神奈川県立図書館所蔵CDハイドン交響曲全集の第17回目です。収録曲は第56番と第57番です。
今回も以下のサイトを参照しています。
ハイドンの交響曲
http://www.kanzaki.com/music/mw/sym/haydn
さて、前回の第16集から、収録されている曲が2つになってきているということが全体の中での変化として見ていいでしょう。番号順が作曲順ではないので一概には言えませんが、明らかに第3期である「聴衆への迎合と実験」期から音楽と内容に変化がみられると言っていいでしょう。一つ一つの曲が長くなっているのです。少なくともモーツァルトの番号なしの交響曲のような、明らかにオペラの序曲へ転用したような交響曲はなくなってきます。
この二つもそんな曲であると考えていいと思います。
まず、第56番です。
http://www.kanzaki.com/music/perf/hyd?o=Hob.I-56
1774年の作曲で、構成や形式的にもすでに古典派です。音楽的にも分かり易いだけでなくそれに気品を備えています。分かり易いという点で批判されるのでしょうが、しかしこの品格の良さはいったいどこから出るのでしょう?他にもC.シュターミッツのような交響曲作曲家がいたはずなのに、なぜモーツァルトやベートーヴェンはハイドンを師と仰いだのか。それについての考察をもっと進めなければならないと思っています。
確かに個性はないのです。しかし、この気品はすでにベートーヴェンの初期交響曲にも通じるものです。ベートーヴェンがある意味それだけのものを書くことが出来たのは当然だといるかと思います。すでにピアノソナタで作曲力はつけていて、さらに先生であるハイドンがいたわけですから、ベートーヴェンの能力からすれば、ちょっと頑張ればさして難しいことではなかったことでしょう(まだ耳が聞こえていた時期ですし)。しかしハイドンはパイオニアであるということを考えますと、果たして「ハイドンは軽薄である」という評価は適正なのかと、この曲を聴いても考えてしまいます。
第3楽章のメヌエットはのんびりしていると思いながら聴いていますと、あれ、この音楽の切れ方ってなに?って感じになります。一見しますとおふざけになりそうですが、これが大真面目なのです。ハイドンの聴衆との「距離間」が想像できる一節です。ハイドン先生にやり、って感じでしょうか。
次に第57番です。
http://www.kanzaki.com/music/perf/hyd?o=Hob.I-57
これも1774年の作曲で、第56番の次に作曲されています。このあたりからだんだん番号順に作曲されている様相を見せ始めます(きちんとそうなるのは第73番以降です)。第1楽章はアダージョの序奏がある急楽章。それも堂々としています。分かり易い音楽ですが、しかし気品はますます増幅されているような気がします。
構造的にも、第1楽章が頭でっかちというのがとても古典的だと思います。確かに聴衆へ迎合したものであると思いますが、果たしておわゆる「魂」まで売り渡したのか、はなはだ疑問な作品です。こういった作品を聴きますと、なぜハイドンがモーツァルトを評価でき、さらに後継者としてベートーヴェンが世に出たのか、その一端が見えてくるような気がします。
さて、ここまでようやく半分です。モーツァルトでもここまでくらいしか作曲していないのに、まだハイドンは「番号付き」がある・・・・・この能力は、もっと高く評価していいような気がします。
演奏ですが、今回もさえわたっています。特に第57番の第1楽章のアダージョからアレグロの切り替えは素晴らしく、その上でアンサンブルも秀逸です。最近はあまり評価されないこのモダンの演奏ですが、再評価してもいいような気がします。モーツァルトでも再びモダンの演奏が出てきている昨今、そろそろハイドンでもそんな動きが出てほしいなと思います。
海外ではすでにそんな動きがあるやもしれません。日本は・・・・・今回の震災で難しいでしょう。しかし、もしかするとハイドンをとりあげることが、意外な展開を見せる可能性もあると私は思っています。私はハイドンの音楽はとても人の心に太陽を照らすものだと思っていますし、もしかするとこのような非常時にこそ、必要な音楽なのかもしれません。
ハイドンは長らく忘れ去られた作曲家なので・・・・・それはまた、別のコーナーで語るときもあるでしょう。
聴いている音源
フランツ・ヨゼフ・ハイドン作曲
交響曲第56番ハ長調Hob.I-56
交響曲第57番ニ長調Hob.I-57
アンタル・ドラティ指揮
フィルハーモニア・フンガリカ
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