かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:シューマン 室内楽作品全集7

神奈川県立図書館所蔵CD、シューマン室内楽作品全集をご紹介しておりますが、今回は第7集を取り上げます。「ソナタ」の登場です。

シューマンと言えばピアニストですから、ピアノ・ソナタを想起する人も多いかと思うのですが、ソナタはピアノ独奏だけではありません。そもそもソナタとは、ピアノと他の楽器との二重奏のことを言うのですから。

ソナタ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%82%BF

ですから当然ですが、シューマンも「ソナタ」を作曲していてもおかしくないんですが、残念ながら、ピアノ・ソナタ以外のソナタは、このヴァイオリンソナタ以外にはないんです。意外ですね。

ただ、ソナタに規定されない、ピアノと独奏楽器の作品は比較的書いていて、その点にシューマンの「新しさ」があるように思います。

第1曲目の第1番などは、伝統的なソナタの楽章形式を守っているとは言いがたい作品で、厳密な意味でのソナタではありませんが、「ソナタ形式を持ち多楽章」という点で、かろうじてソナタであると言える作品です。

ヴァイオリンソナタ第1番 (シューマン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%82%BF%E7%AC%AC1%E7%95%AA_(%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3)

1851年ですから、決して若い時の作品ではなく、円熟期の作品なのに、まるで楽章構成は若書きのようでしょう?でも、音楽はとても渋く、若い溌剌とした・・・・・という点はあまり見られません。かといって病的でもなく、人の心のひだというものが、陰影と共に描き出されているような作品です。

次の第2番は第1番の完成からわずか40日後に着手された作品です。つまり、同じ年に完成しているんですね。で、此方は基本、ソナタというものの構成を守った作品であると言えます。

ヴァイオリンソナタ第2番 (シューマン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%82%BF%E7%AC%AC2%E7%95%AA_(%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3)

シューマンが何に満足できなかったまでは言及がなされていませんが、音楽を聴く限りで言えることは、深みの差です。渋さの差というほうが分かりやすいのかもしれませんが・・・・・

多分、第1番でやった実験的なものを踏まえた上で、次に完成させるものを如何すればいいのか、考えたうえで修正したのが第2番なのではないかという気がします。

こう見て来ると、シューマンという作曲家は、私はとても優れた人だったように思います。つまり、本来ならある程度の時系列、例えば若い時期〜老年、という間にすることを、初ジャンルの場合、ある一定の時間内でやってしまうのがシューマンである、ということです。

天才ではないかもしれないが、しかし優れた作曲家であり、さすが評論家でもあるというのが、私の評価です。音楽史を俯瞰したうえで、作品をどう仕上げ、さらに品質を上げていくかを、知っていた人であるということです。

恐らく、ヴァイオリン・ソナタの場合、あまり時間が取れない中で作曲され、その中でアウトプットしていくにはどうすればいいのかを、考え実行することが出来た人であると言えるのではないかと思います。

私はその集大成が、第3番だと思います。元々は、シューマンブラームス、ディートリヒの三人で作曲した「F.A.Eソナタ」のシューマンが担当した2楽章に、さらに2楽章を作曲してシューマンの作品として完成させたものです。

F.A.E.ソナタ
http://ja.wikipedia.org/wiki/F.A.E.%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%82%BF

元々別の作品であったものに追加をしてみたら、以外にも統一感があり、ロマンティックでかつ陰影のある作品に仕上がったという、奇跡的な作品です。作品番号はなくWoOですが、作品番号を付けてもいいくらいの完成度だと思います。

その点に、シューマンの非凡な才能を見るのです。シューマンを天才だという人はすくないですが、天才に次ぐ称号は献じてもいいように思います(いや、天才と言ってもいいかもです)。

ヴァイオリン・ソナタの場合、最後の作品が決して最高とは言えないかもしれませんが、それでも、決して駄作ではない、ある一定のレヴェルを供えた作品として完成しているのは素晴らしい業績であり、それはシューマンの才能であり、先人たちから受け継いだ伝統でもあります。

つまり、ここまで読んでいて、何かと同じようだと思いませんか?そう、バロックからモーツァルトまでの古典派の時代の作曲と似ているということを。それをロマン派の時代において、ロマン派の音楽として実行しているということなのです。

楽聖ベートーヴェンの影は大きい時代になっていましたが、決してモーツァルトが忘れられたわけではない・・・・・むしろ、その影響は大きかったことが、こういった作品からうかがえるのです。

シューマンが種をまいた「前期ロマン派」の音楽が、その後後期ロマン派、さらに新古典主義などに受けつがれていったことを考える時、実にシューマンが果たした役割は大きかったのだということを、私達は教えられているように思えてなりませんし、おそらく、この第7集の編集方針が、あえて番号順に並べることでその気づきを想起させることにあるように思われます。

演奏は、力強いアインザッツが筋肉質な演奏を実現しており、その上でしなやかです。硬軟がちょうどいいバランスで交ざっており、様々な表情を見せてくれます。もともと、陰影がはっきりしている作品群を、真正面から颯爽と演奏しているのは好印象です。そのことが、作品が持つ陰影と、表情をより一層はっきりと浮かび上がらせ、シューマンの音楽特有の哲学的な内面を、外へと引っ張り出すのに見事成功しています。

こういった抑制が効きつつ、でもドグマがはっきりと伝わる演奏は私好みで、素晴らしいです。まさしく「情熱と冷静の間」のバランスが見事な演奏であると言えましょう。




聴いている音源
ロベルト・シューマン作曲
ヴァイオリン・ソナタ第1番イ短調作品105
ヴァイオリン・ソナタ第2番ニ短調作品121
ヴァイオリン・ソナタ第3番イ短調作品番号なし(WoO27)
アラ・マリキアン(ヴァイオリン)
セロウジ・クラジアン(ピアノ)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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