かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:デイヴィス指揮ドレスデン・シュターツカペレによるシューベルト交響曲全集2

東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリである、サー・コリン・デイヴィス指揮ドレスデン・シュターツカペレによるシューベルト交響曲全集、今回はその第2集を取り上げます。

第2集には、第2番と第4番が収録されています。ともに古典的な雰囲気を持っている作品ですが、デイヴィスはのびのびと、そして生き生きとオケに歌わせています。

この、生き生きとというのが、この録音の優れている点だと思います。デイヴィスと言えば、どうしても端正という点が想起されますが、確かに端正ですがそれだけにとどまらず、生命の「歌」となっている点も見逃せません。

録音は1995年なので、もう東側とか関係ない時代ですが、オケがデイヴィスのタクトを喜んでいるかのよう。今まで東側だったのでなかなか実現できなかったのが待ち遠しかったかのようです。特に第4番でその「待ち遠しさ」を感じます。

シューベルト交響曲は一部ファンには「歌的」とさげすまれるのですが、その歌的なのがシューベルト交響曲の魅力だと思っています。そもそも、そのシューベルトらしい「歌的」であることを全面に出していくという音楽運動がロマン派という時代です。作曲家の個性が前面に出されていなければ、はたして普遍性をもちえたのか、疑問です。

シューベルト交響曲は歌でしょ?文句ある?というのがこの演奏です。いえいえ、全く私には文句などあろうはずがありません!シューベルト交響曲をしっかりと「歌わない」演奏なんて、そんなものは楽譜をなぞっているだけで、魅力も何もありません。歌ってなんぼ、です。リズムにのり、生命を歌い上げる・・・・・これぞシューベルト交響曲の演奏ではないでしょうか。

 


聴いている音源
フランツ・シューベルト作曲
交響曲第2番変ロ長調D125
交響曲第4番ハ短調D.417
サー・コリン・デイヴィス指揮
ドレスデン・シュータツカペレ

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

今月のお買いもの:合唱付きの第九ピアノ版

今月のお買いもの、令和3(2021)年1月に購入したものをご紹介しています。今回は合唱が付いた第九のピアノ版を取り上げます。

第九のピアノ版には3つあり、特に有名なのがリストの編曲です。それを通常はピアノ版と呼びますが、ピアノ独奏で収録されることが多く、合唱付きで収録されることはまずありません。「ピアノ曲」のカテゴリになってしまうからです。

しかし、以前ナクソスの全集を取り上げた時にも触れていますが、リストはワーグナー同様、トランスクリプションするときに合唱パートは全くいじっていません。これはどういうことかと言えば、リストもワーグナーも(これはもう一つのフランス語のものでもですが)、オケの代わりにピアノで演奏することを念頭に置いているから、です。

リストやワーグナーが生きた時代は、今のように大編成のフルオーケストラが津々浦々にあるわけではありません。ようやくそのようなオーケストラが出現したはいいけれど、多くの人が聴きに行けるような環境ではなかったのです。そこで、古典派のモーツァルトが自分のピアノ協奏曲をピアノ四重奏版へと編曲したのと同じように、多くの人に聴いてほしい、触れてほしいが故に残したのがピアノへのトランスクリプションだったのです。

ピアノは、リストやワーグナーが生きた時代、ようやく市民へ普及し始めた楽器でした。なら、そのピアノで第九のオケパートを代用してしまえば、あとは合唱団は何とかなるはず、という判断で残したのが、いわゆる「リスト編曲の第九」なのです。

ゆえに、本来はピアノ独奏で終わらせず、第4楽章では合唱もつけて演奏するのが本来なのです。しかし長らく、リストの意図とは異なり、リストがピアノのヴィルトォーソであったということだけで、このピアノ版はピアノ独奏のみで収録され続けてきました。ですがようやく、合唱団も入っての録音が出たことは大変喜ばしいと思います。

