かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:フランスのオーボエ名曲集

東京の図書館から、今回は小金井市立図書館のライブラリである、フランスのオーボエ名曲集を取り上げます。

と言っても、実はオーボエの独奏曲ではなく、ソナタ集です。つまり、オーボエソナタ集、ということになります。ですが、曲名に「ソナタ」と入っているのは3曲。もう2曲がソナタとは名称がついていない作品で、合計5曲が収録されています。作曲者は、サン=サーンスプーランク、ボザ、ディティユー、そしてベネットです。

え?ひとりフランスとは異なる人が混じっていませんか?とプロの方から突っ込みを入れられそうです。はい、おっしゃる通り、最後のベネットはイギリス生まれでアメリカで活躍した作曲家です。それ以外はすべてフランス生まれの作曲家が並んでいます。ただ、普通の私たち聴衆にとってはなじみがないのがボザではないでしょうか。しかし、この人が入っていることが、このアルバムを特徴づけているように、私は解釈しています。

まず1曲目のサン=サーンスオーボエソナタ。「サン=サーンス白鳥の歌」とも言われる、死の年に作曲されたものです。そもそもは、管楽器のソナタのシリーズを考えていたのですが、サン=サーンスの死によって途絶えてしまったのです。

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2曲目は、プーランクオーボエソナタ。親しくしていたプロコフィエフの追憶として作曲されましたが、自身も翌年に死去しており、作曲した時にも「最後の楽章は典礼の歌に近いものである」と語っています。

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確かに、和声的にはサン=サーンスとは異なる、プーランクが生きた時代を反映するものですが、それ以上に、サン=サーンスよりも暗さが目立つ作品でもあります。特に、第2楽章以降は、物悲しさも存在します。

ここまでは、ある意味「死」というものが見え隠れするのですが、次の3曲目で少し雰囲気が変わります。3曲目はボザの「ファンタジー・パストラール」。ボザはパリ音楽院を卒業(師事したのがイベールなどそうそうたる作曲家)しており、作曲家としてだけでなく音楽教育にも資力した人として、フランスでは知られているそうです。実際、この「ファンタジー・パストラール」はパリ音楽院の卒業試験のために書かれたとされており、レベルの高い音楽家を排出するための作品を、特に管楽器の分野で数多く作曲したそうです。

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実際、ボザは検索してみると、ウィキの本人説明はヒットするのですが、肝心の作品に関しては、オーボエ奏者の方の、演奏に適した作品を列挙したページ以外にはヒットしません。一方で楽譜はたくさんヒットするのですよね。ということは、オーボエ奏者の学生さんとかが学習などで必要で結構売られている、と考えてよさそうです。そのうえ、ボザはプーランクの影響も受けているそうで、なるほど、その関係で入っているのだなとようやくわかるのです。学生さんだと、おお!ボザだ!となるアルバムだってことです。こういうことを見つけることが、史学科卒業の私にとって喜びなんですよねえ(考古学ってそういうものでもあるので)。そして、作品もとても楽しい、まさに田園の幻想曲という印象。

4曲目は、ディティユーのオーボエソナタ。ディティユーもなかなかなじみがない作曲家ですが、最近演奏機会が増えているような気がします。主に20世紀の作曲家でありながら、和声はちょっと古めかしいというか、印象派的な感じもしますし、どちらかと言えばプーランクに近いような印象です。実際、このソナタも、和声的には無調というよりは調性の中にいます。

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そして、最後がイギリスの作曲家である、ベネットです。ジャスの要素もある作曲家だと言われますが、ここに収録されているのは「アフター・シランクス」。実は、ドビュッシーの「シランクス」を元に作曲されており、モダニズム的な、無調に近いような印象を受ける作品です。ドビュッシーが、20世紀音楽という新たな和声を温故知新で生み出したということを踏まえた部分もあるのではないかという印象です。映画音楽にも資力した人です。

