東京の図書館から、4回シリーズで取り上げております、府中市立図書館のライブラリである、フォーレの歌曲全集、第4回の最終回は第4集を取り上げます。
どうも、この全集は基本的に作品番号順だったようですが、枝番があるものは必ずしも並べないという感じです。そこがまた、フォーレの歌曲の特徴なのかもしれません。それはこの第4集まで聴いてこないと見えてこないように思います。フォーレの歌曲の変遷を見るだけでなく、19世紀末から20世紀初頭にかけてのフランス音楽とはどういうものだったのかという俯瞰は、単純に作品番号順ではわからないかもしれません。あえてシャッフルして詩人別にしてみたりすることで、文学と音楽との関係とその変遷が初めて理解できるように編集していると考えると、腑に落ちます。
この第4集では、詩人の詩集に作曲するケースが多く、作品106、113、118の3つがそうです。作品106がヴァン・レルベルク、作品113がド・ブリモン、作品118がジャン・ド・ラ・ヴィル・ド・ミルモンです。あまり日本では知られていない詩人が多く、いかに日本においてフランス文学が軽んじられているのかがはっきりする証左でしょう。本来なら、じっくり関係の著作を読んでからじゃないと論じるのは難しいくらいだと思います。それくらい、人口に膾炙していないのがフランス文学であり、フランス音楽だと言えるでしょう。
その点では、よく言われるのが「フィーレはドビュッシーへと音楽を橋渡した」というものです。確かに、フィーレはドビュッシーよりも17歳年上です。フォーレが生まれたときはまだ前期ロマン派の作曲家たちが活躍していた時代です。そのため、フォーレの音楽が多少古めかしい印象を受けるのも無理はありません。しかし、実際に歌曲を聴きますと、それは本当か?と思う作品も数多くあります。確かにフォーレの音楽は調性的ですが、ではドビュッシーは調性的ではないのかと言えばそんなことはなく、調性音楽の範疇にとどまっています。より象徴主義的かと言えばドビュッシーだとは思いますが、とはいえ、フォーレはドビュッシーの死後の6年後にこの世を去っています。つまり、フォーレはドビュッシーよりも早く生まれ、ドビュッシーよりも遅くなくなっているのです。その分、音楽史を見ていると言えるのです。
フォーレが生きた時代は、前期ロマン派~後期ロマン派~象徴主義~印象派~新古典主義音楽と、様式が目まぐるしく変わっていった時代です。その中で、自分がめざすべき音楽はいかなることなのかを、ともに追求したのがドビュッシーです。スタンスが新しいものを作り出していく側か保守的な側かの違いでしかありません。むしろ、サン=サーンスやフランクに比べればはるかにドビュッシーとの差はありません。ただ、フォーレがドイツ的な和声とは一線を画したことが、ドビュッシーにフランス・バロックに範をとらせたとはいえるかもしれません。その意味では、フォーレとドビュッシーは同志であったと言えるでしょう。本人たちは意識していなかったでしょうが。
私たち日本人の有利な点は、アジアに住むからこそ、その二人の音楽が俯瞰できる、と言う点です。確かに細かい部分では差がある二人の作曲家とその作品ですが、一方でドビュッシーもフォーレも、ドイツ的な和声に対して抵抗したという点では一致しています。ただ、フォーレはドビュッシーほどラディカルではなかっただけ。ですがこういう差でもめるのは何もフランスに限ったことではありません。我が日本に目を向けてみれば、そこかしこにそんな争いは転がっています・・・・・大した差ではありません。
なぜなら、私たち日本人も、そしてフランス人も、同じ人間だからです。表面的なものが違うだけで本質は人間である以上一緒です。だからこそ、音楽はジャンルの差があれど、地域や時空を超えて普遍性があると言えませんでしょうか?なぜ私たちは日本の音楽だけでなく海外の音楽を聴いても感動し、心が揺さぶられるのでしょう?同じ人間であるというほかに、何か証明できる材料はありましょうや?
出来れば、すべての楽曲の歌詞がわかればもっといいのですが、それでも、歌詞がわからなくてもその歌唱により琴線が揺さぶられたりするのは、まさにフォーレの作品に普遍性があるゆえだと言えます。アメリングののびのびとした、そしてスゼーの力強くしなやかな歌唱は、同じ人間だからこその表現であります。私たちはつい、自分たちとは違うことを追及し排斥しますが、それに対する抵抗運動がクラシック音楽という芸術だとすれば、アメリングやスゼーはまさに戦っていると言えるでしょう。戦うとは武器を取ることなのか?考えさせる全集だとも言えます。
聴いている音源
ガブリエル・フォーレ作曲
「閉じられた庭」作品106(詩:ヴァン・レルベルク)
①1.聴許
②2.あなたが私の眼を見入るとき
③3.硬い女
④4.私はおまえの心に身を委ねよう
⑤5.ニンフの神殿で
⑥6.薄暗がりで
⑦7.私には大切なのです、愛の神よ
⑧8.砂のうえの墓碑銘
「幻影」作品113(詩:ド・ブリモン)
⑨1.水の上の白鳥
⑩2.水に映るかげ
⑪3.夜の庭
⑫4.踊り子
⑬平和がきた 作品114(詩:ドブラディス)
「幻影の水平線」作品118(詩:ジャン・ド・ラ・ヴィル・ド・ミルモン)
⑭1.海は果てしなく
⑮2.私は乗った
⑯3.ディアーヌよ、セレネよ
⑰4.船たちよ、われわれはおまえたちを
⑱この地上ではどんな魂も(2人のソプラノのための)作品10-1(詩:ユゴー)
⑲タランテラ踊り(2人のソプラノのための)作品10-2(詩:モニエ)
⑳黄金の涙(メゾ・ソプラノとバリトンのための)作品72(詩:サマン)
㉑祈りながら(詩:ボルテース)
㉒降誕祭 作品43-1(詩・ヴェルレーヌ)
エリー・アメリング(ソプラノ)
ゲラルド・スゼー(バリトン)
ダルトン・ボールドウィン(ピアノ)
ж作品10は本来二人のソプラノのための作品ですが、このアルバムではアメリングしか記載がありません。検索してももう一人は出てこないのですが確かに二重唱になっています。どういうことなのかがわかる方がいらっしゃればコメントいただけると嬉しいです。まさかミキシング?
地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。