かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:オーケストラ・ダスビダーニャ第24回定期演奏会2

今月のお買いもの、平成30年2月に購入したものをご紹介しています。今回はオーケストラ・ダスビダーニャ第25回定期演奏会の会場である東京芸術劇場にて購入しました、オーケストラ・ダスビダーニャ第24回定期演奏会のCDの2枚目です。

ダスビとしても2度目になる、交響曲第12番がメインで、2枚目に収録されています。

交響曲第12番 (ショスタコーヴィチ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC12%E7%95%AA_(%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81)

でも、ダスビが演奏するわけですから、単にショスタコーヴィチが体制迎合で書いたのか?という疑問を持っているということになります。それを端的に表わすものが、ダスビのホームページに掲げられています。

交響曲第12番「1917年」解説
〜1995.3.21 自由ケ丘フィルハーモニー協会演奏会のプログラムより
http://www.dasubi.org/dsch/kaisetu/sym_12a.html

これを読まれて、どのようなものが去来するでしょうか。なるほど、ショスタコなら言いかねないなと、わたしは思います。特にこの部分は、解説を書かれた白川団長の想いが伝わってきます。

「ロシアの民が本当に望んでいる、未だなされていない、真の“ロシヤ革命”です。1917年、私たちロシヤの民は、労働者と農民の権利自由を旗印にしたロシヤ革命に希望を託し、革命後には、自由と平和を手にすることが出来ると信じていました。しかし、旗印は実行されず、革命前の帝政時代と何ら変わらぬ、粛正と銃殺による恐怖政治に支配されました。権力を握った狂人は他国の狂人との間に戦争を引き起こし、多くの尊い国民の命を犠牲にしました。私は、第12番を、革命50周年という節目を間近にして書きました。例えば、日本という国に人類初の核爆弾を落としたあの戦争にも、いずれ50周年という節目がやってきます。日本の国民は、自由と民主主義を旗印にした戦後の新政府に、核の脅威のない平和な未来を託したに違いありません。しかし、およそ権力者による旗印は、50年たっても実現されないものだということは、わが国の革命政府を見れば…」

勿論、ショスタコーヴィチはこんなこと言っていないわけなんです。ショスタコーヴィチという作曲家の姿を借りて、白川氏が言いたいこと、であるわけです。でも、わたし自身もこれは本当に同感で、とても共感する部分です。

共産主義だから暴力的だったのでしょうか?資本主義なら暴力的ではなかったのでしょうか?そんなことはないことは、戦後日本の歴史を見れば明らかですし、それがスターリンともダブらないとも限りません。いや、これから日本はスターリンの粛清のようなことが起きるような方向へと向かいつつあることも、この解説がいまだ色褪せないものを存分に持っていると私は判断するわけです。何故なら、ではなぜ、日本とロシアを比較するのか、です。それは1枚目に共通する、地政学的視点でロシアを見る、というテーマにこそあります。

ロシアはヨーロッパの国家ですが、その版図の半分以上は実はアジアなのです。イワン雷帝などを見れば、ロシアが多分にアジア的であったことが分かります。そのアジア的であるという部分が、ソ連にはネガティヴに働いてしまったわけで、だからこそボリシェビキは暴力的にもなってしまった、とも言えます。それは日本の戦後民主主義が、アジア的封建制を内包しながら発展してしまったという点にもあります。それは女系天皇も認めるどの近代民主制と親和性がある天皇制ではなく、男系天皇しか認めないなどの、昔ながらの天皇制を維持しようとしてきた日本と、多分にオーヴァーラップするわけです。

だからこそ、演奏はこの団長、或はショスタコーヴィチ自身もそう考えていたのではないかという共感による、荒れ狂う嵐と、哀しみに満ちています。そして、その荒れ狂う作品を生み出した、ショスタコーヴィチ自身への共感で満ちあふれています(CDの第4楽章が「人類の夜明け?」と本来はついていないクエッションマークになっていることも、それが理由でしょう)。吠える金管、唸る弦、全体として嵐とその前の静けさを絶妙に表現するオケ・・・・・

特に、第2楽章「ラズリーフ」は、ヴォリュームを上げないと聴きずらいほど。でも、ここまでppを落とせるのがダスビの実力なのです。これはダスビよりもやせた音がないオケも、参考にしてほしい点です。ここまでppをぐっと落とせるオケはそうそうないですし、この落したことにより、さまざまな表現ができるのですから。

聴衆に考えさせたうえで、しっかり聴かせもする・・・・・・そんなアマチュアオケはそうそうありません。ダスビの素晴らしい演奏がこのように記録に残っていくことはとても重要なことだと思いますが、できれば通販でCDを販売するというところまでやってもいいのになあと思います。人によっては、次に行けるのが何年後になるかわからないって人もいると思いますから・・・・・・

私はと言えば、この春からシフトで予定を出せばかなりの確率で行けるようになりました。これはとても喜ばしいことだと思っていますが、その反面、仕事は今まで以上にしっかりやっていく必要があるなあって思います。仕事はつらいもの。でも、ダスビの演奏が待っているとなれば、そんなものは乗り越えられることでしょう。

次回第26回も楽しみにしたいと思います。それまで、ダスビの団員の皆さま、ダスビダーニャ!




聴いているCD
ドミトリー・ドミトリエヴィチ・ショスタコーヴィチ作曲
交響曲第12番「1917年」作品112
Aモロソフ「鉄工場」作品19
長田雅人指揮
オーケストラ・ダスビダーニャ
(DSB-20182)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




このブログは「にほんブログ村」に参加しています。

にほんブログ村 クラシックブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ クラシックCD鑑賞へ
にほんブログ村
にほんブログ村 クラシックブログ 合唱・コーラスへ
にほんブログ村