かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:オーケストラ・ダスビダーニャ第24回定期演奏会1

今月のお買いもの、平成30年2月に購入したものをご紹介しています。今回はオーケストラ・ダスビダーニャ第25回定期演奏会の会場である東京芸術劇場で購入しました、オーケストラ・ダスビダーニャの第24回定期演奏会のCDの、1枚目です。

つまりは、昨年の演奏会の記録、と言うことになります。

さて、第24回は交響曲が2つも入るという、おなかいっぱいのプログラムだったのですが、そのうち、この1枚目には、作品23と交響曲第1番が収録されています。

え、作品23って、表記それだけ?え、じゃあ、正式な名称、言いますね。「E.ドレッセルのオペラ『哀れなコロンブス』のための序曲とフィナーレ作品23」です。

長いなあ、もう少し短くできないの?ええ、ですから、作品23、です。せっかく作品番号があるわけですから、別にこれでいいと思います。ですが、正式名称には、何か不思議なものを感じませんか?そう、「のための」が付いている、ということです。

これ、残念ながら、買ったCDにも、そしてダスビのサイトでも、解説がないんです。そこで、「哀れなコロンブス」で検索して、ようやく以下のサイトに辿りつきました。

ショスタコーヴィチ 「哀れなコロンブス op.23」(1929)
https://blogs.yahoo.co.jp/other_wind/49565053.html

これを読んで、あー、なるほど、やはりそうであったのか、と。

つまりはです。元のオペラは社会主義的とはいいつつも、ドイツの作曲家の作品です。それを、ソ連ボリシェビキ社会主義に合うようにしないといけない都合があった。そのため、ショスタコーヴィチに白羽の矢が立ち、作曲した、と言う事であろうと想像できます。

序曲は第6幕のための前奏曲で、その意味ではワーグナー的でもあります。でも、上記エントリを書いた方と同じように、かなりの諧謔性を私も感じます。どこかコロンブスの新世界発見を斜に構えていると言うか。

これは、ロシアという国家が基本どのような国家なのか、地政学で解き明かす必要があるでしょう。ロシアという国は、首都がヨーロッパにありながらも、その版図の大部分はアジアに属します。つまり、ヨーロッパ的な部分とアジア的な部分が、そもそも内包する国家であると言えるでしょう。

それは恐らく、2枚目に収録された、交響曲第12番にも通底する、この時ダスビが据えたテーマだったと思います。そしてそれは、決して共産主義に限ることではなく、今資本主義国であるわが国で進行している事態も同じであると言う事に、まさに「警鐘」を鳴らすものでもあると思います。

だからこそ、1枚目、つまりこの時の2プロには、あえて交響曲第1番を持ってきた、と言えるでしょう。本来ならこんなおなかいっぱいなプログラムはさすがのアマチュアオケでもなかなかお目にかかれるものではありません。それをあえて持ってくるには、理由があるはずなのです。

交響曲第1番 (ショスタコーヴィチ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC1%E7%95%AA_(%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81)

卒業制作としては、かなりアヴァンギャルドで激しい作品になっているこの作品を、ダスビは1プロ以上に生き生きと、生命力にあふれて演奏しています。勿論、作品23もショスタコーヴィチの「あっかんべー」さを前面に押し出すような感じが素晴らしいですが、交響曲第1番ではそこにさらに攻撃的な部分も加わり、暴力的と言うか、ダスビの熱い演奏が繰り広げられることになります。

私たちはつい、ロシアという国はヨーロッパだと錯覚してしまいます。それは戦後民主主義が導入される過程に置いて、私たちが西側にカテゴライズされたことと無縁ではありません。しかしここであえて戦前の日本に戻ってみましょう。日本と言う国はアジアにある国です。そして、戦後我が国にはその地政学立ち位置で、民主主義が導入されたのです。ここは、非常に重要であり、文化を語るときにも留意する必要があると思っているのです。

詳しくは、2枚目をご紹介するときに述べたいと思いますが、ダスビの団員たちは、その「ヨーロッパだけれども、実はアジア的」という部分にフォーカスしている、とすれば、コロンブスに関しても、確かに新大陸発見でアメリカという国が出来上がり、民主主義が世界に広かったわけであるが、反面、原住民の文化はすたれていった、と言う部分にこそ、諧謔的な点があると考えれば、この時のプログラムには一貫性がありますし、共感する点が沢山あるということになります。それが演奏に十二分に、熱の、こもった演奏として具現化されている、と言うことになります。

それはまさに、わたし自身もとても共感する点です。わたし自身は共産主義者ではありませんが、でも、本来共産主義もヨーロッパで生まれたものであったにもかかわらず、国家として具現化されたのはアジア的でもあったロシアだったという皮肉。それは理想的な社会民主主義国がまだ天皇制をいただき、天皇親政を画策する連中がうごめく日本と言う国家で実現されたのとオーヴァーラップします。それは第12番で最もメッセージとして頂点に達するわけなのですが・・・・・それは、次回のお楽しみ、です。

いずれにしても、ダスビのメッセ―ジはつねに明快で、爽快なものです。これを聴きに行かないなんて、人生損しているって、正直思います。




聴いているCD
ドミトリー・ショスタコーヴィチ作曲
E.ドレッセルのオペラ「哀れなコロンブス」のための序曲とフィナーレ作品23
交響曲第1番作品10
長田雅人指揮
オーケストラ・ダスビダーニャ
(DSB-20181)

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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