神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、クープランのクラヴサン作品全集を取り上げてますが、今回はその第6集です。
収録されているのはクラヴサン曲集第3巻第18組曲、第15組曲、第16組曲の3つです。このあたりになると、一つ一つの曲が長くなっています。
それだけ、展開も様々になっており、単に楽しいというだけではなく、表現も豊かになっています。それまで、跳ねる感じが多かったクラヴサンが、しっとりし始めています。
これは後の古典派、特にベートーヴェンが登場するのをすでに用意したかのような感じです。味わい深いです。
ブーレイもそのせいか、あまりはしゃいで弾くことはなく、むしろ落ち着いて弾いています。作品そのものが気品を持っていますが演奏も同様に気品を保っており、弦が弾かれて残響が残っている感じすら聞き取れるくらいです。
クラヴサン、つまりチェンバロが、ここまで味わい深い、さまざまな表現ができる楽器だったとはと、驚くばかりです。もしかすると、宇宙を表現できるようにと開発されたのがピアノなのかもしれません。チェンバロなら地上を表現できる、でも宇宙まではできない、だから・・・・・と言うわけです。
勿論、これは私がこの第6集を聴いて想像したまでの事です。でも、クラヴサンでどこまでも標題音楽がクープランによって書かれていることを考えると、新しい楽器に作曲家が注目するのは当然だと思います。なぜならば、クラヴサンですでにかなりの物事がクープランによって表現されているからです。それを超えるためには、新しい楽器を使わない限り、難しかったことでしょう。たとえ技法や様式で新しいことをしたとしても。
モーツァルトとベートーヴェンが、その典型であるわけです。鍵盤楽器に絞れば、リストもそうですし、ショパン、印象派のドビュッシー、ラヴェル、フォーレもそうだと言えます。
特にこの第6集に収録されている作品たちを聴きますと、ドビュッシーの象徴主義音楽にも聴こえてきますから不思議です。
フランス市民革命が終わり、真に市民が主役の時代になった時、フランスはドビュッシーと言う作曲家をして、クープランを復権せしめた、とも言えるのも知れません。ドビュッシーが聴けるようになった私からすれば、特に第16組曲などはもう垂涎の連続で、聴いていて喜びすら感じてきますから不思議です。それはブーレイが自然体で演奏しているように、作品に対してリスペクトしている様子が、私に伝わってきているからなのかもしれません。
聴いている音源
フランシス・クープラン・ル・グランド作曲
クラヴサン曲集第3巻第18組曲
クラヴサン曲集第3巻第15組曲
クラヴサン曲集第3巻第16組曲
ローランス・ブーレイ(クラヴサン)
地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。
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