東京の図書館から、今回から4回シリーズで、小金井市立図書館のライブラリである、モーツァルトのピアノ・ソナタ全集を取り上げます。
以前、神奈川県立図書館のライブラリで内田光子が弾くものをご紹介しています。
合計5回シリーズでしたが、今回はそれよりも一つ少ない4回シリーズとなるのも注目です。今回のピアニストは、グレン・グールドです。以前もバッハやベートーヴェンでその演奏をご紹介してきた、有名なピアニストです。特に、グールドと言えば、ベートーヴェンの交響曲だったり、バッハの平均律クラヴィーアの演奏で有名なのですが、図書館でモーツァルトのピアノ・ソナタも見かけましたので、借りてきたということになります。それにしても、内田光子の演奏のを取り上げたのは10年前・・・月日が過ぎるのは速いものです。
このグールドによる全集は、内田光子さん同様、旧全集に基づいた番号順となっていますが、まず第1集に収録されているのは、第1番~第6番、いわゆる「デュルニッツ・ソナタ」です。内田さんでは第5番までしか収録されていませんでしたが、このグールドのは第1集にひとまとまりの6曲すべてが収録されています。この辺りをどうとるかは人それぞれだとは思いますが、私自身はこの6曲がひとまとまりになっているのはレファレンス要素がしっかりしていて好印象です。
さらに、グールドの演奏と言えば、速めのテンポという点がありますが、そのテンポが「デュルニッツ・ソナタ」全曲を一枚に収録するという点に於いて、有利に働いています。そのうえで、この「デュルニッツ・ソナタ」の6曲が、モーツァルトのピアノ・ソナタの特質をいきなり語っているのも特色だと思います。内田光子さんの時にも言及しましたが、この「デュルニッツ・ソナタ」を作曲したころのモーツァルトはすでに青年期であり、コロレド神父からの脱却、父の支配からの脱却という、二つの事柄からの脱却を目指した時期の作品です。それだけに、どこかギャラントな雰囲気がありつつも、チェンバロ的な作品になっていない点が自然と浮かび上がらせることに成功しています。
このグールドの第1集を聴いて、改めて内田光子さんの演奏と比べますと、モーツァルトのこのピアノ・ソナタがどれだけ革新的であったのかが手に取るようにわかりますし、そしてその革新性という視点は、いろんなピアニストで共有されているということもまたわかるのです。これが複数の演奏家の演奏を聴く意義であり、醍醐味でもあります。
第1楽章は各曲ともギャラントな、チェンバロの延長線上の音楽が聴こえてきますが、第2楽章の緩徐楽章は各曲とも決してそんなことがなく、むしろたっぷりロマンティックに弾いたとしても問題ないのも、モーツァルトがこれらの作品を作曲するにおいて、チェンバロよりはむしろピアノ・フォルテという、最新の楽器を念頭に置いていたであろうことが容易に想像できる点も、このグールドの演奏で余計示されていると感じるのです。
そのうえで、グールドらしい颯爽とした疾走感も感じられます。それが余計、古典派の作曲家であるモーツァルトの音楽を聴く楽しみにもつながっています。自らの個性を出しつつも、作品を捻じ曲げることをせずむしろ作品の特徴を浮かび上がらせる・・・さすが、才能を持つ人と言うのはこういうことをやってのけるのか!と感嘆せざるを得ない演奏で、実に楽しいですし喜びを感じます。このモーツァルトのピアノ・ソナタも、ベートーヴェンのピアノ・ソナタへある程度の影響を与えたと考えれば、ギャラントな性格だからと言って袖にできるものではないなあと、強く感じる次第ですし、グールドが表現しているのも、その点ではないだろうかと感じざるを得ないのです。
聴いている音源
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作曲
ピアノ・ソナタ第1番ハ長調K.279
ピアノ・ソナタ第2番ヘ長調K.280
ピアノ・ソナタ第3番変ロ長調K.281
ピアノ・ソナタ第4番変ホ長調K.282
ピアノ・ソナタ第5番ト長調K.283
ピアノ・ソナタ第6番ニ長調K.284
グレン・グールド(ピアノ)
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