、この全集の演奏を聴く魅力かと思います。細かいアーティキュレーションが生み出す生命讃歌。そして人間ベートーヴェンへの共感。その表現がプロらしい高いレベルで実現されていること。どれをとってもさすが一流と言わざるを得ません。

特にこの作品30はベートーヴェンの精神性が!とか言う人にとっては聴くのがしんどい作品であると言えるでしょう。それは明るさも随所に見受けられ、むしろ楽し気な作品が並んでいるからです。ですがムターとオーキスは「それがベートーヴェンの精神性」と言ってはばからない演奏をしているのも、私としては好印象なのです。

私たち人間には喜怒哀楽が感情として備わっており、その4つの感情から文化が生み出され、だからこそ動物とはいえ他の種とは一線を画しているはずです。その文化の中でも芸術というものほど、その4つの感情を背景とするものはないでしょうし、特に音楽は強い影響下にあると言えるでしょう。モーツァルト的だと言われる中でも実際に聴いてみればすでにベートーヴェンの世界が広がっていることは一目瞭然。

だからこそ、プロは様々なアーティキュレーションをつけるわけです。そのアーティキュレーション、つまり表現の差を味わうのもまた、クラシック音楽の楽しみです。軽音楽でバンドが様々なアーティストの作品を演奏するのと一緒です。こういう演奏こそ、「音楽を真に楽しんでいるとはどういうことか」を考えさせてくれる名演だと言えるでしょう。

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
ヴァイオリン・ソナタ第6番イ長調作品30-1
ヴァイオリン・ソナタ第7番ハ短調作品30-2
ヴァイオリン・ソナタ第8番ト長調作品30-3
12のコントルダンスWoO14(ウィリー・ヘス編曲版)から
 第4番コントルダンス変ロ長調WoO14-4
    第7番コントルダンス変ホ長調WoO14-7
アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
ランバート・オーキス(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~府中市立図書館~:ムターとオーキスによるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集2

東京の図書館から、4回シリーズで取り上げております、府中市立図書館のライブラリである、アンネ=ゾフィー・ムターランバート・オーキスによるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集、第2回の今回は2枚目に収録されている第4番と第5番ほかの演奏を取り上げます。

本来はひとまとまりの予定であった、第4番と第5番「スプリング」。その「予定」通りにひとまとまりにして演奏しているのがこの全集となっています。

それだけに、この2曲に対しては、曲の様子が異なるにも関わらず、アーティキュレーションに注意していてさらにポルタメントも使うなど、思いっきり「歌って」います。ベートーヴェンの作品はこれだけ歌えるのか!と目からうろこの演奏です。

どうしても、ベートーヴェンとなると精神性とか言って、壮麗荘厳な演奏を求めるきらいがあります。勿論それが間違っているわけではないんですが、とくに第5番は暖かい雰囲気のほうが全面に出ている演奏になっていることは注目に値します。そしてそれもベートーヴェンの内面性であり、精神性だと言えるでしょう。

つまり、ヨーロッパではとっくにベートーヴェンの「神格化」は終わっているんです。一人の芸術家として扱うようになっているんですね。ですがいまだに日本では神格化があり、私などはSNSなどで議論するときにはずいぶん苦労します。そもそもベートーヴェンは現代的な医療で診れば依存症者です。アダルト・チルドレンでさらにアルコール依存症です。立派な依存症者です。

その中でベートーヴェンを救ったのが芸術だったわけです。聴覚障害を持ち、さらに依存症者。マイノリティーもマイノリティーなわけなんです、ベートーヴェンは。そんな中で普遍的な芸術を生み出し続けたことで、ベートーヴェンは死後神格化されていきます。それはマイノリティーだった裏返しでもあったわけです。