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そのドビュッシーへの敬愛を踏まえて、収録されたとすれば、かなり俯瞰的なアルバムだ、ということになろうかと思います。編集方針として、完全にフランスの作曲家のソナタだけにしてもいいようなところ、あえてイギリスの作曲家まで加えたうえでフランスの作品をというなんざあ、いかにも「フランスの作曲家だって、いろんな方面に影響を与えていますよ」という、ある意味プロパガンダなのですが、嫌みじゃないのがいいですね!確かに、フランス音楽って、ドイツ音楽に比べますと、下手すれば下に見られる傾向がありますが、実際18世紀まではフランスは音楽先進地域の一つで、むしろドイツのほうが田舎だったわけなので・・・・・これ、鉄道でも同じな部分があります。鉄道に関しては、詳しくは仙台撮り鉄さんの動画をご覧ください。

このアルバムは、そのフランス音楽のすばらしさを、演奏で明らかにしているもの、と考えていいと思います。実はこのアルバム、演奏しているのはドイツ人なんです。オーボエシェレンベルガー、ピアノはケーネン。ベルリンのイエス・キリスト教会がロケーション。とても上質で、美しい響きの中で、ドイツらしい実直な演奏である故に、フランス音楽のすばらしさが自然とにじみ出ています。それは演奏者のフランス音楽への、敬愛の印だと言っていいでしょう。ドイツ音楽が至上である!なんて言っている国家主義的なファンに対する、柔らかな抵抗であると感じるのは、私だけなのでしょうか・・・・・ドイツ鉄道が、フランスのTGVや日本の東海道新幹線に影響を受けて、自らの技術を信じてICEを走らせた、その歴史を振り返るとき、ドイツという国はすごい国だなって思います。その心意気が、音楽にまでに浸透しているさまを見るのは、なんと幸せなことなのだろうと思います。

 


聴いている音源
カミーユ・サン=サーンス作曲
オーボエソナタ作品166
フランシス・プーランク作曲
オーボエソナタ
ウジェーヌ・ポザ作曲
ファンタジー・パストラール 作品37
アンリ・デュティユー作曲
オーボエソナタ
リチャード・ロドニー・ベネット作曲
アフター・シランクス(ドビュッシー無伴奏フルートのための「シランクス」に基づく)
ハンスイェルク・シェレンベルガーオーボエ
ロルフ・ケーネン(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:ミケランジェリが弾くシューマンのピアノ作品集

東京の図書館から、今回は小金井市立図書館のライブラリである、シューマンのピアノ作品集を取り上げます。

シューマンピアノ曲は私自身全集も持っていますし、結構聴きなれた部分もありますが、それでもこのアルバムを借りてきたのは、ピアニストがミケランジェリだったから、です、

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ミケランジェリは、私自身あまりじっくりと聴いたことがないんです。ずっとオーケストラ曲が好きだったことから、ピアノ曲って遠ざけていたのが理由です。いろんなピアノ曲を聴いてきて、幾人かの巨匠の演奏を聴いてきましたが、しかしミケランジェリはじっくりと聴いたことが少ないなあと思い、シューマンだし聴いてみようと借りたのがこのアルバムです。

収録曲は、「謝肉祭」と、「子供のためのアルバム」から3曲。「謝肉祭」を「子供のためのアルバム」がはさんでいる編集です。興味深い編集だなあと思います。「謝肉祭」は当時の新しい様式をまるで楽しむかのような作品です。カーニバルを音楽で表現したのではなく、音楽そのものがカーニバルになっているのです。ウィキとともに、以前の私のエントリも挙げておきます。

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一方、「子供のためのアルバム」は、シューマンの娘マリーの7歳の誕生日プレゼントとして作曲された作品。なので比較的平易な作品が並びます。

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ロマン派のピアノ作品ときいて、何を想像しますか?リストの超絶技巧?ショパンの情熱的なもの?どっちもあるわけですが、しかしシューマンの作品は楽しい作品もあり、ミケランジェリのロマン派のピアノ作品への想いがどこか聞こえてきます。その楽し気な作品を、教会(スイス、トゥールン、ヨハネ教会)で演奏して収録しています。ミケランジェリは自分を「アッシジの聖フランチェスコの末裔」と称していたようです。ピアニストという自らの仕事を、まるで音楽の使徒であるかのように考えていたように感じるのは、私だけなのでしょうか?

