コンサート雑感、今回は令和6(2024)年5月26日に聴きに行きました、府中市民交響楽団第89回定期演奏会のレビューです。
府中市民交響楽団さんは、このブログでも2度ほど取り上げております。府中市民の間ではかなりの人気を持つアマチュアオーケストラで、まさに市民オーケストラと言うにふさわしい団体です。今回も、ホールはほぼ満員。しかも、今回は本拠とも言うべき府中の森芸術劇場ではなく、京王線で特急で一駅の、調布駅前にある調布市グリーンホールだったにも関わらず、です。
その様子は、まさに宮前フィルハーモニー交響楽団と同じ。宮前フィルハーモニー交響楽団も、川崎市内の幾つかのホールで演奏しますが本来はその名の由来である川崎市宮前区の宮前市民館が本拠ですが、それ以外の市民館で行われるときも、ほぼホールが満員になる盛況ぶりで、その様子が想起されました。
①ニコライ 歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲
②ワーグナー 楽劇「ローエングリン」より
第3幕への前奏曲~婚礼の合唱
エルザの大聖堂への行列
③ブラームス 交響曲第4番
なら合唱もあったのですかという、ア・ナ・タ。いえ、合唱はついておりません。すべてオーケストラのみです。なのでローエングリンにはわざわざ「管弦楽版」と銘打たれています。実際、管弦楽版というのは存在しません。
そういうわけで、今回は歌劇と楽劇の二つの作品を前半で取り上げ、後半を交響曲というプログラム。クラシック音楽に詳しい人だと、ちょっとニヤリとしてしまうラインナップではないでしょうか。ワーグナーとブラームスは仲が良かったとはいえませんし、また「ウィンザーの陽気な女房たち」と「ローエングリン」とはある意味真向から対立するような舞台芸術です。
その「ウィンザーの陽気な女房たち」は序曲がよく知られているわけですが、実はそのオペラ、ファルスタッフが主人公の一人なんです。え?と思うことでしょう。むしろ「ファルスタッフ」なら知っているという人も多いかと思います。英語ではフォルスタッフと言い、そもそもは原作がシェークスピア。ところがシェークスピアはフォルスタッフが主人公あるいは登場する物語をいくつか書いており、その原作ごとにストーリーが異なります。このニコライのものは同名の戯曲が原作となっており、喜劇ですが女性が遣り込めるというストーリー。どこかシェークスピアの批判精神がうかがえますし、その批判精神にニコライが共感して書いた可能性もあるように思います。
その背景のせいなのか、いやあ、1プロから府中市民交響楽団さん飛ばす飛ばす!アインザッツがしっかりしており素晴らしいアンサンブルでノリノリで飛ばしまくります。演奏を心から楽しみまくっているというか、この音楽は楽しむことこそが魂の表現なのだ!と言わんばかりです。
2プロのワーグナー。実は曲順はひっくり返っていて、楽劇上ではエルザの大聖堂への行列のほうが先に来ます。そのあとに第3幕への前奏曲の後に婚礼の合唱。でも、あえてひっくり返したような気がします。そういえば婚礼の合唱って何?って思う人もいるかと思いますが、結婚式でオルガン演奏を聴いたことありませんか?パーンパカパーン、パーンパカパーンという音楽を。パパパパパーン!ではなく。それが実はワーグナーの結婚行進曲と言われているものでして、楽劇「ローエングリン」第3幕の婚礼の合唱であり、そもそもはオーケストラ付の合唱曲です。しかも、それが演奏されるのが、第3幕冒頭であり、前奏曲に引き続いてなのです。
意外とその原曲が知られていないことが多く、この機会にぜひとも知ってもらおうという意図があったように思います。第3幕への前奏曲は勢いのいい盛大な曲で、特に豊潤な金管が美しい曲ですが、その金管が美しい・・・まるでわたし(以下自己規制)
そして、この二つの曲は明確にワーグナーの楽劇の特徴である「ライトモティーフ」を表わしています。婚礼の合唱はまさに、エルザとローエングリンの結婚式で演奏され歌われる曲です。そのため、現代でも結婚式で演奏されることが多いのです。まさに結婚式のために書かれた曲ですから。そのことを印象づけたうえで、エルザの大聖堂への行列の音楽もまた、その場を表現したライトモティーフなのだということを表わしているわけです。この音楽は後に、ハリウッドで映画音楽の手法として確立し、今では普通にドラマや映画、あるいは野球のコンバットマーチで使われる手法になったわけです。
