かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:クレンペラーとフィルハーモニア管弦楽団によるモーツァルト交響曲集2

東京の図書館から、3回シリーズで小金井市立図書館のライブラリである、クレンペラーフィルハーモニア管弦楽団によるモーツァルトの後期交響曲集を取り上げていますが、今回はその第2回目です。

実は、今回取り上げるものが第1集です。第1集に収録されているのは第35番「ハフナー」、第40番と第41番「ジュピター」です。え?いきなり最後の交響曲からなんですか?という、ア・ナ・タ。そうなんです、のっけから最後の交響曲を収録しているってわけなんです。確かに、第35番も入ってはおりますが。

ここから推測されるのは、このアルバム集はモーツァルトの二つの交響曲、第40番と第41番を、遡ることで俯瞰しようというものではないか、というものです。そうでないとこの順番は腑に落ちません。特に、ここに収録されているのは全て4楽章制です。モーツァルトだと交響曲が4楽章ということもないわけなんですが、ここに収録されている第35番、第40番、第41番の3つは全て4楽章制です。モーツァルト交響曲というのは4楽章で構成されるのだと、新しい時代を宣言したかのようです。おそらく、その視点に立った編集であることは間違いないのではと思います。

第40番はクレンペラーもテンポはゆったりとしており、巨匠の時代というか、19世紀の香りがするなあと思いますが、それでもどこか緊張感も備わっているのはさすがクレンペラーという印象も受けます。第1楽章のモルトアレグロという指示をどのように受け取るのかによって、テンポは分かれるのかなという気がします。以前、サヴァリッシュ指揮チェコ・フィルの時にも触れましたが、この指示をどのように解釈するかによってテンポはガラリと変わります。文字通りに受け取ればサヴァリッシュの解釈一択です。音大出の方ならお分かりかとは思いますが。

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一方でアレグロは「速く」ですから、モルトアレグロであれば「非常に速く」という指示である、となります。一方でアレグロは「歩く速度で」という解釈もありますので、そうなると「非常に歩く速度で」となりますから、クレンペラーの解釈も成り立つ、ということになります。つまり、「アレグロ」をどのように解釈するかによって見事に分かれてしまうということになります。ただ、ベートーヴェンの時代だとアレグロは「速く」という意味が強いので、私としては依然このクレンペラーよりはサヴァリッシュの解釈が正しいと思っています。この辺りは、音大出の方とは異なり、文学部史学科卒の癖が出ます。

というのは、特に日本史においては、その言葉の成り立ちから調べる、という癖がついているから、なんです。特に私の場合、日本史を調べる時に同時に「日本国語大辞典」でも調べるようにと教授から習ったものですから、ではその指示の言葉の意味とは?と考える癖がついている、というわけです。

例えば、古代律令制を考えるとき、その制度は中国から入ってきたものです。そこにいろんな漢字を当てはめているわけなんですが、その漢字の意味を踏まえて当てはめられているはずなのです。ですから、国語辞典を紐解いて、その言葉の意味は何であり、何を反映しているのかを考えることが重要なのです。例えば、なぜ税金は租庸調なのか、です。同じことが、楽譜を読むときにその指示する言葉が何を意味するのか?どのようなことを反映させようとしているのかということに言えるわけです。それは間違いなく、作曲者が楽譜に込めた意志なのですから。日本史においても、歴史書というものは人間が編纂したものですから、何かしらの意志が反映されています。例えば、日本書紀古事記では編纂者が異なるため、当然その反映された意志は異なってくるわけですから。

となると、モーツァルトは「アレグロ」をどのような「意味」と考えていたのか?という解釈が、演奏に反映される、ということになります。一方で第41番第1楽章の指示は「アレグロ・ヴィヴァーチェ」。「速く活発に」という意味になります。ですがアレグロを「歩く速度で」と解釈すれば「歩きながら活発に」という意味になるわけです。クレンペラーは第41番では多少ゆったり目にしつつも快活な演奏にしていますから、クレンペラーアレグロを「歩く速度で」と解釈していると考えて間違いありません。

ただ、モーツァルトが生きた時代は交通手段が歩くだけだったわけではなく、馬車も存在していた時代です。アレグロが「歩く速度で」という意味と「速く」という意味の二つがあると言うのは、歩くことと船が交通手段としてない時代の産物ではないかという気がします。風を受ければ船は歩くよりも速いですが、向かい風や川上へと昇るときは歩く速度と大して変わりなくなりますので、下手すれば歩くほうが速かったりします(例えば、かつて江戸時代の水運においては、利根川や淀川では川上へ船を人力で引っ張っていました)。であれば、アレグロ=歩く速度=速い、という構図が成り立ちます。しかし、モーツァルトが生きた時代は陸上交通手段として馬車が出現し、もう50年経てば蒸気機関が発明され、蒸気機関車も走るという時代を迎える前夜になっていました。そうなると、果たしてクレンペラーの解釈は果たして正しいのか?と考えることもまた重要なのです。たとえクレンペラーがどんなに素晴らしい巨匠だとしても。

クレンペラーフィルハーモニア管弦楽団のコンビですからアンサンブルも素晴らしいですし演奏は申し分ありません。ですが、そのテンポはそのまま受け取っていいものなのか?ということは、歴史家である私は常に問題意識として持っているのです。今回のアルバムも、その私の歴史家の側面を感じるものでした。

 


聴いている音源
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト作曲
交響曲第35番ニ長調K.385「ハフナー」
交響曲第40番ト短調K.550
交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」
オットー・クレンペラー指揮
フィルハーモニア管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。