なぜ喜ばしいのか。それは、リストが意図したことであるから、です。そしてその意図は、現在新型コロナウイルスの感染拡大という状況を受けて、大変大事なこととなりつつあります。なぜなら、ピアノ1台でオーケストラを代用できれば、全国津々浦々で第九の演奏が可能になるからです。究極のソーシャルディスタンス、と言えるでしょう。

私はそもそもアマチュア合唱団員だったので、日本の合唱曲なども歌った経験があります。このリスト版はまさに、その日本の合唱曲を歌うのとおなじ編成となります。それなら、ピアノは現在日本の津々浦々にあり、下手すれば学校の体育館にすらあります。ホールで難しければ、学校の体育館で扉をあけ放ち、ピアノ一台で合唱団が演奏するということも、可能になるからです。この録音を購入した理由の最大が、その「ソーシャルディスタンスが保てるはずの編成」という点です。

実際、この録音では合唱はRIAS室内合唱団が勤めています。この合唱団、このブログではプーランクの合唱作品を収録したアルバムをご紹介した時にも登場させています。つまり、この録音は、フルオケでないのであれば、第九は室内合唱団くらいの人数でも歌えてしまうことを、証明してしまっているのです。レーベルはソニークラシカル。ソニーにも合唱団が二つありますが、二つとも活動を休止していると聞いています。彼らにも希望の灯がともるようなアルバムだと思います。

この演奏、実は変体演奏で、vor1拍に対しGottは3拍程度!さすがピアノ一台での演奏です。いや、実はリストは2台ピアノでもトランスクリプションがありますが、どちらもピアノという楽器はフェルマータがそうそうできる楽器ではないため、休符もとらず即アラ・マルシアへと移行しています。しかし、それが全く不自然ではない!

はじめ聴くと、合唱団の歌い方がオケとは異なり、まさに合唱曲という感じなので面喰いますが、日本の合唱曲に慣れている人であれば、聴けば聴くほどなじんでくるはずです。ベートーヴェンはフルオケを念頭に作曲していますが、その魂を大切にしたうえで、ピアノ一台でまるで日本の合唱曲を歌うかのような歌い方でも、しっかりと曲の生命が宿り続けていることを、演奏で証明しているのも、また素晴らしい聴きどころだと思います。まるで宗教曲を歌うかのような・・・・・

第九自体は決して宗教曲ではありませんが、人間の連帯を歌い上げた作品という意味では、単に人間の内面世界を表現した作品ではなく、むしろ人間を超えた何かの崇高さを讃えている、と考えれば、宗教曲的に歌っても何らそん色ないとも言えるでしょう。第九という作品の多様性を見せてくれている演奏だと言えるでしょう。今こそ、リスト版での演奏がなされる時だと、私は宣言します。全国のアマチュア合唱団、いざ立て!いかに貧乏な合唱団であっても、ピアノ一台なら、できます!

 


聴いているハイレゾ
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
フランツ・リストによるトランスクリプション
交響曲第9番ニ短調作品125「合唱付き」
クリスティーナ・ランドシャーマー(ソプラノ)
ダニエラ・デンシュラーク(アルト)
アンドレハマスミー(テノール
ハンノ・ミュラー=ブラッハマン(バス)
RIAS室内合唱団(合唱指揮:ジャスティン・ドイル)
ハインリッヒ・アルパース(ピアノ)

(Sony Classical ハイレゾ96kHz/24bit)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

神奈川県立図書館所蔵CD:グラナドス ピアノ作品全集5

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、シリーズでグラナドスのピアノ作品全集を取り上げていますが、今回はその第5集を取り上げます。

第5集は二つの大作、「ロマンティックな情景」と「スペイン民謡による6つの小品」がまず第1曲目と第2曲目に収録されています。この二つ、借りてきたCDではそれぞれ一つのトラックが割り当てられていますが、実は6つの作品からなっています。