しかし近代になって、マイノリティーへのやさしいまなざしがようやくみられるようになってから、特に20世紀後半からベートーヴェンの評価は変ったように思います。特にアメリカで依存症者が音楽を作り続けることで回復を維持しようという運動が始まってから、ベートーヴェンの芸術もようやく一人の人間が生み出したものという認識が広がったように思います。なぜなら、アメリカで起こった音楽で回復を維持するという運動はまさに、存命中にベートーヴェンがやっていたことだったからです。

むしろ、ベートーヴェンなどのクラシックの芸術家がやっていたからこそ、アメリカで音楽で回復を維持するという考え方が広まったともいえます。実際ラッパーにはベートーヴェンの様に活動しているアーティストがたくさんいます。

そんな歴史を同じ時代で見ているからこそ、ムターとオーキスの二人は、ベートーヴェンを一人の芸術家として見ており、決して神様と捉えていないということになるでしょう。最後のWoO33の演奏でニヤリとしている二人が目に浮かぶようです。どう、ベートーヴェンだってあなたと同じでしょ?みたいな。

こういう演奏こそ、プロの見事な仕事だと言えるものです。

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
ヴァイオリン・ソナタ第4番イ短調作品23
ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調作品24「スプリング」
フルート時計のための5つの小品WoO33(ウィリー・ヘス編曲版)から
 第3番 アレグロ ト長調WoO33-3)
アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
ランバート・オーキス(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~府中市立図書館~:ムターとオーキスによるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集1

東京の図書館から、今回から4回に渡り、府中市立図書館のライブラリである、アンネ=ゾフィー・ムターランバート・オーキスによるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集を取り上げます。

え?続けてですか?とお嘆きのア・ナ・タ、ええ、その通りです。だって、聴き比べって楽しいじゃないですか!しかも、図書館で借りてきてリッピングしておくのであればデータだけ。どうしても気に入らなければ削除すればいいだけです(とはいえ、今までそんな例は一つしかないんですけどね)。

しかもです、この全集、ヴァイオリンがアンネ=ゾフィー・ムターです。ピアノのランバート・オーキスはあまり知らない名前ではありますが、調べてみると今回のムターとだけではなく、多くの名ソリストたちと共演をしてきた実力派であることがわかります。

dukesoftware.appspot.com

今回取り上げる第1集では、アーティキュレーションに関してムター顔負けの表現をオーキスもしており、ベートーヴェンの才能は初期から爆発していたことがよくわかる演奏になっています。特にこの第1集に収録されている第1番~第3番を、実に歌って演奏しており、ハキハキという感じではないのですがしかししっかり人間味を感じるのです。

いやあ、さすが当代きってのヴァイオリニストと助奏ピアニストの共演だと思います。樫本大進やスークらともまた違うアプローチをムターはしており、ゆったりじっくり歌い上げる演奏スタイル。それが味わい深く、しかも嫌味もない。多幸感だけが残るのです。これぞプロ。

しかも、ベートーヴェンが目指した、楽器の平等性を、見事に実現させている点も素晴らしい!あたりまえのように思うかもしれませんが意外とこれはソリストの関係性もあるので時としてそれなに?って演奏もないわけではない中で、しっかりとベートーヴェンが目指した芸術というものを理解し、共有していることが演奏からわかることもまたまさにプロの仕事。そう、ベートーヴェン室内楽とは楽器が対等な立場であることだよね!とひさを打つ演奏です。

こう幾つか聴いてくると、プロがベートーヴェンを演奏するときに心がけていること、踏まえていることというのが、楽器間の対等と平等であることがわかります。そしておそらく、その延長線上にベートーヴェンの芸術はあるはずです。私たち日本人は真にベートーヴェンの芸術が意味するものを理解しているか?と突きつける演奏であるように、私には思えるのです・・・・・

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
ヴァイオリン・ソナタ第1番ニ長調作品12-1
ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調作品12-2
ヴァイオリン・ソナタ第3番変ホ長調作品12-3
アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)
ランバート・オーキス(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~府中市立図書館~:スークとパネンカによるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集4