さて、後半は今度はブラームス。ブラームス最後の交響曲である第4番ですが、時として暗い音楽と言われます。第4楽章も短調なのでそういわれることが多いのですが、しかし単に根暗な曲とも言えません。この作品はブラームスがバロックの手法も使っている曲で、バッハを意識している作品でもあります。
その意味では、後にドビュッシーがフランス・バロックに範をとり新しい和声を創作し、時代を切り開いたことを想起させます。ロマン派の大家であったブラームスですが、そのロマン派という運動に対して、どこか批判的であったように私には思えます。このブラームスの交響曲が、その後ドビュッシーの「月の光」を生ませたというのは、飛躍しすぎかもしれませんが、ブラームスのこの音楽がフランスでドビュッシーにも影響を与えた可能性は否定できません。ドビュッシーのベルガマスク組曲が作曲されたのが1890~1905年。ブラームスの交響曲第4番が作曲されたのが1885年。この時代には鉄道網も発達し電信もあったことを考えれば、影響を及ぼした可能性は否定できないからです。
さらに、ブラームスと言えば、新古典主義音楽の草分けとも言われます。この時代、後期ロマン派の音楽がヨーロッパに広がりを見せ、国民楽派として派生していくさまを見ているわけで、民族主義と音楽が結び付くことを、どこか斜に構えていたようにも思えるのです。どこか高揚する精神というところとは距離を置くブラームスの姿が見えるのです。そのブラームスの姿勢を、フランス愛国主義という枠内で捉えて実行したのがドビュッシーだったとすると、腑に落ちるのです。
つまりは、ともすれば国民楽派はナショナリズムへと移行する危険性を持ちますが、ブラームスはあくまでもパトリオティストとしていたかったのではないか、と思うのです。19世紀ヨーロッパのナショナリズムの嵐の中で、しかし大事なのはもう少し距離を置いたパトリオティズムではないのかという問題意識が、この第4番に込められており、だからこそ短調であるとうことを、ドビュッシーが理解していたとすると、不協和音も積極採用することで象徴主義を貫いたことが腑に落ちるのです。
ワーグナーの音楽がその後いい面ではライトモティーフとして結婚式で使われたり映画音楽を作り上げたりしましたが、一方でナチスに利用されたという歴史と対照する形でブラームスをメインに持ってきたような気が、私はするのです。それまでの思い切りのいい演奏も随所にみられましたが、繊細さを前面に押し出した演奏に変わっていたことを踏まえると、このプログラミングは府中市民交響楽団さんの意志だったのかなとも思っています。それまで安定していた金管、特にトロンボーンがppで不安定になったのが気になりましたが、それはそれで思い切ったチャレンジだったと思いますし、そのチャレンジこそ、ブラームスの交響曲第4番を演奏することの意味を示していたように思います。毎回そういった意志を貫き通しているからこそ、どの演奏会でも聴衆が絶えずホールが満席近くになるのだろうと思いますし、その姿も宮前フィルハーモニー交響楽団そっくりです。いいところに引っ越したなあとつくづく思います。今後もなるべく足を運びたいと思います。次回は日野煉瓦ホールですが、その2か月後に、府中市民第九が今年はあるはず。第九初演200年の記念年、どんな演奏になるのかも興味深い点ですし、恐らく第九が年末控えているので、今回は1時間30分でコンサートが終ったのかな?と思ったりして・・・その分、第九の練習時間が取れますからね。期待は膨らむばかりです。
聴いて来たコンサート
府中市民交響楽団第89回定期演奏会
オットー・ニコライ作曲
歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲
リヒャルト・ワーグナー作曲
楽劇「ローエングリン」より
第3幕への前奏曲~婚礼の合唱
エルザの大聖堂への行列
ヨハネス・ブラームス作曲
交響曲第4番ホ短調作品98
伊藤翔指揮
府中市民交響楽団
令和6(2024)年5月26日、東京、調布、調布市グリーンホール大ホール
地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。