これ、調べてみないとわからないのは出版元の怠慢のような気がします。CDには2曲目は6つ(正確には7つ)どんな曲があるのかが書かれていますが、1曲目にはないんです。しかし以下の通りピティナのHPを見てみれば一目瞭然です。

enc.piano.or.jp

作曲時期は異なるものの、女性に対して献呈されているため、この二つはグラナドスのロマンティックで繊細な側面を表しているように思います。

enc.piano.or.jp

これはできれば内容を明示したほうがよかった気がします。あるいはどちらも明記しないか。そのほうが、聴き手に親切だったように思います。明記すれば理解の助けに、明記しなければ自分の想像力を働かせて。そのほうが聴いていて楽しいと思うのですけれど・・・・・

最後の「祈りの書」は、ここまでのグラナドスの絵画的な感じから一転、まるで心象風景です。この第5集はその点でこの全集の中でも特にグラナドスの作品の多様性が垣間見えるものになっています。そのうえでグラナドスの芸術の一貫性もあり、ある意味、国民楽派というジャンルらしい作品がここには並んでいるように思えます。

演奏しているライナーは、ここでは縦横無尽・自由自在に弾いているという印象を受けます。特にここまで、ソニーの疑似ハイレゾ化技術であるDSEE HXを通して聴いていますが、そのまるでリサイタル会場にいるかのような臨場感もあって、ライナーを通して作品の生命、息遣いというものを感じ取れるように思います。

特にこのピアノ曲、そしてこのライナーの演奏を通して、グラナドスという作曲家の芸術に触れて、グラナドスという作曲家の作品も好きになっていく自分がいます。いやあ、スマホに入れて聞いていたいくらいです!今のスマホなら、WAVでもそのまま聴けますしね。真にハイレゾflacと比べれば、WAVは決して大きなファイルではないですしね。こういう真のロマンティックな作品を、携帯するのもいいなあと思います。

 


聴いている音源
エンリケ・グラナドス作曲
ロマンティックな情景
スペイン民謡による6つの小品
 前奏曲
 「遥かな思い」
 「どんちゃん騒ぎの響き」
 「バスクの調べ」
 「東洋風の行進曲」
 「サンブラ」
 「サパテアード」
ゆっくりした舞曲
幽霊
恋文・心のワルツ 作品44

祈りの書
1.庭園で
2.冬
3.苦しみのなかで
トーマス・ライナー(ピアノ)

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神奈川県立図書館所蔵CD:グラナドス ピアノ作品全集4

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、シリーズで取り上げているグラナドスのピアノ作品全集、今回はその第4集を取り上げます。

この第4集には、小品と「詩的な情景」が収録されています。全体を聴くと一つの作品のように錯覚しますが、別々の作品達です。

グラナドスはヴィルトォーソな音楽ではなく、静かですがうちに秘めた情熱を感じさせる作品や、まるで風景を切り取ったかのような、美しい音楽を紡いだ作曲家だと思います。この第4集でもどの作品も静かながら、素朴で美しい旋律が詰まっているので、同じように聴こえるのでしょう。ですがどれも存在感があって、決して軽薄ではありません。その点がグラナドスの作品の魅力だと私は思っています。

こうやって本当に全集で俯瞰してみると、グラナドスの作品にはまっている自分がいます。機能が発達してきたモダン・ピアノで、あえて激しくではなく、美しく音を紡いでいく・・・・・その結果、音で風景が浮かび上がるかのような作品たちが生まれています。もっと言えば、ピアノという楽器の性能をフルに生かし、弦を最大限震わせ、しっとりと歌わせるのです。

それを意識してなのか、演奏するライナはじっくりと弾いているのが特徴です。しっとりとというほうが適切なのかもしれません。とにかく歌わせるのです。そこにはどこか情景への憧憬のような印象すら受けます。

作品が派手ではないので、派手に演奏することなど不可能ですが、それでもゆったり、そしてじっくり楽譜から見える風景を、ピアノという楽器をパレットとして、描いて見せる・・・・・そんな演奏なんですね。深夜とかに聴きますと、本当に癒されます。場合によっては泣いてしまうことも・・・・・

こういう作品達を聴くと、涙もろい年齢になってきたのかな、と思います・・・・・

 


聴いている音源
エンリケ・グラナドス作曲
ムーア風舞曲とアラブの歌
若き日の物語り作品1
サルダーナ
スケッチ集
マズルカ 作品2
厚紙の兵隊
牧場にて
性格的な舞曲
キューバ風に 作品36

