今月のお買いもの、平成26年6月に購入しました、シューマンのピアノ作品全集をシリーズで取り上げていますが、今回は第12集を取り上げます。
まず第1曲目は、色とりどりの小品作品99です。
シューマン : 色とりどりの小品
Schumann, Robert : Bunte Blatter Op.99
http://www.piano.or.jp/enc/pieces/4853/
ピアニストが参照するピティナは本当に便利です。此方を参照するほうが、少なくともピアノ作品に関してはネット・リテラシーに照らし合わせていいように思います。
簡単に言えば、この作品は、それまでシューマンが未発表だった作品を「ごった煮」にして出版したものです。様々なジャンルの作品が一緒くたになっているさまは、一見すると異様ですが、不思議なことに、次から次へといろんなジャンルが聞けることで、一つのBGMのような効果をもたらします。
その理由として、大きく分けて3つの部分に分かれているからだと思います。第1部は「3つの小品」。第2部が「5つの音楽帳」。そして第3部が、主に行進曲から成るごった煮です。
このような構成になっていることから、聴衆には統一性を感じさせるのだと思います。クラシックCDですと、そんなアルバム構成ってありますよね?この作品はまさしく、同じ効果を持っているのです。
第2曲目が4つのフーガです。
シューマン : 4つのフーガ
Schumann, Robert : 4 Fugen Op.72
http://www.piano.or.jp/enc/pieces/4836/
まさしく、そのものずばりなんですが、とてもフーガらしいフーガです。え、フーガなんだからそんなの当たり前でしょ?と思われるだろうと思いますが・・・・・
実際聴きますと、驚きを禁じ得ません。バッハのようなそのフーガは、私達が知っている、哲学的で作品によっては病的なシューマンとは、全く異なるものだからです。しかし、「哲学的」という言葉を言い換えれば「知的」「頭脳的」とも言えるでしょう。このフーガ作品集は、とても知的で、シューマンの「哲学的作品」の原点であると言えます。
そもそも、シューマンはバッハを尊敬していました。その延長線上に、この作品はあります。ショパンが練習曲でバッハを投影したように、シューマンも彼なりにバッハを自分の作品に投影したのでした。
視点を変えれば、それだけバッハはシューマンが生きていた時代、鍵盤楽器の大家として著名であったことが分かるのです。宗教曲、特に声楽曲はほとんど顧みられることはありませんでした。それを嘆き、スポットライトを当て、後世に継承する種をまいたのが、メンデルスゾーンだったのです。そして、そのメンデルスゾーンの活動に、鍵盤楽器の大家として尊敬していた、シューマンら前期ロマン派のピアノ作品作曲家たちも、影響と刺激を受けたのでした。
交響曲ならまだしも、ピアノ作品であまりにも病的な部分だけを取り出すのは、私は違うのではないかという想いが、ここまで聴いてきて湧き上っています。シューマンは得意なピアノであるからこそ、自分の音楽性のすべてを作品に投影し、反映させているのではないかと思っています。それは、バッハ以来の伝統であり、その上での新しい音楽であり、自分の内面の投影でしょう。だからこそ、病的な部分も出ますし、そしてそれを出すことを恐れていません。
そして、出したことを正当化するのではなく、きちんと芸術作品として昇華させ、病的な部分を手放そうとしています。ここに、シューマンがベートーヴェンから受け継ぎ、洗練させた音楽が存在していると確信しています。偉大な作曲家たちがいたバロック〜古典派という時代に押しつぶされそうになりつつも、しっかりと自分たちの時代を切り開いていこうとする姿勢が、私には見えてきます。
次の作品は、4つのマーチです。
シューマン : 4つの行進曲
Schumann, Robert : 4 Märsche Op.76
http://www.piano.or.jp/enc/pieces/4840/
フーガにしても、行進曲にしても、特徴として音楽指示はドイツ語です。その上で、行進曲に関しては、リズムとしてはマーチですが、勇ましいとはあまり言えません。シューマンらしい知的で、どこか斜に構えた部分がある行進曲です。とても哲学的なマーチというべきでしょうか。
4曲目が、スケルツォヘ短調です。
シューマン : スケルツォ ヘ短調
Schumann, Robert : Scherzo f-Moll (Op.14)
http://www.piano.or.jp/enc/pieces/1823/
ウィキの「シューマンの楽曲一覧」では、WoO5-1のスケルツォ・ヴィヴァーチッシモとされているのがそれに当たります。
シューマンの楽曲一覧
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%A5%BD%E6%9B%B2%E4%B8%80%E8%A6%A7
作品14とは、つまりピアノ・ソナタ第3番です。もともと第2楽章の後ろに置かれていたものですが、削除されたのがこれです。わずか3分ほどの作品なのですが、なぜこれを削除したのだろうと思う、秀作です。協奏曲とソナタの違いでなのかもしれませんが・・・・・
最後が、アレグロ作品8です。
シューマン : アレグロ ロ短調
Schumann, Robert : Allegro h-Moll Op.8
http://www.piano.or.jp/enc/pieces/331/
確かに、ソナタの第1楽章としてもいいような、壮大な内容を持っています。しかも、「アレグロ」です。まさしく何かの第1楽章と言ってもいいですね。
シューマンとしては、この作品を素材に、多楽章を展開しようとしたのでしょう。しかし、どんな理由かわかりませんが、この一楽章だけで終わったことになります。しかしシューマンはこの作品にある程度の自信を持っていたのでしょう。WoOではなく作品番号が付けられたのでした。
もしかすると、シューマンはこの作品を温めて置いて、どこかで使うつもりだったのかもしれませんし、或は、何かの序曲として演奏会で使うつもりだったのかもしれません。
ここまで聴いてきますと、この第12集の編集方針がおぼろげながら見えてきます。シューマンの音楽の原点。それが方針として貫かれているように思います。或は、シューマンの「音楽」とは?です。
果たして、「病的」という言葉だけで、表現できるのかということです。勿論、それで語ることも十分可能ですし、特に指揮者シノ―ポリは精神科医師として論文を書いているほどです。しかし、それだけなのでしょうか?
この第12集は、端的に言えば私たちに「本当のシューマン像」というものを、呈示しているように思うのです。
デムスはこの第12集では本当に端正さが前面に押し出されている演奏をしています。テンポの揺れも少なく、まるで古典派の作品を演奏するかのようです。それでいて、ロマンの香りがします。まるでデムスから「皆さんが知っているロマン派の作品は、ぞれで全てだと思っていませんか」と言われているかのような気がしてならないのです。
このあたりは、デムスはオーソリティだなあと思います。
聴いているCD
ロベルト・シューマン作曲
色とりどりの小品作品99
4つのフーガ作品72
4つの行進曲作品76
スケルツォヘ短調WoO5-1
アレグロ ロ短調作品8
イェルグ・デムス(ピアノ)
(ARIOSO Ari107-12)
地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。
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