かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

コンサート雑感:アンサンブル・テネラメンテ第5回演奏会を聴いて

コンサート雑感、今回は令和7(2025)年8月17日に聴きに行きました、アンサンブル・テネラメンテさんの第5回演奏会のレビューです。

アンサンブル・テネラメンテさんは東京のアマチュアオーケストラですが、実は母体はテネラメンテ・フィルハーモニー管弦楽団さんなのです。この演奏会に足を運んだのはまさしくテネラメンテ・フィルハーモニー管弦楽団さんの第10回定期演奏会を聴きに行ったことがきっかけです。パンフレットにアンサンブル・テネラメンテさんが8月に演奏会をするとの記載があったためです。テネラメンテ・フィルハーモニー管弦楽団さんの第10回定期演奏会を取り上げた時のエントリで私も触れています。

www.ensemble-teneramente.com

www.tenephil.jp

ykanchan.hatenablog.com

その宣言通り、足を運んだというわけです。比較的響きのいいホールで演奏することが多いテネラメンテ・フィルハーモニー管弦楽団さんですが、アンサンブル・テネラメンテさんとしての演奏会では比較的小さいホールを使うことが多いため、必ずしも響きがいいホールというわけではなく多目的ホールの小ホールを過去には使われています。今回はたまにアマチュアオーケストラが使う国立オリンピック記念青少年総合センターカルチャー棟大ホールが会場でした。この会場はそもそも1964年の東京オリンピックの会場を転用したもので敷地が広く、体育や文化活動と幅広く使える施設が集中しています。当日もコンサートが終った後に続々と研修目的なのかスーツケースを転がしながら敷地に入っていく方がいらっしゃいましたし、他にイベントも行われていました。

nyc.niye.go.jp

カルチャー棟はまさしく文化活動のための施設なのですが、ホールは二つあり大ホールと小ホール。今回はその大ホールでの公演でした。写真を見るときれいなホールですが、響きとしては神奈川県立音楽堂くらい。残響時間の記載はないですがおそらく1.5秒程度ではないでしょうか。演奏会や講演会用とありますが基本的には講演会が主ではないでしょうか。ただ暖かい音色になりますので全く音楽向きではないということでもないです。今回、そのホールの特色を生かした演奏がなされました。

プログラムは以下の通り。このような古典派の作品を演奏するためにあえて室内オーケストラを別動隊として作ったとも言えそうですが、テネラメンテ・フィルハーモニー管弦楽団さんの第10回定期演奏会ではベートーヴェンの第5番と第6番の交響曲だったわけで、必ずしも古典派だからアンサンブルでというわけではないようですが、ベートーヴェン交響曲も年代によって編成が異なるので、その点を踏まえたと言えそうです。

モーツァルト ディヴェルティメント第1番
モーツァルト ピアノ協奏曲第20番
ベートーヴェン 交響曲第2番

このラインナップを見て、なるほどだから別途作ったのかと思った方は、相当のコアなファン、つまりはヲタクだと思います。そう、今回のコンサートはメインがベートーヴェン交響曲第2番というところが重要だと個人的には思います。おそらくアンサンブル・テネラメンテだからこそでしょう。

モーツァルト ディヴェルティメント第1番
モーツァルトのディヴェルティメント第1番は、1771年に作曲したとされる作品で、まさしく室内アンサンブル用の作品です。1773年にモーツァルト自身によって改訂され、今回はその改訂版での演奏です。なぜなら、編成にクラリネットが入っていたからです。

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実はモーツァルトがこの曲を作曲した辺りでは、ディベルティメントというジャンルはそれほど確立されていたわけではなく、実際楽譜の表紙には「8声の協奏曲、またはディヴェルティメント」と書かれているわけです。モーツァルトが後にディヴェルティメントというジャンルを確立していくと行っても過言ではありません。その栄えある第1番ということになります。

モーツァルトは齢15、6と言った時期。その時期は実は音楽史では新しい動きが出ていた時期で、モーツァルトはその一翼を担っていたと言えます。この曲よりも前の作品は前古典派と言ってバロックの色がまだ強い作品が多かったわけですが、しかしこの1771年前後からは古典派が確立されたと言ってもいい時期に当たります。新しい楽器や性能の向上もどんどんみられていた時期で、モーツァルトはそのこともあって1773年の改訂で当時最新の楽器であったクラリネットを導入しているわけです。演奏を聴いてそれほど不自然なところがないのでむしろモーツァルトクラリネットの導入を念頭に置いてまず1771年に作曲し、その後クラリネットの性能を確認したうえで1773年にクラリネットの導入のため改訂したのではと私は推理します。