なのに、聴いていると軽やかで、楽し気な演奏なんです。勿論、アインザッツが強烈な部分においては強烈ですが、感傷的なのにどこか肩の力が抜けた演奏なんです。故にしなやかで上品で、饒舌で楽しい。ミケランジェリがピアノが好きな人が嵌るのも無理ないと思います。魅力ある演奏は、私の魂を惹きつけて止みません。

こんなに楽しい作品にも、シューマンが込めた「想い」があって、人間の息吹がある。だからこそ愛おしんだと、ミケランジェリがささやいているように、私には聴こえるのです。巨匠だからと言って聴く者に合うかは分からないわけですが、ミケランジェリが評価されるにははっきりと理由がある、と感じる演奏です。

 


聴いている音源
ロベルト・シューマン作曲
「子供のためのアルバム」作品68より
 第38曲:冬の季節Ⅰ
 第37曲:水夫の歌
謝肉祭 作品9
「子供のためのアルバム」作品68より
 第39曲:冬の季節Ⅱ
アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(ピアノ)

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今月のお買いもの:飯森範親と日本センチュリー交響楽団によるハイドン・マラソン19

今月のお買いもの、令和5(2023)年10月に購入したものをご紹介します。飯森範親指揮日本センチュリー交響楽団によるハイドンの全曲演奏会シリーズの第19集です。e-onkyoネットストアでの購入、ハイレゾflac192kHz/24bitです。

この第19集に収録されているのは、第46番、第34番、第8番「晩」の3曲です。第8番だけはいずみホール、それ以外はザ・シンフォニーホールでの録音です。年月を調べてみますと、第8番が2020年1月、第34番が2020年10月、第46番が2021年7月と、それぞれ別なコンサートのものを集めてきています。この全集は全て一つのコンサートというわけではないので特段驚かないのですが、注目はその時期です。収録順は第46番、第34番、第8番と、実は遡っています。添付のブックレットには何も触れられていませんが、ちょうどコロナ禍へと移行する時期の録音である、ということなんです。第8番はコロナが確認されたけれどまだ緊急事態宣言が発令されていない時期。第34番と第46番は、コロナの感染拡大が広がって、緊急事態宣言も発令されているような時期における録音なんです。特に第34番は東京オリンピックの直後と言ってもいい時期です。ちょうどこの頃、私もコロナによる入院から還ってきたのに、体に変調を感じていた時期でした・・・・・

収録されている曲順を、ブックレットの解説からその作品がいつのものなのかを考えながら聴く時、気が付くことがあります。第46番はハイドン40歳の時の作品で、「疾風怒濤」期の最後の頃の作品。第34番はハイドン31~33歳ころの作品で、エステルハージ楽団の副楽長として充実した日々を送っていたあたりの作品。そして第8番は、ハイドン29歳ころ、エステルハージ楽団に就職して間もなくあたりの作品で、「朝」と「昼」と3つでセットと考えられている作品です。若い頃を振り返りつつ、実は時代の移り変わりを振り返っているように感じるのは、私だけなんでしょうか・・・・

コロナが発見され、徐々に感染が拡大し、緊急事態宣言が発令されることとなった、その道程を、まるで遡るかのように、ハイドンの作品も遡らせた編集を、私は感じたのです。ちょうどこの頃、コンサート会場もいずみホールからザ・シンフォニーホールへと変わっています。それは単に人気が出ただけでなく、感染拡大を考慮してという側面もあったのでは?と思います。その中で、上質な音楽を聴衆に届けようとする演奏・・・・・どの曲を聴いても、演奏が生き生きしているんです。渦中においても、研鑽を怠らず、その演奏レベルを維持し、さらには成長し続けようとした、日本センチュリー響のメンバーと、指揮者飯森範親とのコンビの姿が目に浮かびます。ハイドンのみずみずしい時期の作品だからこそ、生き生きとした演奏をして、苦しんでいる人々の希望の光になりたいと思っているような、そんな演奏なんです。勿論、それを感じるのはflac192kHz/24bitだからということもあるかもしれませんが・・・・・

録音というのは、どんなに技術が進もうとも、ライヴに勝てるものではありません。それは24bitのハイレゾであっても、です。いわんや、16bitのCDをや、です。ですが、ハイレゾ24bitだからこそ、ライヴにより近い感覚を得ることが出来て、演奏者たちの想いがさらにダイレクトに伝わってくると思います。これがライヴでは、どれだけ気持ちが聴衆に伝わるような演奏だったことかと思います。

