かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD補遺:マーラーとシェーンベルク 室内楽版「さすらう若人の歌」

今回と次回、そして次々回の3回は、「神奈川県立図書館所蔵CD補遺」として、神奈川県立図書館のライブラリをご紹介します。今回はマーラーが作曲した歌曲集「さすらう若人(若者)の歌」を取り上げます。

と言っても、実は隠れた主役は、シェーンベルク。「さすらう若人の歌」は伴奏がピアノ、あるいはオーケストラですが、それなら室内楽でもいいわけです。それを編曲したのが、シェーンベルクです。

マーラーオーケストレーションも優れたものですが、20世紀を代表する管弦楽作曲家と言えば、やはりシェーンベルクを挙げざるを得ないでしょう。そのシェーンベルクは19~20世紀の作曲家たちの作品に編曲を加えた人としても有名ですし、いくつかはこのブログでも取り上げています。

このアルバムはむしろ、そのシェーンベルクの「編曲家」としての才能を取り上げていると言っても過言ではありません。マーラーオリジナルのピアノ、そしてオーケストラ版を存分に研究した跡が、聴くだけで見出せるのは素晴らしく、マーラーオリジナルと言っても過言ではないくらいです。

シェーンベルクと言えば、12音階が注目されるのですが、初めから調性を否定していたわけではありません。それはこのブログでも幾度か触れているかと思います。ある意味、シェーンベルクという作曲家のイメージを覆すこれらの編曲だと言ってもいいでしょう。委嘱されて編曲しない限り、それはリスペクトあるいは作曲者のオーケストレーションなどに対するアンチテーゼであるからで、それは本人の意思によるものだからです。

2曲目のシェーンベルク自身の作品である「クリスマスの音楽」は、12音階ということにこだわっていると「これはシェーンベルクを罵倒している!」とかイミフな言葉が発せられかねないと思いますが、まぎれもなく本人の作品でありますし、部分部分で調性から外れている点もあり、非常にシェーンベルクらしい作品だと言えます。

その次のシュレーカーの作品はシェーンベルク編曲ではないものの、シェーンベルクの影響下にある音楽として、どれだけシェーンベルクが20世紀音楽に影響を与えたのかが明確です。続く最後のブゾーニシェーンベルクの編曲。新古典主義音楽を提唱したブゾーニ。それはシェーンベルク自身も共感したのではないでしょうか。そうでなければ、シェーンベルクが編曲をするはずはないからです。内容としても非常にそん色ないというか、オリジナルがブゾーニだけに皆さんのシェーンベルク像とそん色ない響きが聴けるのではないでしょうか。

演奏するのも、カメラータ・ド・ヴェルサイユと室内アンサンブルで非常に明確な優れたアンサンブルによる「歌」が聴けるだけでなく、まさに「歌っている」アンナ・ホルロイドの表現力も魅力!20世紀音楽の一つの特徴は不協和音ですが、室内楽で聴きますとむしろその和声は追求された結果なんだとわかる分聴きやすい点があります。それは重厚な19世紀の和声も同様で、室内楽にするとむしろ非常にすっきりしていて、生命力すら感じますし、その生命力を生き生きとしっかり表現しているカメラータ・ド・ヴェルサイユの優れたアンサンブルも魅力的。

食わず嫌いはいけないよと、この一枚で教えられますし、まさに図書館のライブラリとしてふさわしい一枚です。こういう点は本当に神奈川県立図書館の優れた点だと思います。

 


聴いている音源
グスタフ・マーラー作曲
さすらう若人の歌室内楽版、アーノルト・シェーンベルク編曲)
アーノルド・シェーンベルク作曲
クリスマスの音楽
フランツ・シュレーカー作曲
5つの歌曲(ゲスタ・ノイヴォルト編曲)
フェルッチョ・ブゾーニ作曲
恋愛風子守歌 作品49 ~母の棺に寄せる男の子守歌(アーノルト・シェーンベルク編曲)
アンナ・ホルロイド(メゾ・ソプラノ、さすらう若人の歌、恋愛子守歌)
アムリー・デュ・クローゼル指揮
カメラータ・ド・ヴェルサイユ

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