かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:メンデルスゾーン 弦楽五重奏曲全集

東京の図書館から、今回は小金井市立図書館のライブラリである、メンデルスゾーンの弦楽五重奏曲全集を取り上げます。

メンデルスゾーン管弦楽曲のみならず室内楽曲も多く作曲しています。そのうち弦楽五重奏曲は2曲が残されています。弦楽五重奏曲は弦楽四重奏ヴィオラもしくはチェロを入れたものですが、メンデルスゾーンヴィオラを入れています。

メンデルスゾーン弦楽四重奏曲第1番は1826年に作曲されました。当初はスケルツォメヌエットが同居する作品になる予定でしたが、結局スケルツォが選択され、曲をいろいろ入れ替えて現在の楽章構成になっています。若若しさを感じる作品です。

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一方の第2番は1845年の作曲。ライプツィヒ音楽院を創立するなど、忙しいさなかに作曲された作品です。第1番よりは老練な熟成された音楽です。

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演奏はウィーン・フィルハーモニー五重奏団。その名の通り、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーで構成されています。その名手たちが奏でるこの2曲は、なんと生命力にあふれていることか!第1番は瑞々しく、第2番は達観された視点を感じ、そのうえでワクワク感も満載な第1楽章!

メンデルスゾーンが弦楽五重奏曲をどのようにとらえていたかはわかりませんが、八重奏曲も存在することを考えますと、小さいオーケストラというイメージは持っていたのではないでしょうか。特に第2番では前面に出ているように聴こえますし、ウィーン・フィルハーモニー五重奏団のメンバーも同じように感じているのではないでしょうか。

そもそも、アンサンブルという意味では弦楽四重奏であろうがフルオーケストラであろうが変わりはありません。フルオーケストラは弦楽四重奏の延長でしかないのです。そこに管楽器や打楽器も入ってくるだけです。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーだからこそ理解していると思いますし、その視点が演奏からにじみ出ています。それぞれの楽器の音が際立つと同時に、美しいアンサンブルが実現しています。これがプロですし、一流のアンサンブルだと言えます。それが例えば、ホールにおける圧倒的なサウンドだったり、豊潤な響きだったりという結果につながるわけです。そこはしっかりウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の真のすばらしさとして押さえておく必要があるだろうと思います。

それは全体のために個を犠牲にするという考え方ではありません。個々の能力を如何に全体に生かすかという視点に立っています。その意味では、市民革命以降、クラシック音楽において、独奏楽器だけでなく大管弦楽曲も数多く作曲されてきた所以だと思います。全体のために個を犠牲にする絶対王政の中ではなかなかそういう動きにつながりません。独奏曲と大管弦楽曲が同居するという動きはまさに市民革命がもたらしたものだと言えます。

その意味では、他ジャンルに於いて、個人の演奏が多いことは必ずしもいい傾向とは思えないのです。勿論素晴らしい楽曲も多いので作品一つ一つを否定しませんが、一方で個人の演奏「だけ」にとどまっていることは必ずしも個人主義に傾倒しているとはいえないのです。むしろ個人「分断」だとすれば、むしろ為政者に都合よくつかわれているとも言えるわけなので・・・そのあたりはもうバランスの問題ではありますが。

しかし、その「バランス」というものがクラシック音楽が追求して来たものだとすれば、このウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーによる演奏は、現代の様々な音楽シーンに対する一つの批判だとも言えます。古いものが必ずしも悪ではないという典型だと言えましょう。それを可能にするのが、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーが持つ高い実力だということなのです。それがメンデルスゾーンの作品を演奏することでさらに際立っているのです。

 


聴いている音源
フェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディ作曲
弦楽五重奏曲第1番イ短調作品18
弦楽五重奏曲第2番変ロ長調作品87
ウィーン・フィルハーモニー五重奏団

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