かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:スクロヴァチェフスキと読売日本交響楽団によるショスタコーヴィチ交響曲2

東京の図書館から、2回シリーズで取り上げております、小金井市立図書館のライブラリである、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮読売日本交響楽団の演奏によるショスタコーヴィチ交響曲集、今回は第2回目として第11番を収録したアルバムをご紹介します。

まず、この演奏を論じる前に、ショスタコーヴィチ交響曲第11番という曲がどういうものかをおさらいしておきましょう。ショスタコーヴィチ交響曲第11番は1957年に完成した作品。スターリンが亡くなり、雪解けの雰囲気が醸成されつつあった時代に作曲された作品で、「1905年」という表題もついている通り、ロシア革命を扱った作品ですが、二重言語という指摘もあります。

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では何が二重言語なのかと言えば、この曲はロシア革命の中でも、「血の日曜日」と言われる事件を扱っていますが、それが当時発生していたハンガリー動乱に重なるという点です。「血の日曜日」事件とは、1905年にロシアの民衆が皇帝に対して請願行動を取ったことに対し軍隊の発砲で対応し、多数の犠牲者が出た事件ですが、それがハンガリー動乱と重なるということです。本来、皇帝の圧政から解放したはずのロシア革命が、今度はかつての皇帝軍と同じことをハンガリーで祖国が行っていることへの批判、という解釈です。

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恐らく、まともにハンガリー動乱に対してハンガリー側に立つことを表明してしまえば逮捕されシベリアへ送られ、下手すれば死すらあり得る状況です。そのため、ロシア革命讃歌を書くことで「でも、皇帝軍と同じことを今ソ連軍もやっている。それでいいのだろうか」という問題提起を行っているということです。ショスタコーヴィチの性格を考えますと、その可能性は否定できないでしょう。

では、それがスクロヴァチェフスキの解釈にどのようにつながるかと言えば、スクロヴァチェフスキがポーランド人であるということを抑えておく必要があると思います。つまり、ドイツやソ連という大国のはざまにあって、苦く苦しい経験をしたポーランド人だからこそ、この二重言語が理解できるゆえの共感です。

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かつて、皇帝軍が民衆に対して発砲したように、ソ連軍もポーランド民衆に対して圧制を敷いている。そして、ハンガリーにもその火の粉は飛んだ・・・そして、ポーランドでは「連帯」が組織され、後に民主化を達成したという歴史の待っただ中に生きたのが、スクロヴァチェフスキです。その人生経験が、解釈に深く影響した可能性が否定できないのです。

重々しい第1楽章、激しさを増す第2楽章。苦しみながらもまるで神をあがめるかのように自由を希求する第3楽章。その後に起きる第1革命を予感させる第4楽章。各楽章が繋がって演奏されることで一つの交響詩のように聴こえる効果もある作品に於いて、後のソ連解体から東欧諸国、特にポーランドが歩んでいく道筋が、ロシア革命の経緯に似ているように、スクロヴァチェフスキには感じるのではないでしょうか。特に、第2楽章と第4楽章の激しさは圧巻!もちろん、そのスクロヴァチェフスキの解釈に見事に対応する読売日本交響楽団のレベルの高さ!

つまり、ポーランド人であるスクロヴァチェフスキだからこそ、本当にショスタコーヴィチが言いたいことを掬い取っているのではという共感が、オーケストラ側にもあるようにしか聞こえないのです。それは、ショスタコーヴィチを主に取り上げる、オーケストラ・ダスビダーニャのようにも聴こえます。というよりもそっくり!もちろん、読売日本交響楽団のほうがレベルが高いのですが。しかし、どちらのオーケストラも、その魂の叫びだったり、内なる苦悩だったりを絶妙に表現していることに変わりありません。ですが、その表現をしっかり行うためには、それなりのレベルの高さが要求される曲でもあります。そのレベルを演奏し表現するだけの実力を持っているさまもまた、聴いていて圧巻です。

そして、私が思うのは、この読売日本交響楽団の演奏に影響を与えたのは、本当にスクロヴァチェフスキだけなのか?という点です。上記で、オーケストラ・ダスビダーニャの解釈に似ていると書きましたが、オーケストラ・ダスビダーニャ第1回定期演奏会が行われたのは1993年1月31日。この頃、まだ日本のプロオーケストラではあまりショスタコーヴィチが取り上げられることは少なかったのですが、21世紀に入り、急上昇していきます。特に、東日本大震災以降、プロオケのコンサート・ピースにショスタコーヴィチ交響曲が載ることが多くなりました。その立役者の一つが、オーケストラ・ダスビダーニャの活動であるように、私には思えてならないのです。

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オーケストラ・ダスビダーニャも、交響曲第11番を初めて演奏したのは1997年2月11日。東京芸術劇場でです。この録音は干支が一つ回った12年後の2009年9月30日、サントリーホールです。アマチュアから始まった動きが、プロまで波及したように見えるのは私だけなのでしょうか・・・

プロオケが演奏するということは、アマチュアとは異なる、プロらしい演奏とストーリーを持つことが重要になります。その点、指揮者がスクロヴァチェフスキであると言うことは、団員の作品に対する共感を呼び起こすにはもってこいのストーリーを持った人物であると言えるでしょう。故に、アマチュアと似ているにしてもさらに圧巻な演奏を披露し、感銘を受ける演奏になっているように思います。さすがプロと言わしめるだけの説得力。それこそが、プロオケを聴きに行く醍醐味ですし、アマチュアのコンサート以上のチケット代を払う意味ではないでしょうか。アマチュアのレベルが上がった今だからこそ、プロの演奏とは?という視点が、私達聴衆にも必要であると思います。

 


聴いている音源
ドミトリー・ドミトリエヴィチ・ショスタコーヴィチ作曲
交響曲第11番ト短調作品103「1905年」
スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮
読売日本交響楽団

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