今月のお買いもの、令和2(2020)年10月に購入したものをご紹介します。クルレンツィス指揮ムジカ・エテルナの演奏によるベートーヴェンの交響曲第5番「運命」のアルバムです。au LISMOストアでの購入です。
ご紹介してはいませんが、私のキャリアであるauでは、結構Jpopを買っていたりします。例えばあいみょんとかです(機会がありましたら、あいみょんの楽曲も素晴らしいので御紹介したいと思っています)。その中でいくつかクラシックもあり、このクルレンツィスとムジカ・エテルナの「運命」もその一つです。
ちょうどこの時、出張で種子島へ2か月半ほど行っていた時期で、とりあえず時間がある限りスマホに詰め込んで、音楽を現地で楽しもうとしていた時でした。10月分はどうしても種子島ということになってしまうので、auのストアを見ていたら、なんと!クルレンツィス指揮ムジカ・エテルナの「運命」があったので、DLしてみた、というわけです。
ですが、以前より私はクルレンツィス指揮ムジカ・エテルナの演奏に関しては、あまりいい印象を持っていないことは何度か言及していると思います。この演奏もはじめのつかみとしてはまあまあなんですが・・・・・かなり思い切ったアコーギクなどがどうしても鼻につくんです。いやいや、それは違うだろ、と。そこまで奇をてらわなくても、という感覚で囚われます。
演奏としてはすごいですし、確かに立って体を動かすという演奏形態は理にかなっています。が、どうしてもそれこそ外形的美を狙っているとしか受け取れないんですよね。これならカラヤンのほうが数倍ましです。
どうしても共感できないし、演奏にのめりこむこともできないんです。ただ楽譜をなぞって弾いているというのに限りなく近く聴こえるんです。一応、96kHz/24bitですよ?第3楽章から第4楽章へ移るときの、あの勝利の音楽が鳴っても、全く共感できません。あの、あなたたち、本当に作品に共感してる?と疑問符が最後までいくつも頭の中につきっぱなしなのです。
確かにクルレンツィスのタクトは冴えているとは思うのですが・・・・・どうしても彼の解釈と、オケの表現に共感することができません。まぢで久しぶりに聴いています。おそらく種子島から帰ってきてから初めてではないでしょうか。それほど聴いていません。正直スマホから削除してもいいくらいだとすら思っています。まあ、DLしたものって他人に売れませんしね。これがCDならとっとと売り払っています。
どうしても感動で落涙とかもありませんし、一方ででは何かを考えさせるのかと言えばそれもないんです。酔えるのかと言えばそれもない。なーんにもないんです。もっときつい言い方をすれば、外面だけで中身が空っぽ。もう、これではチャイコフスキーの「悲愴」より悲惨です。あのほうがまだ何かをメッセージしたいという意思が感じられたんですが、この運命の演奏には何も感じることができません。
何でこんな解釈になったのか・・・・・・一度クルレンツィスにインタビューしたいくらいです。もし私が指揮できたとすれば、もっと自分の人生で苦しんだ経験を踏まえた解釈でタクトを振ると思います。クルレンツィスも苦しんだ経験があるはずだと思うのですが、それがどこかへ行ってしまっているようで、残念の極みです。
聴いているハイレゾ
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第5番ハ短調作品67「運命」
テオドール・クルレンツィス指揮
ムジカ・エテルナ
(Sony Classical)
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