この第19集からは、コロナ禍中、あるいは経た後の録音、ということになろうかと思います。非常に楽しい演奏の中に、高い精神性を感じられる演奏です。海外オーケストラでなくても、これだけたのしく精神性を感じられる演奏があるのかと思うと、私自身は海外オケの演奏を否定しませんが、あえて高い金を出してまで海外オケを聴きに行くつもりはありません。国内オケで十分である、と感じます。いつかは関西のオーケストラを、プロアマ問わず、聴きに行きたいものだと思います。今のところ、テレマン室内しかライヴで聴いた経験はないので、さらなる経験をしたいという意思はあります。果たして、それはかなうのか?できれば、まずはこの日本センチュリー響さんのコンサートに足を運べればなあ、と思っています。

 


聴いているハイレゾ
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン作曲
交響曲第46番ロ長調Hob.I:46
交響曲第34番ニ短調Hob.I:34
交響曲第8番ト長調Hob.I:8
飯森範親指揮
日本センチュリー交響楽団
(EXTON ovcl00806 flac192kHz/24bit)

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コンサート雑感:府中市民交響楽団第88回定期演奏会を聴いて

コンサート雑感、今回は令和5(2023)年11月19日に聴きに行きました、府中市交響楽団第88回定期演奏会のレビューです。

府中市交響楽団さんの定期演奏会へ足を運ぶのも、随分と久しぶりになってしまいました。幾度か機会はあったのですが、新型コロナウイルス感染拡大と、その後の私の体調の都合上、なかなか都合がつかず、5年も経ってしまいました。

ykanchan.hatenablog.com

ただ、翌年の府中市民第九は聴きに行っています。

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これを機に、府中市交響楽団さんのコンサートは足しげく通いたいなあと思っていた矢先、社会状況や私自身が難病になり、ようやく今年になって行くことが出来た、というわけになりました。5年前の「我が祖国」の強烈な印象は今でも脳裏に焼き付いています。府中市立図書館にチラシがおいてあり、そこで今回の定期演奏会を知ったのでした。

さて、今回はチャイコフスキーの作品が中心。メインが「マンフレッド交響曲」、1プロが同じチャイコフスキーの「イタリア奇想曲」。そして2プロがグノーの歌劇「ファウスト」からバレエ音楽、でした。

1プロの「イタリア奇想曲」は、多少硬い印象がありました。5年前の「わが祖国」の第1曲「ヴィシェラフト」に比べるとどこか不安定。ホルンなど金管の伸びは素晴らしいのですが、どこか弦がおっかなびっくり。あれ?と思いました。リズムが取れてないなあ、と。しかし段々よくなってきました。リズムが特徴的なので、ちょっと乗り切れなかったのかな?という感じです。

2曲目の「ファウストからしり上がりによくなります。ウォーミングアップが済んでいなかったようです・・・まあ、この3年ほど、十分に活動できていなかったはずなので、致し方ない部分もあったのかなと感じましたが、とはいえ、前日のマヨラ・カナームス東京さんは実に素晴らしい演奏を冒頭から繰り広げていたのと比べますと、これがアマチュアだよねという印象もあります。マヨラ・カナームス東京さんがすごすぎるのです。

休憩をはさんで、メインの「マンフレッド交響曲」。チャイコフスキー交響曲全集などにはなかなか収録されない作品です。交響曲と言ってもどこか交響詩のような印象もある作品ですので、当然とも言えますが、しかし府中市交響楽団さんはそれを堂々とメインに持ってきました。そのせいなのか、ロケーションの府中の森芸術劇場どりーむホールはほぼ満員。かつて足しげく通っていた宮前フィルハーモニー交響楽団の演奏会を思い出します。伝説の宮前市民館があふれかえったコンサート・・・それをほうふつとさせるのが、府中市交響楽団さんです。宮前市民館と同じキャパシティなら完全に消防法でアウトです・・・府中の森芸術劇場どりーむホールだからこそ、開催できたコンサートだと思います。行く途中のバス停で同じコンサートへ行くご夫婦と一緒になりました。いやあ、さすがに宮前フィルハーモニー交響楽団ではなかったです。

どの作品でも、そして特に「マンフレッド交響曲」でなんですが、第78回の「わが祖国」同様、自らの「歌」を歌うんです、府中市交響楽団さんは。市民オケとしてはレベル高いほうです。安心して聴いていられます。ついうっとり、という場面も何度もありました。前日のマヨラ・カナームス東京さんのようにホールを満たす音が広がるわけでないのですが、それはホールの大きさもありますので単純に比較はできません。ですが府中市交響楽団さんも存分にホールを満たすかのように音を鳴らします。これが最高に気持ちいい!

