かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:モーツァルト ピアノ・ソナタ全集3

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、モーツァルト全集からピアノ・ソナタを取り上げていますが、今回はその第3回目となります。第9番から第11番になります。

一番有名なのが、今回取り上げる第11番でしょう。何しろ、「トルコ行進曲風」と銘打たれているわけですから。

え、トルコ行進曲となにか違う曲なのですか?という質問が飛びそうですが、違うも何も、「そのもの」です。実は、私たちが「モーツァルトトルコ行進曲」と言っているのは、このピアノ・ソナタ第1番第3楽章のことなのです。

第11番は第1楽章もよく聴かれる旋律ですし、この第11番は日本人にお馴染みの作品だといえますが、ところが、第11番と言ってしまうと、「それ何?」ってなってしまうんですよね・・・・・

ピアノソナタ第11番 (モーツァルト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%82%BF%E7%AC%AC11%E7%95%AA_(%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88)

それじゃあ、第9番や第10番がクラシックファンでもピアノが好きな方以外は「それ何?」となるのは当然かと思います。

第9番は新全集では第8番となっている作品ですが、前回も述べましたが内田さんは旧全集を採用しています。勿論、成立順は新全集の通りとされているので新全集は第9番を第8番としているわけですが、内田さんは旧全集を採用しているので、ここではK.311が来ているわけです。

ピアノソナタ第9番 (モーツァルト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%82%BF%E7%AC%AC9%E7%95%AA_(%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88)

第10番は実はモーツァルトの人生において大事な時期に書かれた作品です。なぜなら、第10番が作曲された1783年という時期は、モーツァルトが父のもとを離れ、ウィーンで自立した1781年以降であるからです。その割には表面的には軽い音楽になっていますが、短調の交ざり具合だったり、様式面でピアノの独自性が見られたりと、正にモーツァルトがピアニストとして出発していることの証しともなっている作品なのです。

ピアノソナタ第10番 (モーツァルト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%82%BF%E7%AC%AC10%E7%95%AA_(%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88)

それを受けての第11番なのです。第1楽章は有名な華麗な旋律ですが、実は急楽章が来るはずなのにアンダンテで始まり、それが主題を呈示したうえで、急楽章の性格がはっきりする部分から変奏が始まるという、実に独創的な構成になっているのです。その上で、最終楽章では当時の流行であったトルコ風の音楽にするなど、アルマ・マーラーのように言えば「ここから新しいモーツァルトが始まるのです」と言ってもいいくらいです。

もう一度、モーツァルトがピアノ・ソナタを作曲した時期というのをおさらいしておきますと、実に彼が自立していく時期、ザルツブルクでコロレド神父の要請でミサ曲と格闘していた時期からそれに嫌気と父との関係を変えたくてウィーンへ出ていく時期に当たります。ですから、ピアノ協奏曲と異なり、かなり早い段階から独創性が発揮されるという側面があります。それだけ、モーツァルトは多ジャンルでいろんな経験と蓄積を積んでおり、それが新しいジャンルである「ピアノ・ソナタ」ですぐ応用されているというのが、聴いていると分かるのです。

これだけ、はっきりわかるものも珍しいと思います。通常は楽譜等をみないと分かりにくいことも多いのですが、モーツァルトのこの時期のピアノ・ソナタは必ずしも楽譜がなくとも、聴くだけでわかる作品が多く、そこにモーツァルトの非凡さを感じるのです。

その意味では、第11番は「トルコ行進曲」と教科書で教えるのは、そろそろ終わりにした方がいいのかもしれません。第11番は第11番であって、モーツァルトの優れた作品であり、「トルコ行進曲」はその一部に過ぎないのだと、そろそろ教えるほうが、日本の音楽シーンにとって有益であるような気がしてなりません。

内田さんは実は、第9番〜第10番までと、第11番とは若干表現を変えています。第9番と第10番はあまりリタルダンド等をせず、表情を付けませんが、第11番に関しては、かなり表情を付けています。モーツァルトの成長を考慮に入れているのかな?と考えさせる演奏です。一見すると何気ないことなのですが、こういった背景を知っていると、なるほど〜と思う表現がそこかしこに転がっているのが、この演奏なのです。

その楽しさを感じるのもクラシックを聴く楽しみですし、某作曲家のことがあったからと言って、それを他の作曲家の作品まで同様に手放さなければいけないのは如何なものかと思います。まるで内田さんの演奏はそれに時空を超えて「No!」と言っているかのように聴こえるのです。




聴いている音源
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト作曲
ピアノ・ソナタ第9番ニ長調K.311(284e)
ピアノ・ソナタ第10番ハ長調K.330(300h)
ピアノ・ソナタ第11番イ長調K.331(300i)「トルコ行進曲つき」
内田光子(ピアノ)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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