東京の図書館から、4回シリーズで取り上げております、ヨゼフ・スークとヤン・パネンカによるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集、最終回の第4回は4枚目に収録されている第9番と第10番の演奏を取り上げます。

第9番は「クロイツェル」。ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの中でも最も評価が高い作品ですが、ちょっと待ってください。「クロイツェル」は3楽章制であるということを踏まえて受け止めていますか?

ja.wikipedia.org

上記ウィキの記述は不完全なものなので、全部を信用することはできませんが、しかし3楽章制ということは私は重要だと思っているのです。なぜなら、3楽章ということはベートーヴェンとしては決して重厚な作品として作曲しているわけではない、ということを意味するからです。

第1主題の激しく嵐のような旋律が印象的なのでつい勘違いしてしまいますが、ベートーヴェンはそんな嵐のような旋律であっても、第9番は3楽章で書いているんです。樫本大進がやったような嵐のような勢いでいく演奏も好きなのですが、このスークとパネンカのコンビはその「3楽章制」が意味するものを大事に演奏しているように聴こえます。

なぜなら、序奏はとても穏やかで、第1主題が始めると途端に激しくなりますが、それ以外の第2楽章や第3楽章ではむしろアーティキュレーションに重点を置いて「歌って」います。この対比と、織り成す綾は、聴いていて爽快さすらあります。

一方の第10番では、明るく平明な作品ながらも味わい深い演奏を繰り広げ、むしろ堂々たる演奏になっているのも魅力です。そのうえで、ベートーヴェンが目指した「独奏楽器とピアノとの対等性」が存分に表現されており、その延長戦上には「音楽の平等性」を目指していることが演奏や表現から明らかです。

ソナタなので、近代の視点では4楽章制が当たり前なのです。ですがベートーヴェンはむしろヴァイオリン・ソナタにおいては3楽章制も多く書いています。それはベートーヴェンの革新性と当時の演奏家の技量とを両立させるという、ベートーヴェンの目的が浮かび上がるものです。ピアノはベートーヴェンも弾けますが、ヴァイオリンはベートーヴェン自身も弾けたとはいえ、実際の演奏では他者に任せないといけません。そのため当時の演奏家の技量を考える必要があるわけです。

そのうえで、対等な関係を作品において実現する・・・・・ベートーヴェンとしては折れないといけない場面もあったはずです。「クロイツェル」はそんな妥協と理想とが混在しているわけなのです。スークのヴァイオリンにはそんな「人間ベートーヴェン」を踏まえた、優しいまなざしを感じます。第9番の少し肩肘張った様子、そして第10番の肩の力が抜けた様子。どちらもベートーヴェンの作品であり、表現であるわけです。ベートーヴェンを決して神格化せず、一人の人間としてとらえ、その一人の人間が生み出した芸術を、一人の人間として向き合う演奏になっているのが、私にとっては非常に好印象です。

それは、20世紀のチェコという社会を生き抜いてきた二人の、人生の反映なのかもしれませんが・・・・・

録音も素晴らしいもので、スプラフォンだと思いますがハイレゾ相当で聴く場合、うまく空気感が出ないことがスプラフォン録音はたまにあるのですがそんなことが一切ないんです。この全集全体で空気感が素晴らしいですし、特にこの第4集で言えば、第9番「クロイツェル」の第2楽章におけるヴァイオリンのピチカートは非常に臨場感があるものです。44.1kHz/16bitでもこれほどの情報が存在していたのか!と驚きを禁じ得ません。もしかするとそもそも録音の時に192kHz/24bitだった可能性もあるかもしれません。それをCD音質へといダウンサンプリングしただけだったとすれば、この現象は説明できるのですが。

