神奈川県立図書館所蔵CD、モーツァルト全集からピアノ小品をご紹介していますが、今回はその第4回目になります。この第4集は「ごった煮」って言う感じです。
何故なら、収録されている曲は、新モーツァルト全集の分類では、ソナタと小品に分かれるからです。
ソナタに分類されているのは、
・幻想曲ニ短調K.397(385g)
・ロンド ニ長調K.485
・ロンド イ短調K.511
の3つであり、以下残りの
メヌエット ニ長調K.355(576b)
アダージョ ロ短調K.540
小ジーグ ト長調K.574
3つが小品の分類になっています。上3つはソナタ形式であるからなのですが、実は小ジーグK.574もソナタ形式風になっているので、微妙なところです。
其れよりも重要なのは、K.511と540はともに短調ですが、まるでベートーヴェンのピアノソナタのような趣を持っていることです。
二つの分類でともにベートーヴェンを用意しているかのような作品が現れると言う点が注目だと思います。共にウィーン時代の作品で、K.511が1787年、540が1788年の作曲と、ウィーンに出てしばらくたって、名声が確立した時期に作曲されている作品なのです。
ちょうどこのころ、ベートーヴェンが神童としてもてはやされる時期に当ります。1787年と言えば、ベートーヴェンがウィーンに旅行に行った年なのです。その年に、まるでベートーヴェンと見まごうような作品が作曲されているのは、偶然とはいえ興味深い点です。
ベートーヴェンがK.511を聴いたかはわかりませんが、演奏機会が全くないともいえない当時の社会を鑑みれば、この時期以降のモーツァルトの短調作品が、ベートーヴェンの創作の、イメージとしての基礎になっているのかもしれません。
ベートーヴェンはさらに、重厚で高貴な作品を書いたわけなのですが、このモーツァルトの作品たちは気品に満ち、それでいて平明さを持つ作品です。
メヌエットはケッヘル番号では若くなっていますが、実は1789年もしくは90年に作曲されたと言われている作品で、不協和音が鳴り響く実に個性的な作品です。私などは偽作ではないの?と思ってしまうくらいですが、学者からは「モーツァルト事典」を参照する限りそういう声はないようです。
こういう作品たちを聴きますと、自分が若いころ「モーツァルトは軽薄だ!」と言っていたのが本当に恥ずかしくなります。実に生真面目で、シャイで、でも面白くて・・・・・実に人間臭く、仲良しになりたい人です。そういった内面が作品から滲み出ています。
この演奏は内田光子さんですが、実に淡々と弾いていますがそれが実に味のあるものになっています。モーツァルトの作品はともすれば楽しいものや快活なものがクローズアップされますが、神経症的でもあった彼の内面が現れているこれらの作品が私たちにじんわりと語りかけるのを手助けしています。其れゆえに、この6つの作品たちを雄弁に語らせているのです。
全集ならではのスポットライトなのですが、こういった「渋い」作品たちが、晩年のモーツァルトの名作を生み出す基礎になっていることは間違いなく、それらの作品が後の作曲家たちにさらに影響を与えていきます。特に、前期ロマン派の作曲家たちに・・・・・
音楽史を俯瞰しながらも、作品が持つ魅力をきちんと私たちに伝えてくれるこの演奏は、感謝の言葉しか浮かんできません。
聴いている音源
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作曲
メヌエット ニ長調K.355(576b)
幻想曲ニ短調K.397(385g)
ロンド ニ長調K.485
ロンド イ短調K.511
アダージョ ロ短調K.540
小ジーグ ト長調K.574
内田光子(ピアノ)
地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。
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