モーツァルトが「8声の協奏曲、またはディヴェルティメント」と記載したその意味を、団員の方々はよく理解して演奏していたように思います。アンサンブルを重視しつつも、個々人が音を単に合わせるのではなくそれぞれが主張しつつも一つの芸術を紡いでいました。しかも、ヴァイオリンは両翼配置。アマチュアで普通となりつつあるヴィオラを第1ヴァイオリンの前にという形ではないのです。それでアンサンブルを重視しつつも生き生きとした演奏に紡いでいくのはアマチュアとしてはかなり高いレベルであると言っていいでしょう。残響時間としてはあまり響かないが音色は暖かいというホールの特徴を生かし、人間味もありかつ気品ある演奏になっていたのも素晴らしい点です。

モーツァルト ピアノ協奏曲第20番
モーツァルトのピアノ協奏曲第20番は、1785年に作曲された作品で、モーツァルトがピアノ協奏曲に於いて残した2つの短調協奏曲の一つです。モーツァルト晩年の作品の一つでもあり、忙しかった時期の作品であるため激しい情感を持った作品でありかつモーツァルトが残したカデンツァがないことも特徴です。

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と言うことは、この曲の注目点は2つです。一つはどれだけその内包している情念を表現するか、そしてもう一つはカデンツァをどうするかという点です。

まず、内包している情念を如何に表現するかですが、オーケストラは比較的そのあたりがしっかりなされ秘めた感情の吐露がなされていましたが、ピアノは多少平凡。ピアニストは第1回演奏会のピアニストでもある蜷川舞さん。技術はしっかりしているのですが感情の表現がかなり浅い印象を持ちました。もう少しppとffの差をつけられれば曲が持つ情念が浮かび上がるのになあと残念に思いました。若いことでそこまで救い上げることが難しかったのか、それとも古典派だからそこまで必要ないと判断したのかはわかりませんが、いずれにせよモーツァルト短調で曲を書くというのはある程度自らの内面をぶつけているということでもあるので、そのあたりはもう少し繊細な表現が欲しかったなあと思います。その点ではオーケストラとピアノが協奏できていないと感じました。

そしてカデンツァですが、私は実はブレンデルのものしか聴いたことがないので誰のカデンツァかはわかりませんでしたが、ウィキペディアの記述からしますとベートーヴェンのものであったと考えるのが自然でしょう。パンフレットに特に記載がなかったためです。勿論ブレンデルのように自作という選択肢もあります。ですがまだ若いピアニストだとやはりそれ以前の作曲家などが作ったものを採用するというのが通常でしょう。

この二つの視点から言えば、ピアニストは何とか無難に乗り切ったという感じで、オーケストラはかなり曲から受ける情念を自らのものとして表現していたと言えます。ソリストとオーケストラとではそのあたりで差があったのは残念ですが、最後は激しく終わったのは良かったです。

ベートーヴェン 交響曲第2番
ベートーヴェン交響曲第2番は、1801~1802年にかけて作曲された作品で、初演は1803年です。ちょうど当日のコンサートではこの第2番の前に休憩を挟んだのですが、ちょうど18世紀と19世紀とで分けた格好です。実際、1プロからメインへは時代を下るような曲順となっているところは粋ですね。

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また、この第2番という作品はフルオーケストラ用というよりは室内オーケストラ用と考えるべき作品だと言ってもいいでしょう。実はこれ以降の作品であれば編成には必ずと言ってもいいトロンボーンがありますが、この第2番にはないのです。ベートーヴェン交響曲トロンボーンを入れているのは第6番以降。つまり、第2番は多少小さい編成を念頭に置いていることを意味しますし、それがベートーヴェンが生きた時代の通常編成だったとも言えます。その意味では、母体であるテネラメンテ・フィルハーモニー管弦楽団さんの第10回定期演奏会でプログラムされた、第5番と第6番というのはトロンボーンのありなし、つまりベートーヴェンが生きた時代の楽器の変遷という視点もあったということに気づかされるのです。いやあ、まさしくアマチュアオーケストラの演奏会ですねえ。こういうの大好きです。