いずれにしても、人間が紡ぎだす芸術として、高い評価を与えるべき演奏であると言えるでしょう。

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調作品47「クロイツェル」
ヴァイオリン・ソナタ第10番ト長調作品96
ヨゼフ・スーク(ヴァイオリン)
ヤン・パネンカ(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~府中市立図書館~:スークとパネンカによるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集3

東京の図書館から、4回シリーズで取り上げております、府中市立図書館のライブラリである、ヨゼフ・スークとヤン・パネンカによるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集、第3回の今回は3枚目に収録されている第7番と第8番を取り上げます。

第7番と第8番の2曲は作品30の中の2曲。第6番と合わせて3曲セットになっています。そして実は、第7番だけが4楽章制であるのに対し他の2曲は3楽章制。それを意識してなのか、第7番は多少どっしりとした演奏になっています。これは今までテンポとしては速めだったのが違っています。

だからと言って生命力が感じられないわけではないんですが、聴き手に集中力を要求するものになっていることは確かです。それでいて聴いていて拒否もせずむしろ受け入れている自分がいます。これぞプロだなあって思います。

こういう演奏を切って捨てる人もいるのですがそれは私は好きではありません。どんな演奏であったとしても説得力を持つのがプロの演奏だと私は思っているので、むしろテンポが速い演奏であったとしても説得力がない演奏はそれなりの評価しかしません。

決してスークとパネンカのコンビがテンポが遅いわけではないですし、アインザッツが弱いわけでもありません。アーティキュレーションは絶妙ですし、私としては文句のつけようがありません。第7番のテンポに対し多少の驚きはありましたが、しかし拒絶反応はありません。思わずうなってしまう演奏です。

そして思わずうなってしまう演奏をさらりとしてしまうことこそ、プロの証だと思います。それはアマチュアでもありますが、室内楽ではやはりプロとアマチュアの差は結構あります。勿論あまりない人もいるのですが・・・・・

かといって、では第7番と第8番で差別をしているのかと言えばそんなこともありません。確かに作品が持つ内面性で差がついてはいますが、差別はせず平等に扱い、それぞれで精神性が浮かび上がっているのも素晴らしい点です。

これは深い譜読み無くして実現はしないことです。そしてそこに楽しみを見出していることもまた好印象。だからこそ第8番の演奏からは愉悦が感じられますし、第7番に対しては堂々たる作品が持つ精神性への共感も見出せます。そしてそんな演奏を楽しんでいる私自身がいる・・・・・むしろ私という人間に楽しさを思い出させてくれることで、まさに素晴らしい演奏だと言えるのです。

病気で落ち込んでいる人間を励ますことができる演奏・・・・・実はそうたくさんあるわけではありません。実現できているこの演奏はまさに奇跡と言えるものなのです。

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
ヴァイオリン・ソナタ第7番ハ短調作品30-2
ヴァイオリン・ソナタ第8番ト長調作品30-3
ヨゼフ・スーク(ヴァイオリン)
ヤン・パネンカ(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

音楽雑記帳:カコ鉄唱歌

音楽雑記帳、今回は私が最近尊敬している一人のyoutuberの方のテーマ曲をご紹介します。

私は一昨年に難病と診断され、さらにその診断結果が春先に変化しさらに長期化するに至ってから、youtubeにかなり傾倒してきております。クラシック系もですがそれ以上なのが、鉄道系なのです。

クラシックの作曲家でも近代には鉄道好きが多く、その筆頭はドヴォルザークだと言えますが、私自身もドヴォルザーク同様に鉄道が出す「音」が大好きな人間です。それゆえにどうしてもyoutubeとなるとクラシックよりは風景もある鉄道そのものとなってしまいます。

所謂鉄道系youtuberで「神」とも呼ばれているのはスーツ氏ですが、私としてはスーツ氏以上に尊敬している人がいます。それが女子鉄youtuber「カコ鉄」さんです。

www.youtube.com

サブチャンネルとして以下もあります。

www.youtube.com

彼女も私同様、過去に合唱をやっていたということもありとてもシンパシーを感じているのですが、その感受性の高さ、それゆえに起こるドタバタは見ていてとても楽しいですし、そして人間的だと思います。そんな彼女の人間性に惹かれたメンバーシップの方たちが作ったのが、「カコ鉄唱歌」です。

