かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:新ウィーン楽派管弦楽作品集2

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、新ウィーン楽派管弦楽作品集を収録したアルバムをご紹介しています。今回はその第2集を取り上げます。

前回、2回と言いましたがこのアルバム3枚組なので、あともう一回ありますのでご容赦くださいm(__)m

さて、この第2集には新ウィーン楽派の祖ともいうべきシェーンベルクと、その弟子ベルクの作品が並んでいます。シェーンベルクは「浄夜」、そしてベルクは「3つの管弦楽曲」と「「抒情組曲」からの3章」の二つです。

シェーンベルクの「浄夜」は、新ウィーン楽派の作品の中でも最も有名だと言ってもいいのではないでしょうか。とはいえ、浄夜は以前も原曲を取り上げたときにも触れていますがそれほど12音階的ではなくむしろ調性の拡大みたいな感じです。

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それに比べますと、弟子のベルクは完全に12音階というか、不協和音バリバリ。ですが聴きづらくないのが不思議。

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ベルクは基本室内楽の大家でした。ですから、あのベートーヴェンの16の弦楽四重奏曲を2回も収録したアルバン・ベルク四重奏団はその名を冠しているんですね。もっと言えば、ここに収録されている作品の中でもともと管弦楽作品なのはベルクの「管弦楽のための3つの小品」だけで、あとはもともと室内楽作品です。それが作曲者によって管弦楽へと編曲されたのが今回聴いているヴァージョンということになります。

そのヴァージョンを、カラヤン指揮ベルリン・フィルで聴きますと、なんとテクスチュアが浮かび上がることか!そしてそのテクスチュアが浮かび上がることにより、作品の内面性も浮かび上がってくる・・・・・このこと自体は、決して悪いことではないと思います。カラヤンは文明論で悪く語られることが多いのですが、カラヤン一人を人身御供にしている気がしてなりません。そもそも、それならシェーンベルクやベルクなどの新ウィーン楽派への批判とならなければおかしいと思います。

とはいえ、シェーンベルクの「浄夜」はラディカルな作品ですし、ベルクも同様に特に抒情組曲は不倫が切っ掛けだった可能性が高い作品です。となると、日本ではベルクの抒情組曲って演奏してはいけないんでしょうかねえ、唐田さんや東出をぶったたいている皆さん。確かに杏さんは傷ついているとは思うので彼女が怒るのは正当だと思いますが・・・・・どうでしょう?

カラヤンはそんな作品が持つ美しさと、その裏にある危険な香りを、存分にオケを鳴らすことで表現しています。外形的なはずのベルリン・フィルは思いっきり歌っています。むしろカラヤンが歌わせているとも言えるでしょう。それはなぜなのか?それは、これらの作品がラディカルさを「歌い上げる」作品だからだとは言えないでしょうか?

であれば、私はさすがカラヤン!としか言えないと思うのです。

 


聴いている音源
アルノルト・シェーンベルク作曲
浄夜 作品4
アルバン・ベルク作曲
3つの管弦楽曲 作品6(1929年改訂版)
「抒情組曲」からの3章(1929年弦楽合奏版)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

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