かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:ブラームスのハンガリー舞曲集ピアノ原曲版

東京の図書館から、府中市立図書館のライブラリをご紹介します。ラベック姉妹の演奏によるブラームスハンガリー舞曲集です。原曲ピアノ4手版です。

ハンガリー舞曲集はその題名とは異なり、ハンガリーの民俗音楽全体を指すのではなく、その一部であるジプシーであるロマの音楽をブラームス流にアレンジしたりブラームスが作曲した作品集です。訴訟にもなりましたが基本的に編曲集であるということでブラームスが勝訴しています。

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とはいえ、この曲はその後19世紀~20世紀にかけてヨーロッパを席巻した、民謡収集運動へとつながっていくのですから、ブラームスという作曲家がどんな立ち位置だったのかを示す典型的な作品だともいえます。後期ロマン派の代表的作曲家でありながら、次代を先取りした作曲家でもありました。その「次代を先取り」という点を表す作品がこのハンガリー舞曲だと言えます。

後期ロマン派の一つの音楽運動として国民楽派があり、その反省として新古典主義音楽がありますが、その時代を先取りしたのがこのハンガリー舞曲集だと言えます。ハンガリー民族音楽を世に出そう、というのは当時実はとてもセンシティヴなことでした。ブラームスが活動したドイツ帝国ならともかく、お隣のオーストリア・ハンガリー帝国では、その帝国の一体性を否定する運動へとつながりかねないことだったからです。

ブラームスが活動したドイツ帝国は、多くの王国が連合した帝国ですが、しかしそれは基本的にドイツ民族だったわけです。しかしオーストリア・ハンガリー帝国は二重帝国とも言われ、多くの民族がその内部に存在するゆえに、その内部で帝国からの離脱、あるいは独立という機運もなくもなかったからです。ですからブラームスがこの曲を紡ぎだすということは、むしろオーストリア・ハンガリー帝国の当局から目を付けられる危険性もあったわけです。幸いながら、其の元になったのがジプシーの音楽だったからこそ目を付けられることもなかったと言えるでしょう。むしろ紹介したレメーニはそういった危険性を考慮して、ロマの音楽をハンガリーの音楽として紹介した可能性も考えられると思います。

4集からなる作品集ですが、意外とこの原曲が聴かれることは少ないんですよね。管弦楽編曲が主流であることが我が国では多く、しかもピアニストもこの曲がブラームスのオリジナルではないということで敬遠する向きもあります。しかし、ブラームス民族派であったという事実でもあるこの作品は、注目に値する作品だと私は思います。しかもパトリオティストだったからこそ、他国のパトリオティズムにも興味があるという部分もあり、私にとってはとても魅力的かつ共感する作品集でもあります。

しかし、今までこの原曲を聴く機会は少なかったのです。特に第4集までまとめて聴く機会は皆無。そこで図書館で借りてこようと思ったのがこの一枚だったのです。

ラベック姉妹の演奏は、過度に歌わないという点でとても優れています。なぜそれが優れているかと言えば、ラベック姉妹の出身はフランス。決して彼女たちはロマではないからです。この作品はあくまでもロマの音楽をブラームスという人間のフィルターを通して紡ぎだされたもの。その「他民族の人間というフィルターを通したもの」という部分を大切にしている点が優れているのです。そのことが自然と、ブラームスのロマの音楽に対する共感と、それを自らの芸術に取り入れようとするどん欲さが垣間見える作品の特色が浮かび上がってきます。

もっと言えば、彼女らの演奏は、同じくロマではないブラームスがロマの音楽を編曲したということへのリスペクトであるともいえます。過度に歌ってしまうと、それはブラームスの音楽になりかねません。しかしあくまでもブラームスはこの作品集は「ハンガリー舞曲集」として、ハンガリー民族音楽を紹介するというスタンスなのです。しかしブラームスらしさも見える。そのバランスを考えたとき、後期ロマン派でありがちな過度に歌う演奏は不適切である、との判断をしたように思えるのです。そしてその判断は正しいと私は思います。芸術に何が正しいのかなどは陳腐な場合も多いですが、この作品集に関してはラベック姉妹の姿勢は正しいと私は言いたいと思います。あまりにも過度に歌いすぎる演奏は果たして本当にブラームスが言いたいことだったのだろうか、あるいはロマの音楽を聴いたうえでの解釈なのだろうかと思ってしまうからです。

その点、ラベック姉妹の解釈はとにかく楽譜から掬い取れるだけ掬い取る、ということに徹しています。楽譜通りではなく、そこからどれだけ掬い取るのか、そして掬い取った分をしっかりとフィードバックできるか、です。ここは歌おう、しかしここはただ通り過ぎようということを楽譜を見てしっかりと吟味した跡が、演奏に見えるのです。その具合がとても心地よく、ブラームスの音楽であってブラームスの音楽ではないというこの作品集が持つ魅力、心地よさというものがしっかり表現されていると思うのです。

この原曲版こそ、ブラームスがロマの音楽に共感して紡ぎあげたオリジナルという点で、ブラームスの内面を表している版のように、私には思えてなりません。

 


聴いている音源
ヨハネス・ブラームス作曲
ハンガリー舞曲集(4手ピアノ版)
カティア・マリエル・ラベック(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。