東京の図書館から、4回シリーズで取り上げております、府中市立図書館のライブラリである、フォーレの歌曲全集、今回はその第2回目です。
第2集となるわけですが、この第2集には、ドビュッシーの歌曲でも曲が付いた、ヴェルレーヌなどが名を連ねています。こう見てみますと、編集方針として、単に作品番号で並べるのではなく、むしろ作詞者で並べているのでは?という気がします。特に作品58と作品61はともにすべての曲の歌詞はヴェルレーヌです。
そして、この第2集の第1曲に来ているのが、フォーレの歌曲の中でも有名な「秘密」。歌詞が挙げられているものがあったのであげておきますが、実に意味深な歌詞です。
お前は何を言っているんだ!と鉄道系youtuberしろはんどさんのように言ってみたくなる歌詞ですよね。ですがこれが「秘密」の歌詞です。この曖昧模糊とした内容をいかに音楽で実現させるのか。フォーレの生きた時代には、ドビュッシーがいるのです。ドビュッシーがバロックから発想を得て作り上げた新しい和声が、この歌詞に曲をつけることを可能にしたと言えるでしょう。フォーレは受け継いだだけです。ですがその受け継いだものが、表現の幅を広げたと言えるでしょう。後期ロマン派まではもっとわかりやすい歌詞に曲がついています。しかし19世紀後半からは、もっと内面を曖昧模糊とした詩も多く作られるようになります。それは表現主がマイノリティということもあります。それはある意味、シラーの「歓喜に寄す」と同じくらい曖昧模糊としたものです。フランス共和制の中で、新しい革新者たちが生まれ始めていた、という時代背景もあり、相互に作用したと言えるでしょう(その意味では、しろはんどさんの動画もフォーレに似ていると言えるでしょう)。
そして、これらの作品は、ソプラノとバリトン用に書かれているということも注目点です。ソプラノとバリトンと言えば、バッハの声楽曲であれば女性とイエスを指します。そういう固定観念の時代に、男女で人間の歌を歌わせる・・・・・これも、革新的な部分です。それはロマン派から徐々に生まれてきたものではありますが、オルガニストであったフォーレならではの手法だともいえるでしょう。
その背景をしっかりつかんでいるのか、歌唱のアメリンクとスゼーは、朗々と歌う中で、時にはしゃべってもいます。それはレチタティーヴォを想起させます。しかし、歌詞は神だとかではなく、もっと人間界の事象を取り扱うものです。それを、天上界を表現するようなパートで表現させる・・・・・実に巧妙でうまいなと思います。そしてそれが、革新者たちの「闘い方」だったのだろうと思います。その戦い方に、二人のソリストともに共感しているように聞こえるのは私だけなのでしょうか・・・・・
聴いている音源
ガブリエル・フォーレ作曲
①秘密 作品23-3(詩:シルヴェストル)
②愛の唄 作品27-1(詩:シルヴェストル)
③歌を教える仙女 作品27-2(詩:シルヴェストル)
④あけぼの 作品39-1(詩:シルヴェストル)
⑤捨てられた花 作品39-2(詩:シルヴェストル)
⑥夢の国 作品39-3(詩:シルヴェストル))
⑦イスファハーンのばら 作品39-4(詩:ル・コント・ド・リール)
⑧夜曲 作品43-2(詞:ヴィリエ・ド・リラダン)
⑨贈物 作品46-1(詞:ヴィリエ・ド・リラダン)
⑩月の光 作品46-2(詩:ヴェルレーヌ)
⑪涙 作品51-1(詩:リシュバン)
⑫墓地で 作品51-2(詩:リシュバン)
⑬憂鬱 作品51-3(詩:ヴェルレーヌ)
⑭ばら 作品51-4(詩:ル・コント・ド・リール)
⑮シャイロックの唄 作品57
⑯シャイロックのマドリガル 作品57
五つの歌曲集「ヴェネツィア」作品58(詩:ヴェルレーヌ)
⑰1.マンドリン
⑱2.ひそやかに
⑲3.グリーン
⑳4.クリメーヌに
㉑5.恍惚
㉒町人貴族のセレナード(詩モリエール)
「優しい歌」作品61(詩・ヴェルレーヌ)
㉓1.後光に囲まれた聖女さま
㉔2.曙の色がひろがり
㉕3.白い月
㉖4.ぼくは不実な道を歩いていた
㉗5.ほんとにぼくはこわいくらいだ
㉘6.おまえが消えてゆくまえに
㉙7.さて、それは或る明るい夏の日のことだ
㉚8.ねえ、どうだい?
㉛9.冬は終った
㉜消えない薫り 作品76-1
エリー・アメリング(ソプラノ)
ゲラルド・スゼー(バリトン)
ダルトン・ボールドウィン(ピアノ)
地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。