かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:オーケストラ・ダスビダーニャ第26回定期演奏会2

今月のお買いもの、令和2年2月に購入したものをご紹介しています。2月9日に聴きに行きましたオーケストラ・ダスビダーニャ第27回定期演奏会の会場である東京芸術劇場にて購入しました、オーケストラ・ダスビダーニャ第26回定期演奏会のCD2枚組のうち、今回はその2枚目のご紹介となります。

この2枚目は第26回定期演奏会の後半ということになります。ということは、基本的には以下のエントリの内容とさほど変わらなくなるんですが・・・・・

ykanchan.hatenablog.com

しかし、現在の新型コロナウイルスで半分缶詰め状態になっている(職場は開いているので行かざるを得ないため。勤務日数は減りましたが)いま聴きますと、また違った印象を持ちます。確かにプロオケと比べればどうしても下手な部分はありますが、これがホールだと目立たないなあ、というもの。今聴きますとやっぱりアマオケだよねって思いますけど、これがホールだと不思議とそこまでアマチュアだと感じないんですよね。

そのうえで、この第6番はショスタコーヴィチの田園交響曲と呼ばれますが、いえいえ、聴けばそれほど爽快な曲ではなくむしろかなり暗め。そのあたりを抑えたダスビの演奏は冴えています。もしかすると、ダスビの団員も同じことを考えているのかと、想像します。それは、この曲が3楽章である、ということです。つまりそれは、「自由」が裏のキーワードである、ということを示すのではないか?ということです。それは当日の解説を見るとなんとなあくわかるんです。

kuruitans.jp

上記のページは、実は第26回のプログラム及びCDの解説と全く一緒なのです。そりゃあ、実際に音を出してみれば、あれ?って思うはずなんです、第6番は。特に第3楽章はウイリアム・テルの「スイス軍の行進」を想起させるもの。これが「春の音楽」だと思います?当然、「(ショスタコーヴィチは)「春の喜びに満ちた抒情的な曲」であると述べています。しかしながらお聴きの通り、1楽章は喜びとは程遠い、どんより曇った空のようなモノトーンが支配しています。公式コメントとはいえ、果たしてどこまでが本音なのでしょうか…彼の交響曲に長年取り組んでいる我々にとっても、考えれば考えるほど、この純音楽を装った交響曲に隠されているメッセージがわからなくなってきました。」というのもうなづけるというものです。

となれば、むしろ「ショスタコーヴィチの本当に言いたいことは違うんじゃないか?」と考えて、思い切った演奏をするというのも、アリです。本当に思い切りのいい演奏は、アマチュアらしい音があるけれども、その生命力を感じさせるに十分です。ただ、何度か聞いていないとなかなかホールのあの臨場感がないのがちょっと残念・・・・・CDですからしょうがないんですけどね。

ただ、次回の第28回がどのように開催されるのかは現在未知数。今のところサイトでも次回の告知はありません。それはいつもの通りですけれども、新型コロナウイルスの流行第2波第3波が、一体何時になるのかは、オーケストラ・ダスビダーニャの今後の演奏会開催に大きな影響を及ぼすと言っていいでしょう。「新しい行動様式」がずっとだとか勘違いする人もいるような中では、厳格にソーシャル・ディスタンスを取る必要も出てくるでしょう。少なくとも、1年程度は従前とおなじようなコンサートは開けないという観測が多く出ています。となると、舞台上の団員同士の距離や、客席をどれくらい入れるのかということもまた、考えなければならない事態が生じてきます。CDの販売をどうするのかも注目です。ショスタコーヴィチの音楽を愛するがゆえに、次回以降どうするのか・・・・・常に注目していたいと思います。

 


聴いているCD
オーケストラ・ダスビダーニャ第26回定期演奏会2
ドミトリー・ドミトリエヴィチ・ショスタコーヴィチ作曲
交響曲第6番作品54
カテリーナ・イズマイロヴァ」からの5つの間奏曲作品114aより 第5曲(第8幕への間奏曲)(アンコール)
ヴィンセント・ユーマンス(ドミトリー・ドミトリエヴィチ・ショスタコーヴィチ編曲)タヒチ・トロット作品15(アンコール)
長田雅人指揮
オーケストラ・ダスビダーニャ
(R-2010377)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。