かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:シューマン ピアノ作品全集11

今月のお買いもの、平成26年6月に購入したシューマンのピアノ作品全集を取り上げていますが、今回は第11集を取り上げます。

まず第1曲目は、8つのノヴェレッテ作品21です。

シューマン : 8つのノヴェレッテ
Schumann, Robert : 8 Novelletten Op.21
http://www.piano.or.jp/enc/pieces/4966/

1838年に作曲された作品で、ノヴェレッテとは、ノヴェル、つまり小説あるいは文庫本と言った意味を持ちます。シューマン自身が「冒険物語集」と呼んだこの作品は、特徴として最後の曲が一番長いという点が挙げられるでしょう。

え、そんなものが特徴として挙げて良いの?と思われるかもしれません。しかしこの作品、シューマンが8曲全体でとらえていたとすれば、それはとても重要な視点なのです。

理由は二つ。まず一つ目は、一番最後が長いと言うのは、そこを強調したいからですから、古典派交響曲のように第1楽章が長いというもののアンチであり、高らかに前期ロマン派がどういった音楽なのかということを宣言している作品である、ということなのです。

二つ目が、最後を強調したいってことは、そこはクライマックスである、ということなのです。それこそ、ロマン派が標榜した音楽であり、人間のドラマを真正面から見据えた作品である、ということなのです。

ですから、最後が長いってことは、実はとても重要な視点です。言わば、8つの作品は小説でいう章立てであり、それはまるでアラビアン・ナイトです。あれ、それではリムスキー=コルサコフになってしまいすって?

ええ、そうですねえ。ということは、リムスキー=コルサコフはこういったシューマンの作品なども念頭に置いているってことになります。単に交響曲的に作曲したのではなく、さらにいろんなものをシェエラザードに入れたということにもなります。

後の時代にシューマンがどれほどの有形無形の影響を与えているか、こんなところからもうかがえるってわけです。

次に、ペダル・フリューゲルのための練習曲作品56です。

ドビュッシー : カノン形式による6つの練習曲「2台ピアノのための」(シューマン原曲)
Debussy, Claude Achille : 6 Etudes
http://www.piano.or.jp/enc/pieces/21678/

あれ?今回はシューマンであり、ドビュッシーではないですよ?と突っ込まれる方もいらっしゃるかと思いますが、実はこの作品、以前ご紹介したペダル・ピアノのためにシューマンが書いた数少ない作品の一つです。

今月のお買いもの:シューマン ピアノ作品全集6
http://yaplog.jp/yk6974/archive/1194

この時、ペダルピアノのための作品を作曲した可能性の一つとして、バッハへの敬意と、依頼主の二つを挙げたと思いますが、まさしくその二つが理由であったわけです。ピティナの解説はそれを雄弁に物語っています。

で、このシューマンの姿勢というものも後世に影響を及ぼしていまして、以前このブログでもご紹介していますが、ドビュッシーはフランス・バロックに範を取った人であったわけです。しかももともとピアニストであり、後期ロマン派以降を代表するピアノ作品の作曲家でもある訳ですから、シューマンの作品を編曲しようとしても全くおかしくないわけです。

オルガンは、チェンバロと共に通奏低音を受け持つ楽器です。その上で共に独奏もする、バロック時代の花形楽器です。ドビュッシーが興味を持っても何ら不思議はないわけです。で、生まれた作品が、ペダルピアノというほとんどお目にかかれない楽器では演奏が難しい作品を、ポピュラーなピアノで演奏できるようにしようとした作品が、ドビュッシーの上記の作品であるわけです。

形而上の世界を表現するという意味において、シューマンドビュッシーは音楽性が共通すると私は思っています。そんな点も、ドビュッシーシューマンのこの作品をピアノ用に編曲した理由であろうと推測しています。

そして、このCDではデムス独奏で行われているわけです。どう演奏しているかがとても興味ありますが、二台ピアノではなく、ペダルの部分の楽譜をそのまま通常の鍵盤の上に落とし込んだとすれば、可能です。問題は落とし込み方(つまり、音楽として連続させるよう記譜するその方法)ですが・・・・・それは私にはさすがにわかりかねます。ただ、どうやっているのかはとても興味ありますね。機会があれば確認したいものです。

少なくとも、何ら不自然な点はありません。原曲と比べればどこか違っている部分はあるのでしょうが・・・・・デムスはごく当たり前に弾いていきます。それが美しく、可愛らしさや陰影が全曲に貫き通されているのが、此方にストレートに伝わってきます。

また、第1曲目のノヴェレッテも、シューマンの作品にも壮大な世界があるということを、しっかりとした演奏で聴かせてくれます。

臨床心理的に言えば様々な側面がこれら二つの作品でも言えるのですが、端的に言えば、「どこが病的なの?」というのがこの二つの作品であり、デムスはそれをあまり奇をてらうことなく、しかしかなり揺れながら演奏し、それは確実に聴き手にシューマンの「歌」を想起させるに十分です。

この第11集ははっきりと、編集方針としてシューマンが目指した音楽というものが呈示されています。バッハ以来の伝統を大切にしつつ、それを打破しようとする気風に満ちあふれています。

私達はシューマンを「病的」とだけ捉えるのではなく、もっと多面的に捉える必要があるということを、この第11集ははっきりと宣言していると言えましょう。




聴いているCD
ロベルト・シューマン作曲
8つのノヴェレッテ作品21
ペダル・フリューゲルのための練習曲作品56
イェルグ・デムス(ピアノ)
(ARIOSO Ari107-11)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




このブログは「にほんブログ村」に参加しています。

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシックCD鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ 合唱・コーラスへ
にほんブログ村