かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:ラトルとウィーン・フィルによるベートーヴェン交響曲全集3

東京の図書館から、府中市立図書館のライブラリである、サイモン・ラトル指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏によるベートーヴェン交響曲全集、今回はその第3集を取り上げます。

第3集には第4番と第6番が収録されているんですが・・・・・・第6番は全くPCが歯が立たないほど盤面が傷ついていたためリッピングすることができませんでした。なら聴けるのか?それもかないませんでした。

こうなるともうお手上げ。おそらく、第6番ばかり安物のデッキで再生し続けた人がいたんだと思います。そのおかげで、第4番は全くそん色なく聴けますし、リッピングも可能でした。

図書館の資料を公共のものと考えない人がいるということでもありますし、また第4番も素晴らしい作品なのに、第6番ばかりがもてはやされるという、我が国聴衆の嗜好傾向を物語るものでもあるでしょう。

とても悲しい現実ですが、演奏は本当に素晴らしいんです!正直、クライバー張りのテンポの良さと、そのテンポが生む生命力と推進力!生きる喜びが爆発した、溌溂とした演奏になっています。

それだけに、第6番「田園」はどれほど生命讃歌に満ち溢れた演奏であろうと思うと、聴けないのは本当に残念です。こういうことをするのであれば、ぜひともご自分で購入してほしかったものです。それならどうしようとも、ほかの人には何ら影響はありません(まあ、騒音はあるでしょうが、それはヴォリュームを調整すればいいだけです)。

もちろんそれは、ラトルとウィーン・フィルのこの演奏が素晴らしいという証明でもあります。この全集はその生命力において高い評価を得ているものでもあります。なので聴きたいのもわかりますし、ヘビロテするのもわかるんです。わたしだってこの原稿を書くために、つい何度も再生しています。ですが、図書館の資料は市民皆のものです。重要な財産です。

それを意識しないのは、本当に悲しいです。こういう素晴らしい演奏は多くの人に聴いてほしいものですし、だからこそ大切に扱うことが必要なのではないでしょうか。

反論として、それならお前が買えばいいだけだというのはあるでしょう。しかしだからと言って図書館の資料を大切に扱わなくてもいいという理由にはならないでしょう。しかも、ベートーヴェン交響曲に「ヒエラルヒー」をつけて、第6番は俺が聴くから、ほかの人は第4番を聴いてね~みたいな所業が許されていいわけがありません。これ、法的に言えば器物破損ですから。

その違法行為をしておいて、いやなら買えばいいんだよというのはあまりにも自己中心的ではないでしょうか。もちろん、聴けなかったものは買うつもりでいます。しかし本来であれば買わずに済むということは、理解しておく必要があるでしょう。特に私の場合、ほかのCDを処分しない限りは現状変えないという現実を持っています。それだけのことを他者に強要する資格は他者にはないはずです。

この全集はあまりにも素晴らしいため、中古市場にも出回りません。かといって新品が簡単に買えるほど、今店頭は贅沢ではありません。時代がDLやストリーミングに移行してしまったためです。買えばいい、では在庫はあるのか?と言えばそれも贅沢にはないんです。そういう時代です。

場合によっては、この全集はストリーミングでという選択肢もあるかもしれないと、現状では思っています。しかしこの全集を聴くためだけに定額サービスに入るのはもったいない話です。それならもうDLすらやめるという決断すらする必要があるでしょう。確かにそれをすれば聴けるでしょうが、強要していい気持ちになっているクラシック・ファンがいることは、とても残念です。そういう人にはこの演奏のすばらしさを語ってほしくはないなあと思います。

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第4番変ロ長調作品60
サイモン・ラトル指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。