東京の図書館から、今回は小金井市立図書館のライブラリである、ウラディーミル・アシュケナージ指揮ロイヤル・フィルハーモニー交響楽団の演奏によるショスタコーヴィチの交響曲第8番他を収録したアルバムをご紹介します。
交響曲第8番だけであれば、ああ、そうなのねで済むとは思うのですが、このアルバム、実は二つカップリングされており、それが葬送と勝利の前奏曲と、ノヴォロシースクの鐘の二つです。このどちらも、いわゆる「レニングラード包囲戦」をテーマにした、追悼の音楽です。
上記3つの頁のうち、上二つがオーケストラ・ダスビダーニャの関係者だというのも興味深いのですが、まさにこのアルバムは、まるでオーケストラ・ダスビダーニャの定期演奏会だと思うような内容です。交響曲第8番も、レニングラード包囲戦をテーマにした曲であり、かつ追悼の内容を持った作品です。
とはいえ、さすがのオーケストラ・ダスビダーニャもここまでレニングラード包囲戦をテーマにした定期演奏会を開いてはおらず、オーケストラがロイヤル・フィルハーモニー交響楽団というイギリスのオーケストラでありながら、オール・ショスタコーヴィチ・プログラムでありかつオール・レニングラード包囲戦追悼プログラムというのは珍しいと思います。まさに、メッセージ性の強い内容だと言っていいでしょう。録音は交響曲第8番とそれ以外とでは日時が異なりますが、同じワルサムストウ・タウン・ホールでの収録と、まるで同じコンサートで演奏されたかのような編集になっているのも興味深いです。
それは、アシュケナージの人生と、当時の国際情勢が反映されたのではと個人的には思っています。まず、アシュケナージはソ連生まれのユダヤ人ですが、1963年にソ連を出国しロンドンへ移住、その後奥様の祖国アイスランドへ移住し国籍を取得しました。
そのうえで、このアルバム収録当時、ソ連はアフガニスタンへ侵攻中で、その行為を国際的に非難されていた状況でした。
それに対する意見表明の手段として、アシュケナージが選んだのが、二重言語という方法だったと考えますと、整合性が取れるように思うのです。当時まだソ連が存在しており、国籍を変えていたとはいえ、KGBの影というものもあったはずだと考えれば、あながちあり得なくもないと思っています。つまり、アフガニスタンでソ連が行っているのは、「大祖国戦争」の時のレニングラードとどこが違うのか?という問いです。アフガニスタン=レニングラード、というわけです。
このメッセージがどれだけソ連国内に届いたのかはわかりません。実際、紛争が終るのはこの録音から7年もあとです。しかし、ひそかに聴いていた人もいたでしょう。そのことに、アシュケナージが想いを馳せた可能性は十分あると考えます。オーケストラは外交手段になることもしばしばですし、このアルバムが明確なメッセージを持っている可能性は否定できないでしょう。
実際、演奏を聴いていても、オーケストラの集中力は素晴らしいですし鎮魂の思いがひしひしと伝わってきます。どこかオーケストラがアシュケナージの想いに共感し、ゆえにショスタコーヴィチが曲に込めた想いにも共感している様子が伝わってきます。プロオケが高いレベルで共感した時、どんな化学反応が起こるのかを、如実に経験できる一枚でしょう。こういう資料を揃えるのが、図書館の役割の一つでもあるのですよね。単に客寄せパンダのようにいろんな施設を図書館に作り提供すればいいというものでもありません。全国の図書館には、その予算の関係もありますから、今一度図書館の資料とはいかなるものかを、考え直していただきたく存じます。仮にデータの時代に移ったとしても、図書館が基本的にオープンアクセスであるということを、どこまでデータという海の中で行うかは、本やCDの時代と何ら変わりありません。その哲学無き図書館は存在意義を疑われてしまいかねないと思います。国土が狭い我が国にとって、教育が重要なのであれば。、知識の集積である図書館の役割はさらに増すのですから。
聴いている音源
ドミトリー・ドミトリエヴィチ・ショスタコーヴィチ作曲
葬送と勝利の前奏曲(スターリングラード戦の英雄の追悼のために)
交響曲第8番作品65
ノヴォロシースクの鐘(永遠の栄光の火)
ウラディーミル・アシュケナージ指揮
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
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