東京の図書館から、今回と次回の2回に渡り、小金井市立図書館のライブラリである、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮読売日本交響楽団の演奏によるショスタコーヴィチの交響曲を演奏したアルバムをご紹介します。
まず第1回目の今回は、ショスタコーヴィチの交響曲第10番を演奏したアルバムになります。ショスタコーヴィチの交響曲第10番と言えば、スターリン死後に発表され、スターリン時代の批判とも言われる曲になります。
少なくとも、ウィキペディアの記述を見てみる限りでは、単なるスターリン批判という単純なものではなく、むしろ鬱屈した時代の自身の内面を表現したものととらえるのが筋であり、そのテクストにおけるスターリン批判というのが妥当なのではないでしょうか。スターリンは自分にこれだけの影響を与えて、苦しかったのだ、という・・・
このテクストは、オーケストラ・ダスビダーニャで顕著なのですが、その解釈にスクロヴァチェフスキは極めて近い解釈をしています。いや、もうほとんど一緒と言ってもいいと思います。オーケストラ・ダスビダーニャがプロオケだったとすればこんな演奏になるだろうという印象すら受けます。
特に、スクロヴァチェフスキと言えば、生き生きとした演奏が魅力ですが、その点がこの演奏でも随所に見られます。特に第2楽章と第4楽章で顕著で、その力強さが悲愴感や感情の起伏を想起させます。ショスタコーヴィチの交響曲はほぼすべての作品が単純なものではないですが、その複雑性こそ人間なのだと言う確信がどこかスクロヴァチェフスキに存在するかのような、激情が迸る演奏になっているのが印象的で、私の魂を貫いていきます。皆さんも同じように苦しんでいる部分って、あるじゃないですか?と語り掛けるかのような。
私も、自分の置かれている状況に決して満足などしていませんし、不満も持っています。しかしながら、こう言った「仲間」がいることによって、癒されている部分がありますし、人生に悲観せずにいられているとも言えます。音楽、特に芸術は私にとって食事と同じくらい大事なものですし、勇気をもらえるものでもあります。
その点では、いろんな批判をするのはいいと思うのですが、芸術によって仲間に触れるということもまた、重要ではないかと思うところです。不思議なことに、そうなるといろんなアイデアが浮かんだりして、後ろ向きになることが少なくなるのです。これが音楽の力であり、芸術に触れることの大切さだなあと思うところです。そしてその材料を演奏で提供することが、プロの仕事のように思います。プロフェッショナルとは何か?は永遠のテーマですが、私は演奏においては、聴き手にいろんな材料を提供することではないかと思っています。例えば、自分の美意識とは異なるにも関わらず、思わずうなってしまい評価せざるを得ない演奏をすることが、プロフェッショナルだと思います。表現を仕事にするということは、そういうことなのではないでしょうか。その対価として、聴衆は費用を払うのだと思うのは私だけなのでしょうか・・・
聴いている音源
ドミトリー・ドミトリエヴィチ・ショスタコーヴィチ作曲
交響曲第10番ホ短調作品93
スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮
読売日本交響楽団
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