また、もう一つの視点は、ベートーヴェンは室内オーケストラ用とも言うべき作品を、徐々に劇的な作風に仕上げていっているという事実です。第5番「運命」がその頂点だと言っていいでしょうが、その過渡期の作品の一つである第2番もまた、魅力的な作品の一つと言っていいでしょう。作曲された時期はあの「ハイリゲンシュタットの遺書」が書かれた時期ですが、第2番ではまだそれほど深刻さがないのが特徴で、かなり明るい作品となっています。それはこの第2番という作品がハイリゲンシュタットの遺書が書かれる前の1801年に構想されていたということと無関係ではないと思っています。ベートーヴェンはメモ帳を使って音楽を積み上げていく作曲手法なので、簡単に曲を変えられないという事情と、さらに言えばまだこの時期は難聴が深刻と言っても後年の状況よりはまだましであったということが理由であると考えます。ベートーヴェンの作品全体の和声が、歳を経るにしたがって低くなっていることがデータとして明かになっており、それは明らかに難聴が原因なのですが、第2番の段階ではまだそこまで低くはないことが物語っていると言えましょう。

この当たりを踏まえてか、演奏は激しさと共に気品も持っているという、アマチュアオーケストラではかなり高いレベルの演奏が実現されていたということです。まだ多少古い編成が残っているという形を生かしながらそこに生命を吹き込んでいくという作業がしっかりなられているなと感じました。また楽器も多少工夫がされており、ティンパニ(これはモーツァルトでもでしたが)が古めのものを使用ししかも固めに調整してぶっ叩いてくれるのは好きです。またトランペットもバロックトランペットを使うなど、アマチュアオーケストラとしても凝ったものになっている割には安定していたのも素晴らしかったです。むしろ木管楽器のほうで多少アインザッツが合わないところがあったのがアマチュアらしさだと言えるでしょう。ヴァイオリンではそんなことがないにも関わらずです。対向配置だとアインザッツが合わないということもありますがそんなことがないのに木管楽器であったのが不思議・・・うっかりかもしれませんね。指揮者の須藤さんのタクトは見にくいということはない印象でしたので・・・

ですが全体的には生命力のある、若きベートーヴェンの血潮が迸るかのような演奏だったのは爽快でした。時代考証をしつつ満足する演奏を聴かせてくれる・・・まあ、最近は資金的なこともありあまり新しい団体を選ばないようにしているということもあり、私が聴いた団体でも比較的レベルが高いと判断した団体を中心に聴きに行っているということもありますが、その一つであるテネラメンテ・フィルハーモニー管弦楽団さんと言う私がレベルが高いと判断した団体を母体に持っているだけあると思います。さすがです。

アンコールはイベールの「モーツァルトへのオマージュ」。どこかモーツァルトやねん!と突っ込みたくなる和声ですがそれでもどこか気品を持ち和声もしっかりしているという点がイベールのオマージュなんだろうなと思います。そのイベールモーツァルトへのリスペクトに共感するかのような、生き生きとした演奏がまたいい!むしろメインまでよりもよかったりして・・・ま、この辺りもアマチュアらしさですね!アンコールでもまた時代を下るという選択をしたこともまた粋ですねえ。

次回の演奏予定は記載ありませんでしたがテネラメンテ・フィルハーモニー管弦楽団さんの次回予定は記載がありました。やはり一体なんだなあと思います。そのテネラメンテ・フィルハーモニー管弦楽団さんの次回はリヒャルト・シュトラウスの「死と変容」、そしてシューベルトの「ザ・グレイト」とロマン派特集。前期後期それぞれのロマン派の違いを存分に味わえそうです。ですが実は私はそれは行けないのです・・・その日、私は神戸にベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」を聴きに行く予定です。神戸市室内管弦楽団と神戸市混声合唱団の共催による「ベートーヴェン・ダブルビル」を聴きに行く予定なのです。翌日はベートーヴェン「第九」。それを宿泊して聴きに行く予定です。仮に資金的に宿泊は厳しい、ミサ・ソレムニス売り切れとかになれば、テネラメンテ・フィルハーモニー管弦楽団さんの第11回定期演奏会に振り替えることは考えたいと思います。仮に私が行かない場合、盛会を祈ります。ゆえに第12回を楽しみにしたいと思います。

 


聴いて来たコンサート
アンサンブル・テネラメンテ第5回演奏会
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト作曲
ディヴェルティメント第1番変ホ長調K.113
ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第2番ニ長調作品36
ジャック・イベール作曲
モーツァルトへのオマージュ
蜷川舞(ピアノ)
須藤裕也指揮
アンサンブル・テネラメンテ

令和7(2025)年8月17日、東京、渋谷、国立オリンピック記念青少年総合センターカルチャー棟大ホール

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。