詩的な情景
 1.遠い国々の思い出
 2.修道院の天使
 3.マルガリータの歌
 4.詩人の夢
トーマス・ライナー(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:デイヴィス指揮ドレスデン・シュターツカペレによるシューベルト交響曲全集1

東京の図書館から、今回から4回シリーズで、小金井市立図書館のライブラリである、サー・コリン・デイヴィス指揮ドレスデン・シュターツカペレによるシューベルト交響曲全集を取り上げます。

西側の指揮者と東側のオケという、一時期はやった組み合わせですが、このシューベルトでもそんな組み合わせを見つけたので、興味をもって借りてきたのがこの全集でした。

すでに、CDでもリンピングファイルでも、それぞれ一つずつ全集を保有していた、シューベルト交響曲全集。しかし、さらにもう一つくらいはもっていてもいいんじゃないかと思い、借りたのがこのデイヴィス/ドレスデン・シュターツカペレのコンビでした。

さらに、今回は使うプレーヤーをMusic Center for PCに戻しました。確かにHi-Res Audio Playerは便利なんですが、どうも設定がことなるような気がしたんです。基本的に、Music Center for PCのほうがクラシックとの相性がいいなあと思います。しかも、半自動であるゆえに余計な機能がなくすっきりしている分、音質がいいように思うのです。CDが聴けないのは残念ですけれど、しかもアップスケーリングで。

そのあたりは今度別途エントリを立てることにして、さて、この演奏、実にステディで、そして情熱的でもあります。ドレスデン・シュターツカペレという、歌劇場オケの面目躍如と言ったところです。歌う歌う!

シューベルト交響曲は歌曲的だとよく批判されますが、ゆえに豊潤なサウンドが楽しめて、かつオケの歌いようを楽しむことができるのもシューベルト交響曲の特徴ですが、まさにドレスデン・シュターツカペレというオケにぴったりな作品たちだとも言えるでしょう。これもまた、クラシック音楽の楽しみです。

ですので、私はシューベルト交響曲が嫌になったことがありません。確かに、マーラーだとかブルックナーのような、重厚なものがお好きな人からすれば、軽薄なのかもしれません。しかし、マーラーはかなり作品が歌っているものが多いことはあまり知られていないなあと思います。それはもしかすると、シューベルトが念頭にあった可能性だって否定できないんですけれど・・・・・

そんなこともあり、ここに収録されている初期の作品二つと、充実した時期に書かれた「未完成交響曲」の3曲は、精彩を放ち、その演奏も実に歌謡的で、かつ魅力的。むしろ、ベートーヴェンの魂を前期ロマン派に落としこんだのは、弟子のリースではなく間違いなくシューベルトであると言えるでしょう。この3曲からは、前期ロマン派という音楽運動がなんであったかを、如実に表していると同時に、その運動への最大のリスペクトを演奏から感じます。

さらに、指揮者がデイヴィスということも、この演奏が魅力的であることの一助となっているでしょう。デイヴィスと言えば、オケをステディに鳴らす共に、歌わせることで有名です。まさに素晴らしいオケを伴侶に得て、シューベルトの作品が持つ精神世界を、存分に表現しているように思います。

 


聴いている音源
フランツ・シューベルト作曲
交響曲第1番ニ長調D.82
交響曲第3番ニ長調D.200
交響曲第8番ロ短調D.759「未完成」
サー・コリン・デイヴィス指揮
ドレスデン・シュータツカペレ

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~府中市立図書館~:ショルティとシカゴ交響楽団によるベートーヴェン交響曲全集4

東京の図書館から、シリーズで府中市立図書館のライブラリである、ショルティ指揮シカゴ交響楽団の演奏によるベートーヴェン交響曲全集をとりあげていますが、今回はその最終第4集を取り上げます。

この演奏は不思議だなあと思います。どっしりしつつも、どこか性急な感じもあり、けれどもかといって情熱がないのではなく、まさに「田舎に来たうれしい気持ち」もしっかりと表現されているからです。

