かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:マイスターとウィーン放送交響楽団によるマルチヌー交響曲全集1

東京の図書館から、今回から3回シリーズで、府中市立図書館のライブラリである、コルネリウス・マイスター指揮ウィーン放送交響楽団の演奏によるマルチヌーの交響曲全集を取り上げます。

コルネリウス・マイスターはドイツの若手指揮者でピアニストです。ハノーファー音楽演劇大学で指揮を大植英次に師事しており日本とも関係が深く、2017年4月~2020年3月まで読売日本交響楽団の首席客演指揮者も務めました。

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また、ウィーン放送交響楽団オーストリアの放送交響楽団で、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団ウィーン交響楽団と並び比較的有名なオーケストラでもあります。

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そんなコンビが演奏するのが、チェコ20世紀の作曲家、マルチヌーの交響曲です。このブログでも2つ全集を取り上げていますが、最近全集成なり録音が増えてきている作曲家でもあります。私自身もマルチヌーの交響曲は好んで聴いておりノイマン指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団のものをスマホに入れているくらい好んで聴いています。そのためオーストリアのオーケストラとドイツ人の指揮者という組み合わせにも惹かれ、借りてきた次第です。

今回の第1集では、第1番と第2番が収録されています。

交響曲第1番
交響曲第1番は1942年に作曲された作品です。そのタイミングのせいか、暗い影も落とす旋律も散見される作品です。

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和音からすれば20世紀音楽特有の不協和音連発ですが、形式的には古典的な範疇に収まっています。その二つが織りなす精神性を、マイスターはオーケストラに存分に歌わせています。第1楽章のメルヘン的な和声は情感たっぷりに、また第4楽章の第1主題はまるで戦争により叫ばされているかのような激しさ。それが古典的な形式の中で紡がれているということの意味を、しっかりと掬い取っているように聴こえます。

交響曲第2番
交響曲第2番は、1943年に作曲された作品で、クリーヴランドチェコ人より委嘱されました。

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第1番に比べると暗い影は少なくなっており、むしろ祖国への希望に満ちています。その意味を掬い取るかのような、喜びに満ちた演奏は美しいものになっています。勿論まだ大戦中ですからその影もないわけではないのですが、ちょうど戦局も好転して来たところで、マルチヌーの心もどこかに希望が見えてきたかのような作品の魂が演奏家によって再現されているように聴こえるのです。

さて、この2つはマルチヌーが戦争を避けアメリカで活動していた時代の作品ですが、戦争が作品に影響しているはいえ、コントラストがあるのも特徴です。実はこの全集は番号順に収録されていますが、番号順に並べること図らずもで2つの作品のコントラストが明確になっているのも聴きどころの一つです。特に第2番の最後は希望に満ち、2025年という現代であってもその喜びがひしひしと伝わってきます。マイスターとオーケストラもまた、作品に対して共感と普遍性を見ているように感じるのも好印象。素晴らしい演奏です。

 


聴いている音源
ボフスラフ・マルチヌー作曲
交響曲第1番H.289(1942年)
交響曲第2番H.295(1943年)
コルネリウス・マイスター指揮
ウィーン放送交響楽団

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