かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:ノイマンとチェコ・フィルによるマルチヌー交響曲全集2

東京の図書館から、3回シリーズで取り上げております、ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏によるマルチヌーの交響曲全集、第2回の今回は2枚目に収録されております、第3番と第4番を取り上げます。

第3番は1944年、第4番は1945年の作曲とあって、それぞれ曲調は正反対ですが、しかしマルチヌーらしさが全面にでた作品であることは間違いありません。

録音は1978年。まだチェコチェコスロヴァキアとして共産国でした。しかも、「プラハの春」以降。そんなチェコの現状を反映するかのような、複雑さと繊細さが演奏には同居します。第4番は戦争が終わって喜びを表現しているとは言われますが、この演奏を聴いている限りでは単純に喜んでいるようには見えません。

そもそも、マルチヌーの作品は単純なものではないと私は考えています。ですのでこのチェコ・フィルの演奏はさすがのスコアリーディングであると思います。第4番は喜びというよりは、ホッとするというような。

マルチヌーの交響曲には調性指定がありません。それをどうとらえるかが演奏の肝だと思います。ノイマンチェコ・フィルはまさにその「調性指定がない」という点に最大限配慮した演奏をしているように思います。それゆえに紡ぎだされる世界は、とても複雑で、しかしとても暖かいものとなっています。

人間の内面を表現するために、音楽の手法はどうあるべきか・・・・・20世紀音楽はその手法が次々と変わった時代をまさに象徴するものであると言えるでしょう。マルチヌーが選択した「調性なし」は、複雑な人間の内面を表現したいからこそであると考えられましょう。次々と変わる音楽としての「場面」が、明確にチェコ・フィルならではのサウンドで表現されていると言えます。

特に第3番のように、時代に閉塞感を感じるような背景を背負っているような作品こそ、その複雑な表現が似合うはずです。ノイマンのタクト、そしてそのタクトから紡ぎだされるチェコ・フィルの演奏は、マルチヌーの描く「複雑な内面」への共感に溢れています。

 


聴いている音源
ボフスラフ・マルチヌー作曲
交響曲第3番
交響曲第4番
ヴァーツラフ・ノイマン指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

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