かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:ドビュッシー 歌曲全集3

東京の図書館から、前回と今回の2回に渡りまして、府中市立図書館のライブラリである、ドビュッシーの歌曲全集を取り上げていますが、今回はその第2回目。第3集を取り上げます。

残念ながら、第2集が抜けているという・・・・・おそらくですが、資料が損傷したのだと思われます。これは神奈川県立図書館の際にも言及しましたが、公共のものなので、大切に取り扱っていただきたいところです。府中は結構この手が多いんです・・・・・せっかく資料数は神奈川県立図書館に匹敵するのに、もったいないなあ、残念だなあと思うところです。神奈川は県立ですよ?府中は市立です。財政規模からいっても神奈川「県」のほうが金持っているんですよ。でも、「市」でしかない府中市が、神奈川県立の図書館に匹敵する資料数を持つなんて、本当に東京は豊かだと思いますが、その豊かさが当たり前と思っていることはないかなあという気がします。お隣の自治体(神奈川県や埼玉県)ではそれは当たり前ではありません。そりゃあ、横浜市中央図書館のほうが府中市立図書館よりは大きいですし、資料も多いです(実際私も横浜市民だったころ行ったことがありますので断言できます)。ですが横浜市中央図書館は館外貸し出しをCDはしておりません。館内だけです。ですが府中は館外貸し出しもして、かつ周辺4市市民も使えます(相互利用)。横浜に住んでごらんなさい、CD貸し出しにおいてはいかに府中が恵まれているか分かります。幸い横浜市は神奈川県の県庁所在地なので、不便は感じませんが、これが小田原とか、三浦だとか、大和だとかでは状況が変わってきます。

さて、この第3集の収録曲を最後に挙げておきますが、見ていただきますと、そうそうたる詩人の名が並んでいるのに気が付かれると思います。勿論第1集でも同じです。これは、文学と音楽が相互に影響しあっているということを意味します。そんなこと、音楽の歴史では当たり前ではないか、と言われるかもしれません。おっしゃる通りです。ですが、この全集に収録されている詩人をよく見てみると、その音楽史の中で一つの転換点に差し掛かっていることが見て取れます。その筆頭が、ヴェルレーヌだと言えるでしょう。

実は・・・・・ヴェルレーヌは、いわゆるLGBTです。

ja.wikipedia.org

いや、女性とも付き合っているから違う、という人もいるかもしれません。それは同性愛を誤解しています。同性愛者の中には、バイセクシャルもいらっしゃいます。ヴェルレーヌは明らかにバイセクシャルだったと言えるでしょう。そもそも、チャイコフスキーも同性愛というよりはバイセクシャルに近いと言えますしね。むしろ、後期ロマン派からは、そういうLGBTたちが活躍し始め、表現の手段として芸術を選ぶ、というケースが多くなります。古くは古典派の時代あたりから発生していますが、顕著になるのは後期ロマン派以降だと言えます。

ドビュッシーも、そういう時代の転換点を意識した作曲家だった、と言えるでしょう。さらに言えば、この第3集に収録されている詩人たちは全員がLGBTとは限りません。そうではない詩人たちと同列に置かれています。これは現代的な編集だとも言えますが、一方でドビュッシーもこだわっていないことを意味します。つまり、平等なのです。

これが、フランスの共和制から生まれた文化だと言えます。では、日本的なものとは相いれないのでは?という意見もあるかもしれませんが、こんな視点もあります。

bohemegalante.com

この「忘れられたアリエッタ」、この第3集のトップの曲です。そして、日本は母性的な国ともいわれます。そう考えると、真に「日本的なもの」とは一体何でしょう?19世紀から20世紀にかけて活躍したフランスの作曲家の作品から、祖国を俯瞰するとき、見えてくる風景があるように感じるのは私だけなのでしょうか?LGBTは本当に阻害するものなのでしょうか?

おそらく、ドビュッシーが活躍した時代でも、同じようにLGBTたちは虐げられていたはずです。となれば、ドビュッシーのこういった歌曲は、その社会に対して、疑念を投げかけるものであると言っていいでしょう。少なくとも、我が国においてクラシック音楽は芸術ということでもてはやされてい這いますが、実際に市場においては少数であり、虐げられているジャンルだと言ってもいいわけで、ならば私たちクラシック音楽を聴いているファンは、LGBTに対して、優しいまなざしを向けるほうがいいと、私は思います。人間的な愛と歌にあふれている各作品、そしてソリストの伸びやかで生命力のある歌唱を聞けば聞くほど、私の魂には共感が湧き上がってきます。虐げられた人たちへの讃歌・・・・・

そりゃあ、今年の甲子園の決勝戦の三塁側アルプススタンドには、大応援団が駆けつけるよなあと、こういった作品を聞きますと思うのです。それは、同じように虐げられてきた、一塁側アルプススタンドにいた人たちも、同じように共感するのではないでしょうか。芸術の力とは、このようなものだと私は確信しています。

その意味でも、仙台育英高校にあまりにも肩入れしすぎて、慶應を叩く言説は、残念でした・・・・・このブログを書いている私自身の力のなさも、見せつけられたような気がします。まだまだ精進しなさいという、神様からのお告げなのかもしれませんね。

 


聴いている音源
クロード・ドビュッシー作曲
忘れられたアリエッタ(詩:ポール・ヴェルレーヌ
①1.やるせない夢見る想い
②2.わたしの心に涙がふる
③3.露包む川面の木々の影
④4.木馬
⑤5.グリーン
⑥6.スプリーン
ビリティスの唄(詩:ピエール・ルイス
⑦1.パンの笛
⑧2.髪
⑨3.水の精の墓
艶なる宴~第2集~(詩:ポール・ヴェルレーヌ
⑩1.無邪気な人たち
⑪2.半獣神
⑫3.感傷的な対話
フランスの二つのシャンソン(詩:シャルル・ドルレアン)
⑬1.ロンデル:時は脱いだよ、そのマント
⑭2.ロンデル:「喜び」が死んでしまったから
二人の恋人の散歩道(詩:トリスタン・レルミット)
⑮1.この暗い洞窟のほとり
⑯2.愛するグリメーヌよ、私の言う通りにしておくれ
⑰3.私は震える
フランソワ・ヴィヨンの三つのバラード
⑱1.恋人に与えるバラード
⑲2.聖母に祈るための母への要請によって作られたヴィヨンのバラード
⑳3.パリ女のバラード
ステファーヌ・マラルメの三編の詩
㉑1.嘆息
㉒2.取るに足らないお願い
㉓3.扇

㉔もう家のない子供たちのクリスマス(詩:クロード・ドビュッシー


エリー・アメリンク(ソプラノ、㉑~㉔)
ミシェール・コマン(ソプラノ、⑦~⑨)
フレデリカ・フォン・シュターデ(メゾ・ソプラノ、①~⑥)
ジェラール・スゼー(バリトン、⑩~⑳)
ダルトンボールドウィン(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。