電子音楽

www.youtube.com

オケ版PC再生

www.youtube.com

オケ版フルオケ

www.youtube.com

10番で「女子鉄ブームの立役者」とありますが私はまさにそのように思っております。広く鉄道に乗って動画をアップするという女性youtuberは私がスーツ氏などを見始めた5年ほど前にはあまり居なくてただお酒が好きで旅が好きな女性たちがたまたまサンライズを選択して動画にしている、という感じだったのをお酒を含めてとにかく鉄道で旅に出る、というコンテンツを始めたのはカコ鉄さんだと思います。そして自らの失敗までコンテンツにしてしまう・・・・・これはすごい人だ!と思いました。なかなか私にはできません。

作曲をされた小池達也氏ご自身でフルオケバージョンに編曲されていますが、まさにこれから私は旅に出るんだ!というワクワク感と非日常が同居し、心配しながらもドキドキしてその行程を動画で見ている自分の魂が湧き上がってくるんです。これはオーケストラによる演奏のほうがいいかもなあと思っています。最近はこのテーマ曲で始まることが多くなっています。

カコ鉄さんは私にとって、まるでベートーヴェンの第九の歌詞のようです。難病で社会から切り離され、ともすればボッチになってしまうようなその瞬間、カコ鉄さんから「あなたと一緒に!」といわれるとそんな寂しさは吹っ飛びます。

Deine Zauber binden wieder,
Was die Mode streng geteilt;
Alle Menschen werden Brüder,
Wo dein sanfter Flügel weilt.

汝が魔力は再び結び合わせる
時流が強く切り離したものを
すべての人々は兄弟となる
汝の柔らかな翼が留まる所で

ja.wikipedia.org

昨年末は、カコ鉄さんがお母さま孝行としてJR西日本のクルーズトレイン「瑞風」に乗られている動画をアップされ、そのほとんどを私はプレミア配信で視聴いたしましたが、まさに彼女はシラーの「歓喜に寄す」(1803年改稿版)のような存在なのです。夏に東北と北海道をめぐり、その旅の動画でも楽しませてくれましたが帰宅後体調を崩され、約2か月臥せっておられました。しかしそこから少しづつ立ち上がり、また私たちを楽しませていただき、そして素敵な親孝行もされました。そしてその様子もまた楽しそうなんですね。いろんなことがあってもやっぱり親子だなあって思いました。とっても愛されて育ったのだろうと思います。

一方のベートーヴェンは愛にあこがれた人でした。むしろ父からは厳しく育てられたせいか、愛に一直線すぎてなかなか成就しない人でもありました。自分の失敗をさらけ出すことも下手だと言えるでしょう。しかし二人に共通するのはなんといってもその程度の差こそあれ「苦悩を突き抜けて歓喜へ」なのです。一人の女性として自立した人生を送ろうとしているカコ鉄さん。そして自立した芸術家であろうと人生を駆け抜けたベートーヴェン。重なる点はいくつもあります。

なので瑞風の動画を見ていて、私はいつしか第九の歌詞がオーヴァーラップし、泣きそうになったこともたくさんあります。そしてついにMAXフィルさんの第九で泣いてしまったのです、カコ鉄さんの動画があったればこそ・・・・・

これからも、私もカコ鉄さんと一緒に旅をすることができたらなと思っています。連れて行ってくれると嬉しいですね。まさにその様子は「時流が強く切り離したものを汝が魔力は再び結び合わせ」動画内で「すべての人々は兄弟となる」のだと思っています。そしてその動画こそ「汝の柔らかな翼が留まる所」だと言えるでしょう。

 


地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。