かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:フォーレ 歌曲全集1

東京の図書館から、今回から4回に渡りまして、府中市立図書館のライブラリである、フォーレの歌曲全集を取り上げます。

フォーレはあまり歌曲という印象がないかもしれませんが、魅力的な歌曲をたくさん生み出しています。とはいえ、私自身も「フォーレの歌曲?」という意識があったのも事実です。では、聴いてみよう!ということで借りてきたのがこの全集です。これもきっかけは瀬川玄氏と加耒徹氏のコンサートを聴いたのがきっかけです。以前取り上げたドビュッシーの歌曲のコンサートがそれで、ドビュッシーの歌曲をもっと網羅的に聴きたいと思い図書館へ行った時に、フォーレのも見つけたのでした。

歌詞を書いた詩人の名を、文末に挙げておきますが、そうそうたる詩人たちが並んでいることがわかります。ドビュッシーだけでなく、フォーレの歌曲であっても、19世紀から20世紀初頭にかけてのそうそうたる詩人たちが並んでいることがわかります。文学と音楽は相互に影響しあっているとはよく言われますが、こう並べてみると視覚的に理解できるのでは?と思います。特にドビュッシーフォーレが生きた19世紀末から20世紀初めという時代は、文学と音楽が相互に影響しあう時代であったと言えます。

では、現在はそうではないのかと言えば、そうであると言えるでしょう。ただ、その音楽のほうが必ずしもクラシック音楽とは限らなくなったというだけの話です。特にクラシック音楽が好きな人はクラシック音楽しか見ないので、他のジャンルを見ようとしないのですが、多ジャンルに目を移せば、当代の詩人たちが多くの楽曲に作詞していることが見て取れると思います。そもそも、「作詞家」という人は詩人です。どうも詩人と言うと詩集とかを発行している人というイメージが強いと思いますが、歌謡曲やJPOPも歌である限り魅力の片方は歌詞です。最近のJPOPだとまさに詩人の作品を楽曲かしている例も多くみられます(YOASOBIとかですね)。

その潮流を決定づけたのが、ドビュッシーフォーレ、あるいはマーラーリヒャルト・シュトラウスだったと言えるのです。この音楽史の事象がなければ、YOASOBIも存在しないと言っていいでしょう。それに気づいたからこそ、私はこれらの全集を借りてきたと言っても過言ではありません。

見ていると、多くの作品に枝番が振られていることがわかるかと思います。つまり、いくつかの曲集になっているということを指します。当代随一の詩人たちの詩に音楽をつけるということは、その詩集に音楽をつけても何ら不思議はありません。ドビュッシーもそうであったように。、フォーレも例外ではない、と言うことになります。その意味では、作品番号ごとにまとめられても良かったかな?という気はします。この全集は基本それはごった煮になっています。それでも、旋律の美しさや歌詞の内容など、琴線を揺らすものが多く存在するので素晴らしいのですが、作曲家がどういった意図で作曲したのは、解説を読まないとわからないというのもなあという気がします。

この全集を借りてきた当時、私は結構忙しくて、解説を書き写すだけの時間がなかったため、歌詞の内容は別途検索しないとわからないですが、特に曲の背景などはわからずじまいなんです。いや、時間をかければわかるとは思いますが、すべての曲となると膨大な時間がかかってしまいます。その意味では、こういった全集こそ、できればCDもしくはハイレゾというほうがよかったかもとはおもいます。CDの棚がいっぱいになる前にこれは購入しておくべきだったと、反省しきりですが、その時はまだ歌曲ってあまり興味がなかった時期なので・・・・・・まあ、神様は本当にいたずらなことが大好きです。

歌手はドビュッシーの時よりも少なくて、アメリンクとスゼーの二人のみ。ピアノはドビュッシーの時と同様ボールドウィン。どうやらEMIが意識しての組み合わせだったようです。しかし実に伸びやかで美しい!編成が小さいせいなのか、Tune Browserでリサンプリングすると本当に空気感が半端ない。特にピアノは一音一音まできれいに響きます。それはとりもなおさずそもそもの録音が素晴らしいことを意味します。リサンプリング前でもあまりよくない録音はリサンプリングしたところであまり変わりないですからね(よくはなりますが期待値よりは下です)。レコーディングエンジニアのUDEが問われます(あ、某youtuberの真似をしてしまった)。

あまり私としては恵まれない時期を過ごしていますが、こういった芸術を聴きますと救われます。歌にはいかに力があるのかと、実感させられると同時に、それは歌詞の力もあるのだろうと思います。その意味で、やはり19世紀の詩人たちというのは、精神性が高かったのだなと思わされます。

 


聴いている音源
ガブリエル・フォーレ作曲
①蝶と花 作品1-1(詩:ヴィクトル・ユゴー
②五月 作品1-2(詩:ヴィクトル・ユゴー
愛の夢 作品5-2(詩:ヴィクトル・ユゴー
④ある僧院の廃墟で 作品2-1(詩:ヴィクトル・ユゴー
⑤水夫たち 作品2-2(詩:テオフィル・ゴーティエ
⑥リディア 作品4-2(詩:シャルル=マリ=ルネ・ルコント・ド・リール
⑦讃歌 作品7-2(詩:シャルル・ボードレール
⑧ひとりぼっち! 作品3-1(詩:テオフィル・ゴーティエ
⑨いなくなった人 作品5-3(詩:ヴィクトル・ユゴー
⑩あけぼの (詩・ヴィクトル・ユゴー
⑪身代金 作品8-2(詩:シャルル・ボードレール
⑫秋の歌 作品5-1(詩:シャルル・ボードレール
⑬朝の曲 作品6-1(詩:ポメ)
⑭悲しみ 作品6-2(詩:テオフィル・ゴーティエ
⑮漁師の歌(哀歌)作品4-1(詩:テオフィル・ゴーティエ
⑯舟唄 作品7-3(詩:マルク・モニエ)
⑰この世 作品8-3(詩:ジュリー・ブリュドム)
⑱河のほとりで 作品8-1(詩:ジュリー・ブリュドム)
⑲トスカナのセレナーデ 作品3-2(詩:不詳、ドビュッシー編)
⑳夢のあとで 作品7-1(詩:不詳、ドビュッシー編)
㉑シルヴィ 作品6-3(詩:パウル・デ・シューダンス)
㉒旅人 作品18-2(詩:アルマン・シルヴェストル
㉓秋 作品18-3(詩:アルマン・シルヴェストル
「ある一日の詩」作品21(詩:グラシム=ジャン)
㉔1.出会い
㉕2.永久に
㉖3.別れ

㉗ネル 作品18-1(詩:シャルル=マリ=ルネ・ルコント・ド・リール
㉘ゆりかご 作品23-1(詩:シュリ―・プリュドム)
㉙われらの墓 作品23-2
エリー・アメリンク(ソプラノ)
ゲラルド・スゼー(バリトン
ダルトンボールドウィン(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。