かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ストラヴィンスキーとプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回はストラヴィンスキープロコフィエフのヴァイオリン協奏曲を収録したアルバムをご紹介します。

この二人、同じようにみられる傾向にありますが、プロコフィエフはそれほど前衛的な作品へと傾倒したわけではなかったため、結構仲がよくなかったりもします。ただ、のちには和解しています。そのことで同じようにみられるのかもしれません。

ここに収録されているストラヴィンスキープロコフィエフそれぞれの作品は成立年代が近く、ストラヴィンスキーのが1931年、プロコフィエフのが1935年です(第2番)。

ja.wikipedia.org

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ストラヴィンスキーはヴァイオリンという楽器に対してネガティヴな側面があったためか1曲しか作曲しませんでしたが、プロコフィエフは2曲作曲しています。このアルバムにはそのうち後の方である第2番が収録され、ストラヴィンスキーと並んでいます。

それならば、プロコフィエフの作品二つを並べてしまってもいいように思いますし、私もそんなアルバムがあったらぜひとも買うか借りてきたいところですが、このアルバムではあえてストラヴィンスキープロコフィエフです。その理由が、それぞれの作曲家と交流があったヴァイオリニスト、サミュエル・ドゥシュキンの存在です。彼はストラヴィンスキーのでは初演のヴァイオリニストを担当し、プロコフィエフは「2つのヴァイオリンのためのソナタ作品56」で初演をしたことで彼を尊敬していました。

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こういう側面から、ある意味ドゥシュキンは二人をつなぐ「鎹」であったとも言えるでしょう。のちに名ヴァイオリニストとして名をはせるドゥシュキンですが、そのキャリアの中で外せない作曲家がこの二人であったことは間違いないでしょう。

となれば、演奏するソリストもそれなりの人が求められるところです。このアルバムではコパチンスカヤ。ムジカ・エテルナのコンサートマスターとしても最近は有名ですが、直近のウィキでは触れられていません。

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私自身、コパチンスカヤのヴァイオリンが嫌いではありませんし、のびやかで艶のある音色も好きな部類です。ですが、以前「今月のお買いもの」でチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を取り上げていますが、あのとき実はクルレンツィス指揮ムジカ・エテルナの音源も視聴したうえではじいています。その時のソリストコパチンスカヤ。ではなぜはじいたのかと言えば、どこかわざとらしさを感じたからです。その点、あの時のソリストであるバティアシュヴィリは自然な「歌」であると感じたのです。

この演奏を聴いていて、わざとらしさを感じないのです。むしろこのほうが自然なコパチンスカヤなのではないか?と思います。ひと呼吸おいて、自分の世界とは何か?をしっかりと思考して、表現しているように感じられます。その分、とても好印象です。クルレンツィスはかなり英雄視されていますけれど、本当にそこまでの価値があるのかって私自身は思っています。この演奏はユロフスキ指揮ロンドン・フィル。それでなんの不満もありません。むしろこういう現代もので、クルレンツィスがどこまで体全体を使ったパフォーマンスをオケやソリストとともに追求していくかのほうがよほど興味があります。少なくとも、ベートーヴェンの「運命」ではあまりいい印象がなく、第7番では可能性を考えていますが現在食指が伸びません。

ですが、コパチンスカヤ単独なら、おそらく選ぶ可能性はあると思います。齢40半ばを迎えるコパチンスカヤ。そんな年代的に近いところで、おそらく私と波長が合う部分はあるんだと思いますので・・・・・

 


聴いている音源
イゴール・ストラヴィンスキー作曲
ヴァイオリン協奏曲
ストラヴィンスキーのヴァイオリン協奏曲用のカデンツ
セルゲイ・プロコフィエフ作曲
ヴァイオリン協奏曲第2番ト短調作品63
パトリシア・コバチンスカヤ(ヴァイオリン)
ウラディーミル・ユロフスキ指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。