神奈川県立図書館ピノック/イングリッシュ・コンサートのモーツァルト交響曲全集の今回は第7集を取り上げます。収録曲は第22番から第25番、そして第30番です。
これで作曲順であっているのです。ベートーヴェンでいえば番号順と一緒なのです。
そのうち、第22番から第24番までが3楽章制というのも面白いですね。こう作曲順に並べてみますと、本当にモーツァルトの交響曲には3楽章制が多く、しかもその時期にはハイドンはすでに4楽章制の交響曲しか書いていないという事実を知りますと、その3楽章制の方に興味が向くというものです。
18世紀の交響曲:作曲時期の比較
http://www.kanzaki.com/music/mw/sym/yc?s=18c
演奏面でも、リフレインはきちんと弱くしている点も注目です。こう順番に聴きますと、ピノックがモーツァルトの交響曲をその作品が書かれた時期によって差をつけていることがよくわかります。
でも、それが正解なのかはわかりません。少なくとも私はなるほどと思っただけであって、それが正しいとは思っていません。たとえば、第1番にしてもすでにソナタ形式を備え、リフレインもあるのにもかかわらず、そのリフレインを弱くしない、つまりギャラントとして扱うというのは、どうなのだろうかと考えあぐねてしまいます。
しかし、ピノックが時期によってリフレインのつけ方を変えているのは間違いないと思います。それが如実に表れているのが、有名な第25番です。この曲は映画「アマデウス」の冒頭で鳴り響く曲でもありますから特に有名な曲でもありますが、この曲は短調ですから、モーツァルトの「ドグマ」が解き放たれた曲ともいえるものです。その解き放たれたすさまじさをリフレインの強弱によってコントラストをつけることで絶妙に表現しています。
弦が立っていて、ゆえにアインザッツが強いのもそれをさらに後押ししています。この第25番ではもう古典派以外の何者であろうかという雰囲気を持っています。
ただ、音の高低での強弱はあまりつけていません。もう少しそれをやってほしいのですね、私としては。それが古典派の「スタイル」であり、流儀であるからです。
それは日ごろから訓練していないと難しいものです。実はそれを中大オケは「新世界より」で忠実にやっていました。ドヴォルザークは国民楽派ですからリフレインは弱くなくてもいいという解釈も成り立つところを、まるでウィーン・フィルのようにきちんと演奏したのです!
学生オケがそこまできちんとするのに、このピリオドのプロオケはいったいどうしたことでしょう?アンサンブルは申し分ないのですから、その点はしっかりとやってほしいところです。
それがやられていれば、この第7集は完璧なのですけどね。
古典派の音楽を聴かれるときには是非、そういった点にも注目して聴いていただきたいなと思います。
聴いている音源
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作曲
交響曲第22番ハ長調K.162
交響曲第23番ニ長調K.181(162b)
交響曲第24番変ロ長調K.182(173dA)
交響曲第25番ト短調K.183(173dB)
交響曲第30番ニ長調K.202(186b)
トレヴァー・ピノック指揮、チェンバロ
イングリッシュ・コンサート
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