悪い演奏だとは思いません。さすがシカゴ響だと思いますし、ショルティのタクトも素晴らしいと思うんです。ですが、魂に入ってこないんですよねえ、不思議なことに。

BGMとして聴いているのであれば特段問題ないんですが、聴き入ると、いろんな点が一気にきすぎて、整理しきれないという感じがします。いや、そんな演奏がもともとダメなのではなく、演奏者側がどこか整理しきれていないのかな、という印象を受けるのです。

或いは、それが「当たり」で、もう少し聞きこまないと私のほうが受け取れないのかもしれないので、ダメ!と烙印を押したくないんです。ショルティとシカゴ響ですよ?実力的に申し分ないコンビなのですから、何かがある、と考えるのが自然です。

今回、プレーヤーをちょっと変えて、ソニーのHi-Res Audio Playerを使って聴いています。これはソニーのポータブルスピーカー、SRS-HG10と連動し、スピーカー側をオートにしておけば、ハイレゾではないものは自動的にハイレゾ相当にし、ハイレゾを聴くときはハイレゾそのままで聴かせるという代物なのです。ソニーハイレゾ相当にする技術であるDSEE HXがハイレゾではないのでは自動的に動作し、ハイレゾでは自動的に動作しないというものです。

そのプレーヤーのせいなのかどうかまではわかりませんが、もしかするとこの録音の時、マイクをいくつかつかっているかも、という気がします。それをミックスした録音というものは非常に多く存在します。そうなると、ハイレゾ相当にしたときに、必ずしもいい感じにはならない可能性もあります。実際、この音源をリッピングしたときにチェックで聴いていますが、その時はこのプレーヤーではなかったので特段感じなかったように思うのです。

そうなると、やはり録音時の設定に、その原因を求めるほうがいいのかもなあ、と思います。あくまでもDSEE HXは「疑似」ですし、その点も考慮する必要があるかもなあと思います。この点は痛しかゆしだと言えるでしょう。

その点では、同じソニーのMusic Center for PCのほうが、DSEE HXを手動で解除できるだけ、優れているのかもしれません。いずれにしても、いい演奏であることには変りありません。特に第3楽章以降は絶品ですし、カップリングのレオノーレ第3番も情熱的で、これは魂に語り掛けてきます。

レコーディング・エンジニアがCDが補正するということを考慮に入れたセッティングをしていたとしたら・・・・・もしかすると、この全集はその役割を果たしたのかもしれません。これ以降はCDで私はもっていますので借りてきていませんが、第7番と第8番はアップサンプリングしても問題ないので、もしかするとプレーヤーのセッティングなのかもしれません。

デジタル時代の聴き方というものを、考えさせられた事案でした。

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」
序曲「レオノーレ」第3番作品72b
サー・ゲオルグショルティ指揮
シカゴ交響楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

今月のお買いもの:BCJによるオケ付き第九

今月のお買いもの、令和3(2021)年1月に購入したものをご紹介します。BCJによるベートーヴェンの第九です。e-onkyoネットストアでの購入です。

BCJは第九の録音はこれともう一つ、ワーグナー版を出しています。小川典子のピアノによるもので、合唱がBCJで、以前「マイ・コレクション」のコーナーで取り上げています。

その演奏を聴いたときから、BCJ管弦楽とのヴァージョンが欲しいなあとは思っていました。しかし、恥ずかしながら、もう出ていたとは思いもよらなかったのです。しかも、ハイレゾで・・・・・

実は、BCJは早くから自分たちの演奏をハイレゾで出版していた団体です。BCJのCDはSACDハイブリッドなので、そもそもはSACD、つまりはDSDの方式でハイレゾ音源を出している老舗だと言えるのです。

ですが、SACDとなると、プレーヤーはちょっとお高いのですよねえ。さすが私もそこまで手が回らなかったというのが実際です。もっと言えば、BCJSACDハイブリッドへとCDを変えたとき、その高音質を再現するだけの再生装置はプレーヤー以外はなかなか手に入りにくい状況でもあった、と言えます。希少なものであるゆえに、またスピーカーやアンプもお高い・・・・・