こういった演奏は最近どのアマチュアオーケストラでも経験できるようになってきましたが、市民オーケストラだとちょっと不満があるケースも散見されることがあります。ですが府中市交響楽団さんもアマチュアらしいやせた音が合ったりするのに、気持ちよく聴けるんですよね。本当に高いお金出して海外オケとかプロオケとか無理に行く必要ないです。勿論、日本のプロオケの躍進は目覚ましく、素晴らしい演奏会もたくさんありますのでプロオケもぜひとも聴きに行きたいと思いますが、お金がなくてもアマチュアオーケストラで十分クラシック音楽を楽しめる時代がやって来たのだということは、声を大にして言いたいと思います。

その一角に、府中市交響楽団さんもしっかりと入っていると感じます。何より、「市民にクラシック音楽という芸術を届ける」という強い意志を感じます。次回もぜひとも聴きに行きたいと思っています。

 


聴いて来たコンサート
府中市交響楽団第88回定期演奏会(第59回府中市民芸術文化祭参加公演)
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー作曲
イタリア奇想曲
シャルル・フランソワ・グノー作曲
歌劇「ファウスト」よりバレエ音楽
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー作曲
「マンフレッド交響曲
田部井剛指揮
府中市交響楽団

令和5(2023)年11月19日、東京、府中、府中の森芸術劇場どりーむホール

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

12月は掲載日程を変更します

年末になり、皆さま、いかがお過ごしでしょうか。師走という文字通り、お忙しいところかもしれません。

さて、実は私自身も、今年の師走は結構忙しく、いろいろ予定が発生しています。すること自体は私にとって必要なことなのでいいのですが、特にコンサート評が、相当入ってくることが明らかになりました(というよりも、入れたのですが)。

そこで、2023年12月に関しましては、「コンサート雑感」を場合によっては金曜日、あるいは日曜日に掲載ということもしようかと考えています。そのあたりは柔軟に掲載していく予定です。今のところは、週末という感じで考えてはいます。金曜日固定にするのか、それとも日曜日固定にするのかはまだ決まっていませんが、週末は注目していただけると嬉しいです。

いずれ、掲載曜日の変更も考えています。週3日で行ってきましたが、私自身の状況が変わりましたので、それに合わせて変えていきたいと思います。変化がまた起これば、そこでまた考えたいと思います。それにつきましては、おそらく大晦日、もしくは来年元旦のエントリで述べられることができればと考えています。

それでは、皆さま体調に気をつけて、お過ごしくださいますよう。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:クレンペラーとフィルハーモニア管弦楽団によるモーツァルト交響曲集3

東京の図書館から、3回シリーズで取り上げております、小金井市立図書館のライブラリである、クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団によるモーツァルトの後期交響曲集、今回はその第3回目です。

第3回目は第3集。収録されておりますのは、第29番、第31番「パリ」、第36番「リンツ」の3曲です。第31番が3楽章制、残る二つは4楽章制です。これは第2集と同じ配列なんです。やはり、4楽章制から遡り俯瞰するというアルバムになっているように感じます。

そして、アレグロも「歩く速度で」という感じ・・・・・と言いたいところなんですが、ここでクレンペラーは面白いことをやっています。第36番「リンツ」第1楽章。アダージョの序奏の後のアレグロ・スピリトォーソ。いやあ速い・・・・・思わず私、「え?何この速いのは!」って声出してしまいました。アレグロが猛烈に速い!以下に、洗足学園音楽大学のサイトを揚げておきますが、洗足さんでもアレグロは「速く」と「快活に」という二つの意味を挙げておられます。それに「スピリトォーソ」が加わると、なんと速いことか・・・・・いきなり0系新幹線登場か?と思ってしまうくらいです。ちなみに、スピリトォーソは「生気をもって、元気に、機知に富んで」と記載があります。

www.senzoku-online.jp

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つまり、「リンツ」第1楽章は「速く、生気をもって、元気に、機知に富んで」という指示である、ということです。それにしても、元気すぎだろ・・・・・思わず感じてしまいます。ここにクレンペラーはどんな意味を込めたのか、どのような解釈をしたのか、とても興味深いですね。今までのアレグロの解釈をまるで転回させたようなテンポなんです。総合して考えると、やはりクレンペラーは19世紀の伝統に縛られた人だったんだなあと思います。

