かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

コンサート雑感:オーケストラ・ダスビダーニャ 第25回定期演奏会を聴いて

コンサート雑感、今回は平成30年2月25日に聴きに行きました、オーケストラ・ダスビダーニャの第25回定期演奏会を取り上げます。

いやあ、3年ぶりなんです、ダスビの演奏会に行けたのは。2回、私は仕事の都合で涙をのまざるを得ませんでした。

前回はこのエントリです。

コンサート雑感:オーケストラ・ダスビダーニャ第22回定期演奏会を聴いて
http://yaplog.jp/yk6974/archive/1273

ダスビはこれまで、私は3回聴いています。1回目が震災の翌年の2012年、2回目がその翌年の2013年、そして3回目が上記エントリの2015年。

そして、それから3年後の今年2018年、ようやく4度目のダスビを聴きに行く機会に恵まれました。日曜日は私はずっと勤務だったのですが、人が育ってきたことと、わたし自身がだいぶ疲れてきたこともあって、日曜日は隔週になったことで実現しました。

とは言え、実は当日は本来明けの予定だったのですが、職場の部下が体調を崩したためわたしはそのまま日勤もとなったのですが、チケットをすでに明けの予定で取ってあると申し出ると、では途中ぬけていいですということになったため、今回は特例で仕事中に行けることになったと言う、ものすごい日程の中で行ったコンサートとなりました。

さて、ダスビは久しぶりなので、団の説明をしておく必要があるでしょう。日本で唯一の「ショスタコーヴィチ作品演奏専門のアマオケ」として演奏活動を続けている団体で、最初は第7番「レニングラード」を演奏するためだけに集まったのが、引き続き演奏活動をしようとなったオケです。ダスビダーニャとはロシア語で「さようなら」という意味なのですが、じっさいはもっと前向きな意味のつもりで名づけられたそうです。

公式HP
http://www.dasubi.org/

オーケストラ・ダスビダーニャ(ウィキ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%82%

兎に角、ダスビが私の「イデオロギーショスタコーヴィチ嫌い」の囚われを取り払ってくれたのです。今ではショスタコーヴィチは好きな作曲家の一人になりましたし、そのことで私の視野と世界はぐっと広がったのです。

今回演奏されたのは以下の通りです。

�@葬送と勝利の前奏曲スターリングラード戦の英霊に捧げる〜作品130
�Aヴァイオリン協奏曲第1番作品77
�B交響曲第11番「1905年」作品103

このうち、最初の葬送と勝利の前奏曲だけが初めてで、他の2曲は聴いたことのある作品でした。二つとも素晴らしいオケとソリストでのなのですが・・・・・

今回、このコンサート評を書くのに、以前ご紹介したバルシャイ/ケルン西部ドイツ放送響の第11番と、オイストラフのヴァイオリン、ムラヴィンスキー/レニングラード・フィルの演奏を聴きながら書いていますが、聴けば聴く程、いや、ダスビのほうが数段いい演奏だったと、感激に浸るのです。

勿論、この二つの録音そして演奏は素晴らしいものですし、それがダメと言いたいわけではないんです。それを凌駕する演奏が、日本の、なんとアマチュアオケで実現されている、と言う事なんです。

まず第1曲目の前奏曲では、金管の伸びが本当に素晴らしく、前半の嘆きとも言える部分と後半の祝典的部分のコントラストが絶妙でしたし、それは作品の「言いたいこと」が団員相互でしっかりと共有されていることを意味します。これですでにわたしは感銘していましたが、作品の内容ゆえに、まだダスビらしい、生命力溢れる、割れんばかりの大音響はまだだなと思っていました。

続くヴァイオリン協奏曲第1番は、以前このブログでもご紹介したイザイの無伴奏ヴァイオリンを演奏した荒井英治氏がソリスト!イザイで見せた自在でふくよかなサウンドは生で聴きますとさらに艶すらあり、なんと印象的にはCDのオイストラフをも凌駕するような感じがありました。ただ最初は少し硬くなっていらしたかなと思います。ダスビも少し遠慮したのか、「生命力あふれる割れんばかりの大音響」や、音の伸びは不足していたように思います。もっとダスビらしさが全面に出ていたら、名演と語り継がれるものになっただろうと思います。

神奈川県立図書館所蔵CD:イザイ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ
http://yaplog.jp/yk6974/archive/1368

そして最後、第11番。私は以下のエントリで、独自の見解を混ぜながら、ハンガリー動乱との関連を指摘しましたが、ダスビはそこまでは考えなかったようです。ただし、最後の警鐘は権力者に向けられたものであるという解釈が、プログラムの中であったのを見て、これはともに何かを共感できそうだと確信しました。

神奈川県立図書館所蔵CD:ショスタコーヴィチ 交響曲全集7
http://yaplog.jp/yk6974/archive/1253

その通り、この交響曲第11番が、当日もっともダスビらしさが出ていた演奏だったと思います。金管のみならず全体的に伸びやかで、割れんばかりの大音響がホール全体を包み込み、時としてそれは強烈な刃となって私達聴衆の心に突き刺さります。特にティンパニなど打楽器群は途中鬼気迫る感じで、最後の鐘がいつまでも残響が消えなかったのはダスビらしいと思います。少なくとも、この第11番に関しては全体的にもバルシャイ/ケルン西部ドイツ放送響を上回り、名演と言っていいと思います。共感で私は感動と言うよりは、まさに魂が震えた演奏でした。

激しい慟哭・・・・・その一言がこれほど似合う演奏はないと思います。途中嗚咽すらある演奏は、ある意味ストレートに第1革命を表現しようとしたと言えるでしょう。特に今回全体的に力任せではなく、各セクションが歌っているうえで、激しいものになっているのが、従来の「ダスビらしさ」がさらに増大されていた点だと思います。

ともすれば、ショスタコーヴィチ交響曲は一桁のものが有名で、あまり二桁の作品はわが国では演奏されないことが多いのですが、ダスビは本当に全身全霊で取り組んで、私達に魅せてくれると思います。その上で注文を付けるとすれば、そろそろ第14番を演奏する時期だと思います。第14番を演奏すれば交響曲は全曲コンプリートとなります。そろそろダスビはショスタコ交響曲全集を出してもいいのではって思います。今回も会場には過去の演奏会のCDの購入コーナーが置かれていました(で、買ってきましたのでそれは後日ご紹介します!)が、10年くらい前以前のものは殆どない状態になっています。ダスビの実力をもっと世に知らしめるべく、交響曲全集も会場で買えるようにしてもいいように思います。そのためにも、是非ともいつかは第14番も演奏されて欲しいなと思います。

何度も言いますが、今回の第11番は名演だと私は断言します。まさにダスビらしさが全開の、慟哭と嗚咽、そして警鐘の音楽。来年は第6番ということですが、行けるかはまだわかりません。しかし明けに当たれば、再びコンサートホールで聴けるのを楽しみにしたいと思います。




聴いて来たコンサート
オーケストラ・ダスビダーニャ 第25回定期演奏会
ドミトリー・ドミトリエヴィチ・ショスタコーヴィチ作曲
葬送と勝利の前奏曲スターリングラード戦の英霊に捧げる〜作品130
ヴァイオリン協奏曲第1番作品77
交響曲第11番「1905年」作品103
荒井英治(ヴァイオリン)
長田雅人指揮
オーケストラ・ダスビダーニャ

平成30(2018)年2月25日、東京豊島、東京芸術劇場コンサートホール

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。




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