かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:フォーレ 歌曲全集3

東京の図書館から、4回シリーズで府中市立図書館のライブラリである、フォーレの歌曲全集を取り上げていますが、今回の第3回は第3集を取り上げます。

第3集では、比較的作品番号でまとまっているうえ、番号順にもなっています。中でもこの第3集でメインなのは、1905~6年にかけて作曲された「イヴの唄」です。

www.ne.jp

en.wikipedia.org

歌詞はレルベルグ。ベルギーの詩人です。この第3集も含め、フォーレは「象徴派」の詩人の詩を取り上げているように見えます。そういえば、上記HPではフォーレドビュッシーの好敵手とあり、印象派とされていますが、実はドビュッシー自身は「象徴主義である」と語っているんですね。むしろ印象派と言われるのがフォーレなのですが、和声的には近しい関係です。むしろ、本当に印象派と言えるのはどの作曲家なのかということもあるかもしれません。もしかすると、音楽においては印象派というのは存在しないのではないかとすら思えてきます。

特に、前回と今回で聴く作品たちは、歌詞は意味深で、何かを象徴していると考えるほうが自然なのでは?と思います。その表現として、絵画では何かをぼやかして描くという手法がとられ、「印象派」と名付けられたようにも思えます。

それよりも、文学と深くかかわる歌曲においては、印象派と言われる人たちでも文学における「象徴派」の詩に多く楽曲が作られていることに驚きます。そして、象徴主義であれ印象派であれ、実にフィットした和声になっていることに驚きます。そこにフォーカスするような評論は、少なくともネット上ではみうけられません。実際、ネット検索しますと、ドビュッシーであれフォーレであれ、作詞した詩人の名前は出てきません。少なくとも日本語ウィキにはありません。かろうじて英語版に存在します。これは、我が国の19世紀から20世紀におけるフランス音楽受容の仕方に、どこかフィルターがかかっているように思えます。

その意味では、上記HPで挙げられている、河本氏の「フォーレとその歌曲」は、一度図書館で借りてきてもいい著作だと思います。まあ、府中だとCDを含め3点までしか市外在住者は借りることはできないので、なかなかヴォリュームの問題がありますが・・・・・小金井にあるといいのですが。

しかしながら、単に楽曲を聴き、とりあえずネット検索してみるだけでも、多くの情報が得られるのは確かです。いや、詩人の名前は検索しても英語版しかないんでしょ?と言われるかもしれません。おっしゃる通りです。ですが、「日本語での解説がない」ということがわかるわけです。それは意味のあることなのです。いかに我が国がドイツ音楽やドイツ文学に偏向しているのかがわかろうというものです。そしてその状態は果たしていいことなのか?と自身に問いかけることが出来ます。

ベートーヴェンの神格化、そして戦争中のベートーヴェン礼賛が、どこか戦後日本をおかしな方向へと導いていないだろうかと考えるきっかけを与えてくれます。それだけでも、図書館は十分役割を果たしていると言えるでしょう。そこから先は、私たち市民一人一人の役割でしょう。ベートーヴェンは私自身大好きな作曲家ですし、クラシック音楽の作曲家の中で最も崇高だと思っている作曲家ですが、とはいえ、その姿勢の中に、ベートーヴェンを神格化していることはないだろうか?と省みることが出来ます。自分を俯瞰できることにより、間違った姿勢を持っていないだろうかとチェックすることもできます。その機会を、図書館はたくさん与えてくれる場所である、と言えるのです。これに感謝しないでなんでしょうか?その意味でも、ツタヤ図書館は果たして、図書館としての役割は果たしているか?と私自身は思います。人々が集まる場所を作るという意味では成功していると思いますが、図書館の役割とは、単に人が集まる場所を提供することだけなんでしょうか?それなら、単にサロンがあればいいだけと考えるのは私だけなのでしょうか・・・・・

この第3集のメインである「イヴの唄」ですが、ネット検索しますと「歌」とされているものもあります。また、第6曲「生命の水」は上記ホームページのように「活きている水」と訳しているものもあります。むしろ「活きている水」というほうが、象徴派に影響を与えたレルベルグらしい和訳であるように感じます。アメリンクの力強くしなやかな歌唱も相まって、深く考えるきっかけになるような楽曲です。こういうところがプロなんだなあと思います。いや、歌の性格が、19世紀末や20世紀初めと現代では変わってしまっていると言えるのかもしれません。ですがどんなジャンルであれ、歌は歌です。歌詞の意味と力を、表現によって伝えていくのが歌手だと、私は思います。どんな時代であれ、それは変わらないのではないでしょうか。

世のジャニーズたたきを見ながら、アメリンクやスゼーの歌唱を聴くに、そう思わざるを得ないのです。勿論、性加害はいけないことですが、しかし私たち自身が歌とは何か、芸術とは何かを考えてきたのか?ということもまた、問われねばならないのではないでしょうか。

 


聴いている音源
ガブリエル・フォーレ作曲
アルペジオ(詩:サマン)
②メリザンドの唄(詩:メーテルリンク
③牢獄 作品83-1(詩:ヴェルレーヌ))
④夕暮 作品83-2(詩:サマン)
⑤九月の森で 作品85-1(詩:マンデス)
⑥波にただよう花 作品85-2(詩:マンデス)
⑦伴奏 作品85-3(詩:サマン)
⑧いちばん美しい道(マドリガル)作品87-1(詩:シルヴェストル
⑨山鳩(マドリガル)作品87-2(詩:シルヴェストル
⑩沈黙の贈物 作品92(詩:ドミニック)
⑪小唄 作品94(詩:ド・レニエ)
⑫ヴォカリーズ
「イヴの唄」作品95(詩:ヴァン・レルベルグ
⑬1.楽園
⑭2.最初のことば
⑮3.燃えるばら
⑯4.何という神の輝き
⑰5.白いあけぼの
⑱6.生命の泉
⑲7.夜も目覚めているのか、陽の光のような私の薫りよ
⑳8.白いばらの薫りのなかで
㉑9.たそがれ
㉒10.おお死よ、星くずよ
エリー・アメリング(ソプラノ)
ゲラルド・スゼー(バリトン
ダルトンボールドウィン(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。