かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から〜小金井市立図書館〜:グリーグ 抒情小曲集3

東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリのグリーグ、抒情小曲集の第3巻をご紹介します。

グリーグは抒情小曲集を全部で10作品書いていますが、この第3巻には第8集〜第10集が収録されています。

順番とは言え、かなり濃い内容が並んでいると言えましょう。それだけ、円熟味はさすがに番号が増えるにしたがって増していると言えるかと思います。

第8番は最終楽曲の「トロルドハウゲンの婚礼の日」が有名で、この1曲でグリーグの抒情小曲集を代表しているかのような印象も受けます。確かに抒情小曲集で一番有名な楽曲ですから。

でも、多分ここまで聴いて来れば、私に限らず、それは違うんじゃないかって思うのではないでしょうか。確かに「トロルドハウゲンの婚礼の日」は素晴らしい楽曲です。爽快さと泥臭さが混然一体となった、どこか懐かしい楽曲はとても親しみやすい曲です。

しかし、「抒情小曲集」なんです。もっと深い心の内が表現されている楽曲も他に同居しています。その中でこそ、「トロルドハウゲンの婚礼の日」はその泥臭さが光るんです。

演奏する館野氏は、テンポが幾分速めです。その理由は特に解説で触れていませんが、私はこう推理しています。これは婚礼の日というテーマです。その喜びなど、婚礼に関する様々な事柄が、音楽で表現されているものです。それを「抒情」という切り口で、どこか遠くから眺めている・・・・・

だからこそ、どこかしらいくぶんテンポが速いのだ、ということです。多分、もう少しどっしりとした、他の演奏家のテンポに慣れているひとだと、面喰うんじゃないでしょうか。でも全体の中で聴きますと、不思議とその速めのテンポは全く気になりません。むしろ普通です。

これが全集を聴く醍醐味です。「トロルドハウゲンの婚礼の日」が名曲であることはわたしも判り切ったことです。でも、その名曲を改めて全体の中で聴いてみると、そうか、この作品は婚礼の日というのがテーマだったんだよな、と確認できるわけです。

第9集、第10集と行くにつれ、さらに遠くで見つめるような作品が多くなります。「トロルドハウゲンの婚礼の日」のいくぶんハイテンポから一転、ゆったりとしたテンポに落ちつき、まるで静かにフェードアウトしていくかのようです。

グリーグがどのような意図でそのように作曲したかはわかりませんが、館野氏は、まるでグリーグが死を予感しているかのように弾くのです。特に顕著なのが第10集最終第7曲「余韻」です。

「余韻」は、第1集の第1曲がリズム変化したものです。つまり、最初に戻るんですよね。なぜグリーグがそんな作曲をしたのか。そしてなぜ「余韻」なのか・・・・・館野氏は仮説として、死を目前にして人生を振り返るという解釈をしていると私は推理したのです。

というのも、第10集はリズミカルな曲もあれば、スローテンポの曲もあります。和声的な作品もあれば、不協和音鳴り響くものもあります。特に第10集は20世紀に入って作曲されたものであるがゆえに、20世紀音楽のエッセンスも入ってるとも言えるでしょう。それでもなぜ、見た目相反するような作品が一堂に並んでいるのか・・・・・それは、人生を振り返っているからだと考えれば、わからないわけでもありません。

特に、第10集を聴けば、「トロルドハウゲンの婚礼の日」とは異質なものを感じる筈です。やはり、抒情小曲集は全部を聴いてみないと分からないなと思いますし、だからこそ図書館で全曲を借りてきて本当によかったと思います。もし機会があれば、今度は府中あたりで館野氏以外のピアニストの演奏を借りてくることができたらなって思います。




聴いている音源
エドゥアルド・グリーグ作曲
抒情小曲集第8集作品65
抒情小曲集第9集作品68
抒情小曲集第10集作品71
舘野泉(ピアノ)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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