とはいえ、ではその演奏が気に入らないのかと言えば、その逆で、むしろ感心しきりです。アレグロを使い分けるという視点。確かに、アレグロってあいまいな指示であることは確かですから。ということは、そこに演奏者、指揮者の解釈の余地がある、ということです。私自身はアレグロの解釈はサヴァリッシュが正しいと思ってはいますが、一方でアレグロという指示があいまいであるのだから、クレンペラーの解釈もアリだと思っています。なので演奏が説得力を持つなら評価しますし、説得力を持たないなら、切って捨てます。基本私はサヴァリッシュの解釈に属する人間なので。でも、クレンペラーの解釈を拒否はしない、ということです。

これも、大学時代に授業で言われたことですが、「史料の行間を読め」と指導されたことがあります。歴史史料は当時の作者がいろんなしがらみの中で自分の表現をしたものが殆どなので、額面通りに受け取っていいのか?というのが史料批判の基礎となるからです。まさにクレンペラーはスコアリーディングの際に、あいまいであるからこそ、その「行間」を読んだ、ということになります。

では、サヴァリッシュの解釈は間違っているのかと言えば、そうではありません。特に第40番に関しては、モーツァルト機能不全家族出身であるということに基づいて、サヴァリッシュもまた「行間を読んだ」結果、速度指示に沿った演奏になっただけ、なのですから。楽譜は作曲者の表現の一環ですが、一方で演奏者は作曲者自身ではありません。自分の人生経験も含めて、知識を総動員して解釈し、その結果を演奏として表現するわけです。いずれにせよ、二人の「行間を読んだ結果」は対照的で、しかしそこがまた面白く、興味深いことなのです。だから、クラシック音楽を聴くのは私にとって楽しいのです。指揮者のスコアリーディングというのが、私にとっての史料批判と同じだから、です。その喜びを感じたということは、このアルバムを借りてよかったなあという喜びにつながっています。こういう仕事は、さすが司書さんが優れているなあと感じます。

 


聴いている音源
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト作曲
交響曲第29番イ長調K.201
交響曲第31番ニ長調K.297「パリ」
交響曲第36番ハ長調K.425「リンツ
オットー・クレンペラー指揮
フィルハーモニア管弦楽団

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東京の図書館から~小金井市立図書館~:クレンペラーとフィルハーモニア管弦楽団によるモーツァルト交響曲集2

東京の図書館から、3回シリーズで小金井市立図書館のライブラリである、クレンペラーフィルハーモニア管弦楽団によるモーツァルトの後期交響曲集を取り上げていますが、今回はその第2回目です。

実は、今回取り上げるものが第1集です。第1集に収録されているのは第35番「ハフナー」、第40番と第41番「ジュピター」です。え?いきなり最後の交響曲からなんですか?という、ア・ナ・タ。そうなんです、のっけから最後の交響曲を収録しているってわけなんです。確かに、第35番も入ってはおりますが。

ここから推測されるのは、このアルバム集はモーツァルトの二つの交響曲、第40番と第41番を、遡ることで俯瞰しようというものではないか、というものです。そうでないとこの順番は腑に落ちません。特に、ここに収録されているのは全て4楽章制です。モーツァルトだと交響曲が4楽章ということもないわけなんですが、ここに収録されている第35番、第40番、第41番の3つは全て4楽章制です。モーツァルト交響曲というのは4楽章で構成されるのだと、新しい時代を宣言したかのようです。おそらく、その視点に立った編集であることは間違いないのではと思います。

