かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:ラトルとウィーン・フィルによるベートーヴェン交響曲全集2

東京の図書館から、シリーズで取り上げている、府中市立図書館のライブラリである、サイモン・ラトル指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるベートーヴェン交響曲全集、今回はその第2集を取り上げます。

第2集には、第2番と第5番「運命」が収録されています。この二つとも、その生命力と推進力は絶大で、生きる喜びに満ち溢れています。

特に、第5番「運命」はどうしても重々しくなりがちですが、ラトルの解釈は推進力による「生きる喜び」。第1楽章の「絶望の到来と生きようとするもがき」、第2楽章の「嘆息と腹くくり」、第3楽章の「再生への混乱」、そして第4楽章の「再び生きることのできる喜び」というストーリーが明確で、かつ力強く、そして美しいのが特徴です。

この演奏を聴いたとき、待ってました!そうなんだ、こういう演奏を待っていたんだ!と本当にうれしかったのを覚えています。まるでラトルとウィーン・フィルは仲間のようにさえ思われました。

第2番も、ところどころ見えを切っているにもかかわらず、そんなことをみじんも感じさせずベートーヴェンの「世界」へと導いていきます。この第2番は指揮者やオケでそれほど差が出ない作品ではありますが、それでもこの演奏はとても魅力的。ともすれば絶望を感じてしまうときに、君だけじゃない。共に生きようよ、と勇気づけてくれます。

自分らしく生きようよ、わたしだって自分らしく生きてたくさん失敗もした。君も失敗しても何らはじることなく、誇りを持って生きよ、と言われている気がして、涙すら出てきそうになります。だれでも失敗し、だれでも絶望の淵へと追いやられます。その時、自分らしく生きることを、どれだけ選択できるか・・・・・これは自由と民主主義の現代においても、私たち一人一人の命題だと思います。特に、流されることを美徳とすらするこの国で、この社会において、どれだけ自分で選択しえるか・・・・・時にそれは苦しいこともありますが、それでも生きることを選択し、戦いえるか?難しいことだと思います。

そんな時に、苦しみ生きたベートーヴェンの音楽は、私たちのすぐそばで、ともに共感して、ちからづけてくれる音楽なのではないかという気がします。私にとってはベートーヴェン楽聖などという偉い人ではなく、一人の「仲間」。その仲間が苦しみの中で紡いだ希望の音楽。とても大切な「ギフト」です。

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第2番ニ長調作品36
交響曲第5番ハ短調作品67「運命」
サイモン・ラトル指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。