かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ハイドン交響曲全集25

神奈川県立図書館所蔵CDハイドン交響曲全集の、今回は第25回目です。今回は第79番から第81番までの3曲です。

いやあ、ハイドン交響曲って本当に多いですね〜。

今回も以下のサイトを参照しています。

ハイドン交響曲
http://www.kanzaki.com/music/mw/sym/haydn

実は、この3曲もほぼ順番で作曲されているのです。そして、いわゆる「聴衆への迎合と実験」期の最後を飾る作品たちです。

まず、第79番です。
http://www.kanzaki.com/music/perf/hyd?o=Hob.I-79

1783年から84年の作曲です。この曲もモーツァルトの音楽に刺激された形跡が、第1楽章の転調に見て取れます。しかし、それ以外はハイドンの音楽を貫き通してもいます。ですので仮にモーツァルトの作品に刺激を受けたとしても、やはり「実験」だったということになろうかと思います。

むしろ、モーツァルトの音楽家らの刺激は、ハイドンの音楽をさらに熟成させる方向へと向かわせたように思います。

次に、第80番です。
http://www.kanzaki.com/music/perf/hyd?o=Hob.I-80

これも1783年から84年の作曲です。第1楽章が第2楽章よりも小さめとなっています。この曲がハイドンのなかではかなり実験的な作品であるような気がします。古典派は第1楽章に重きを置きますから。それだけ、長くなるのですね。

出だしがとても印象的で、しかもニ短調という調性。これ以降では交響曲ではさほど珍しくなくなりますが(特に、第九で)、この時代では珍しいかと思います。この調性を選ぶ点も、ハイドンがこの曲を実験的に作曲しているように思います。

転調という点でも少しばかりモーツァルトを意識した点が見受けられます。そのせいか、このあたりからハイドンの音楽もがらりと変わり始めています。御年50代前半の作曲家が、24歳下の作曲家から刺激を受けるって、素晴らしいですね。

その点を持って、ハイドンモーツァルトの音楽に屈したのだみたいに言う人もいますが、私はあまりその意見に賛同しません。ハイドンはあくまでも自分の才能を良く知っていて、とにかくモーツァルトの音楽をどのように取り入れるかに執心していて、それを貫き通しています。それが故に、ハイドンの音楽にはきちんと個性が光っています。

最後に第81番です。
http://www.kanzaki.com/music/perf/hyd?o=Hob.I-81

これも1783年から84年にかけて作曲されたものです。第1楽章の動くリズムとゆっくり動くリズムの共存は、あきらかにハイドンの音楽がモーツァルトにふれたことによってさらに高い舞台へと昇ったことを意味します。エステルハージ家での実験の日々から、学会でいろんな人と出会うことでいろんなことを吸収するようになっていく過程とよく似ています。

全体的にこの曲はそういったこの「聴衆への迎合と実験」期の最後を飾るにふさわしい、気品と気高さを湛える音楽となっています。ハイドンもこれだけの音楽を書く力があったのだ、というより、もともとハイドンはそういった能力を持っていたと思います。それを見出したのがエステルハージ公であり、その庇護のもと、場合によっては意にそぐわない音楽を作ってきただけだと思います。

実際、それがフロックではないことを後年ロンドンで発揮するのですから・・・・・

その片鱗が見え隠れする作品たちだと思います。

こういった作品群を思い切って全曲演奏してしまおうという、ドラティとフィルハーモニア・フンガリカの意思というものも、演奏のそこかしこに出ていまして、とにかく気持ちだけで突っ走りません。これが素晴らしいです。抑制がききながら、しかしやることはきちんとやる。基本に忠実なその演奏は、いわゆる爆演系の名演とは違いますが、私は名演であると思います。



聴いている音源
フランツ・ヨゼフ・ハイドン作曲
交響曲第79番ヘ長調 Hob.I-79
交響曲第80番ニ短調 Hob.I-80
交響曲第81番ト長調 Hob.I-81
アンタル・ドラティ指揮
フィルハーモニア・フンガリ

地震および津波により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。同時に原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。