第40番はクレンペラーもテンポはゆったりとしており、巨匠の時代というか、19世紀の香りがするなあと思いますが、それでもどこか緊張感も備わっているのはさすがクレンペラーという印象も受けます。第1楽章のモルトアレグロという指示をどのように受け取るのかによって、テンポは分かれるのかなという気がします。以前、サヴァリッシュ指揮チェコ・フィルの時にも触れましたが、この指示をどのように解釈するかによってテンポはガラリと変わります。文字通りに受け取ればサヴァリッシュの解釈一択です。音大出の方ならお分かりかとは思いますが。

imion.jp

一方でアレグロは「速く」ですから、モルトアレグロであれば「非常に速く」という指示である、となります。一方でアレグロは「歩く速度で」という解釈もありますので、そうなると「非常に歩く速度で」となりますから、クレンペラーの解釈も成り立つ、ということになります。つまり、「アレグロ」をどのように解釈するかによって見事に分かれてしまうということになります。ただ、ベートーヴェンの時代だとアレグロは「速く」という意味が強いので、私としては依然このクレンペラーよりはサヴァリッシュの解釈が正しいと思っています。この辺りは、音大出の方とは異なり、文学部史学科卒の癖が出ます。

というのは、特に日本史においては、その言葉の成り立ちから調べる、という癖がついているから、なんです。特に私の場合、日本史を調べる時に同時に「日本国語大辞典」でも調べるようにと教授から習ったものですから、ではその指示の言葉の意味とは?と考える癖がついている、というわけです。

例えば、古代律令制を考えるとき、その制度は中国から入ってきたものです。そこにいろんな漢字を当てはめているわけなんですが、その漢字の意味を踏まえて当てはめられているはずなのです。ですから、国語辞典を紐解いて、その言葉の意味は何であり、何を反映しているのかを考えることが重要なのです。例えば、なぜ税金は租庸調なのか、です。同じことが、楽譜を読むときにその指示する言葉が何を意味するのか?どのようなことを反映させようとしているのかということに言えるわけです。それは間違いなく、作曲者が楽譜に込めた意志なのですから。日本史においても、歴史書というものは人間が編纂したものですから、何かしらの意志が反映されています。例えば、日本書紀古事記では編纂者が異なるため、当然その反映された意志は異なってくるわけですから。

となると、モーツァルトは「アレグロ」をどのような「意味」と考えていたのか?という解釈が、演奏に反映される、ということになります。一方で第41番第1楽章の指示は「アレグロ・ヴィヴァーチェ」。「速く活発に」という意味になります。ですがアレグロを「歩く速度で」と解釈すれば「歩きながら活発に」という意味になるわけです。クレンペラーは第41番では多少ゆったり目にしつつも快活な演奏にしていますから、クレンペラーアレグロを「歩く速度で」と解釈していると考えて間違いありません。

ただ、モーツァルトが生きた時代は交通手段が歩くだけだったわけではなく、馬車も存在していた時代です。アレグロが「歩く速度で」という意味と「速く」という意味の二つがあると言うのは、歩くことと船が交通手段としてない時代の産物ではないかという気がします。風を受ければ船は歩くよりも速いですが、向かい風や川上へと昇るときは歩く速度と大して変わりなくなりますので、下手すれば歩くほうが速かったりします(例えば、かつて江戸時代の水運においては、利根川や淀川では川上へ船を人力で引っ張っていました)。であれば、アレグロ=歩く速度=速い、という構図が成り立ちます。しかし、モーツァルトが生きた時代は陸上交通手段として馬車が出現し、もう50年経てば蒸気機関が発明され、蒸気機関車も走るという時代を迎える前夜になっていました。そうなると、果たしてクレンペラーの解釈は果たして正しいのか?と考えることもまた重要なのです。たとえクレンペラーがどんなに素晴らしい巨匠だとしても。

クレンペラーフィルハーモニア管弦楽団のコンビですからアンサンブルも素晴らしいですし演奏は申し分ありません。ですが、そのテンポはそのまま受け取っていいものなのか?ということは、歴史家である私は常に問題意識として持っているのです。今回のアルバムも、その私の歴史家の側面を感じるものでした。

 


聴いている音源
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト作曲
交響曲第35番ニ長調K.385「ハフナー」
交響曲第40番ト短調K.550
交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」
オットー・クレンペラー指揮
フィルハーモニア管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。