そうなると、そこまで手が出なかったのです。ですからハイブリッドという点を生かして、普通にCDプレーヤーで聴いていたわけなのです。まあ、SACDリッピングできればなんて言うことはないんですが、それが著作権法でかなりキツイ規制がかかっておりまして・・・・・

なので、当初これはCDで購入した音源なのです。昨年12月27日のBCJの第九を聴きに行ったその帰り、出勤途中で銀座山野楽器に寄ってCDを購入しました。もちろんSACDハイブリッドです。ですから当初はこの音源をご紹介するつもりでした。

ところが、仕事から帰ってからe-onkyoで念のため検索してみたら、なんと!flac96kHz/24bitであるじゃないですか・・・・・あらま~

こいつは悩みました。すでにCDは買ってある、最悪アップサンプリングという手もある。が、ほぼ同じ値段でハイレゾが売っている・・・・・二重投資になるのはわかっていましたが、結局flacのものも購入したのでした。いざとなればディスクユニオンで売ればいいわけですし。しかし解説がないんです、flacのほうは。なら、CDの方にはあるので、お金を出してリッピングしたと考えればいい、と割り切りました。

昨年12月27日に聴いたのと同じような、アグレッシヴな第1楽章。どっしりしつつも躍動感と生命力にあふれる第2楽章。愛は優しいものだと歌うような第3楽章。そして情熱的に連帯を歌い上げる第4楽章・・・・・どこをとっても、BCJらしい生命力に満ちた、素晴らしい演奏で、思わずブラヴォウ!と叫んでしまいそうになります。そのうえでさらに繊細さも演奏には存在し、プロオケらしい随所に細やかかつダイナミックな演奏。私もいくつか持っている古楽演奏の第九の中で、トップを争う演奏であることは間違いありません。日本はおろか、世界を見渡しても、このBCJのものに比肩する演奏は果たしてあるだろうかと思うくらいです。

正直、特段変体演奏でもありません。第4楽章vor Gott!の部分もほぼvor一拍に対してGott!は6拍。なのに、あふれ出る連帯への共感、そして讃歌。モダンも含めて、抜きんでたその存在感。バッハの時代の楽器でも第九が演奏できることを証明していると同時に、第九が作曲された時代の楽器は限りなくBCJが持っている程度に近かったことを証明した演奏でもあります。

つまり、ハンマークラヴィーアで未来を予想したベートーヴェンは、第九でも未来を予想して作曲したことがうかがえる演奏になっているというわけなのです。ほぼほぼBCJがつかっている、バッハの時代を基準とした楽器が、ベートーヴェンの時代もちょっとだけ進歩した程度と同じであったであろう、ということなのです。これはBCJが演奏する意義だと思います。ベートーヴェンはそんなまだまだ古めかしい楽器のポテンシャルを最大限に引き出し、ゆえに声楽にもそのポテンシャルを最大限引き出すことを要求した作品である、と言えるわけです。そりゃあ、テノールとかアルトとか、ソプラノは大変なわけですよ、ええ・・・・・

自分が歌った経験があるからこそ、このBCJの演奏の素晴らしさと意義がわかるんです。プロだから当たり前に弾いてしまうとはいえ、バッハの時代を基準とした性能の楽器で、片足をロマン派に突っ込んでいるベートーヴェンの第九を演奏することは、実はとてもしんどいことであるはずです。けれどもそんなそぶりは一切見せずに、エネルギッシュな生命が躍動する演奏を聴かせるBCJ。さすがです。どこにつっこみどころがありましょうや!

 


聴いているハイレゾ
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第9番ニ短調作品125「合唱付き」
アン=ヘレン・モーエン(ソプラノ)
マリアンネ・ベアーテ=キーラント(アルト)
アラン・クレイトン(テノール
ニール・デイヴィス(バス)
鈴木雅明指揮
バッハ・コレギウム・ジャパン
(BIS KKC6114 flac96kHz/24bit)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。