かんちゃん 音楽のある日常

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コンサート雑感:フライハイト交響楽団 第51回演奏会を聴いて

コンサート雑感、今回は令和5(2023)年9月10日に聴きに行きました、フライハイト交響楽団の第51回演奏会のレビューです。

フライハイト交響楽団は、東京で活躍するアマチュアオーケストラです。その名前はいろんなコンサートのチラシで知ってはいましたが、聴きに行くのは初めてです。

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フライハイトとはどういう意味なのかと言えば、「自由」です。私と同じくらいの年代の方であれば、バーンスタインベルリンの壁が崩壊した時の第九演奏を想起されるのでは?と思います。あの時、freudeをfreiheitに置き換えて演奏をしましたが、そのフライハイトです。

今回聴きに行ったのは第51回演奏会。ではなぜ行ったのかと言えば、曲目がスメタナの「我が祖国」だったから、です。

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おそらく、私の中ではベートーヴェンの第九に次ぐ好きな曲と言ってもいいのが、スメタナの「我が祖国」です。第2曲目「モルダウ」は中学生の時の合唱コンクールの課題曲でもあり、なつかしさも覚える作品ですが、もちろん、チェコ国民楽派の中で極めて愛国的な作品だと言えます。そのため、現在は第2曲はドイツ語の「モルダウ」ではなくチェコ語の「ヴルタヴァ」が使われることが多くなりました。フライハイト交響楽団さんは「モルダウ」で統一されていましたが。

モルダウ」の名称を使うというところに、年代を感じます。見てみると、いろんな年代がいらっしゃり、決して若い人だけではないのが特徴です。それゆえに古い部分もありつつ、「我が祖国」という曲が、現地でどのように扱われてきたのか、その歴史を団内で共有できているということでもないかと想像されます。というのも、今回の演奏は、私が生で聴いた中では一、ニを争う素晴らしい演奏だったからと言えます。

とはいえ、実は当日、間に合うように出かけたはずなのですが、交通機関のトラブルにいろいろ見舞われ、結局最寄りの「荒川区役所前」電停についたのはすでに開園時間をわずかに過ぎていました・・・・・ロケーションは、サンパール荒川。決して響きのいいホールとは言えませんが、しかし昨年末のMAXフィルさんの第九ではいい響きの印象があります。それもあって聴きに行ったのですが・・・・・どうやら、JRでトラブルがあった模様orz

そのため、第2曲「モルダウ」まではホワイエで聴くほかありませんでした。スピーカーはあまり性能がいいとは言えず、細かい音までは聞き取れなかったんですが、しかしテンポがまるでスメターチェク!これは名演の予感がよぎりました。指揮は坂入健司郎。実は指揮が坂入氏だったということも、このコンサートに足を運んだ理由でもあります。

ykanchan.hatenablog.com

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この二つのエントリでも私は大絶賛しています。それゆえ今回足を運んだのでしたが、遅れてはしまいましたが足を運んでよかったと思います。惜しむらくは「モルダウ」をホールで聴けなかったこと。youtubeのチャンネルを持っていらっしゃいますから、そこに第51回がアップされるのを待つしかないかなと思います。

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しかし、「シャールカ」以降の演奏は本当に素晴らしい!少し速めのテンポと言い、優れたアンサンブルと言い、スメタナが楽曲に込めた「想い」にフォーカスした演奏が繰り広げられたと思います。その典型が、スピーカー越しで音質が良くなかったとは言え、「モルダウ」に集約されていると思うのです。なぜなら、「モルダウ」は単に川の流れを表現した楽曲ではないからです。川の流れをチェコの歴史、そして未来のいわば「借景」に使っているにすぎないからです。その意味では、実は前半3曲は同じ主題を持っていると言えるのです。

なぜ現在は「モルダウ」という名称ではなくチェコ語の「ヴルタヴァ」に変わりつつあるのか、なんです。日本のなるべく現地の言葉を使うという方針もありますが、さらに言えば、「我が祖国」を書いたときのチェコは、どのような国だったかが重要なのです。スメタナが「我が祖国」を書いたときのチェコは、オーストリア・ハンガリー帝国に組み込まれ、主にドイツ資本の支配下にありました。そのため、第2曲はチェコ語で記載されましたが歴史的な要素は薄められています。ですが楽曲を分析すれば、むしろ「ヴィシェラフト」や「シャールカ」以上に愛国的な楽曲であることが明白なのです。つまり、スメタナとすれば「聞けばわかる人にはわかる」と信じた作品だった、と言えます。

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勿論、現在のチェコNATO加盟国であり、ドイツとは同盟国です。しかしながら、ドイツをはじめ大国の支配を受けてきた歴史があることは事実で、それへの抵抗の象徴が「我が祖国」なのです。チェコからすれば支配がドイツからロシアに移ったに過ぎなかったのです。故に、現在でも「プラハの春」音楽祭のオープニングで、演奏され続ける作品だと言えるでしょう(実際、締めはベートーヴェンの第九)。

その歴史を踏まえたら、「ヴルタヴァ」は決してゆったりと演奏できる曲ではないんですよね。多くの指揮者がスメタナの解説である

「この曲は、ヴルタヴァ川の流れを描写している。ヴルタヴァ川は、Teplá Vltava と Studená Vltava と呼ばれる2つの源流から流れだし、それらが合流し一つの流れとなる。そして森林や牧草地を経て、農夫たちの結婚式の傍を流れる。夜となり、月光の下、水の妖精たちが舞う。岩に潰され廃墟となった気高き城と宮殿の傍を流れ、ヴルタヴァ川は聖ヤン(ヨハネ)の急流 (cs) で渦を巻く。そこを抜けると、川幅が広がりながらヴィシェフラドの傍を流れてプラハへと流れる。そして長い流れを経て、最後はラベ川(ドイツ語名:エルベ川)へと消えていく。」

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という言葉尻を受けた解釈をしていますが、実際には抑圧されている状況の中で精いっぱいの解説を行ったということであり、もっと祖国への想いを表に出したいはずだったことを、当時の人たちは感じていたはずだという解釈もまた、成立します。スメターチェクはその解釈ですし、坂入氏もまた同じ解釈であると言えるでしょう。そしてその解釈は私も同様です。

そのチェコの歴史への共感が、演奏には満ち溢れていたと言えます。なので終止感動しっぱなし。できればこのオケを「プラハの春」音楽祭のオープニングで演奏させてあげたい!とすら思いました。かつては「プラハの春」音楽祭のオープニングは「我が祖国」であるため、チェコのオーケストラしか演奏できなかったんですが、近年では海外のオーケストラや指揮者も舞台に上がるようになっています。そのため、できればフライハイト交響楽団さんもアマチュアオーケストラの代表として、会場であるルドルフィヌムで演奏させたいなあと思った次第です(これは以前同曲を演奏した府中市交響楽団さんも同じです)。

それは私自身が、抑圧を受けて育ったということもあるとは思いますが、「我が祖国」のコンサートに足を運ぶということは、同じように抑圧を受けて機能不全家族に育ちながらも、回復しながら生きている仲間に逢いに行くという側面があります。フライハイト交響楽団さんが同じような仲間であることもまた、うれしいことでした。表現することの大切さを、改めてかみしめたコンサートでした。

 


聴いてきたコンサート
フライハイト交響楽団 第51回演奏会
ベドジヒ・スメタナ作曲
連作交響詩「我が祖国」全曲
坂入健司郎指揮
フライハイト交響楽団

令和5(2023)年9月10日、東京荒川、サンパール荒川大ホール

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