かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:新ウィーン楽派管弦楽作品集3

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、3回に渡りまして新ウィーン楽派管弦楽作品集を取り上げていますが、今回はその第3集を取り上げます。

この第3集に収録されているのは、最後の独り、ヴェーベルンウェーベルンとも書きますが、スペルは一緒。ドイツ語読みか英語読みかの差でしかありません。

この人、さすが新ウィーン楽派の最末端にいるだけあって、その音楽はまさに不協和音バリバリなのですが・・・・・

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ところがです、聴いてみればそれほど聴きなれない音楽が鳴っているわけじゃない。実に現代であればごく普通の「音」が鳴っているんです。だからこそ、私は結構最近はヴェーベルン好きなんですけどね。

多分、聴けばむしろクラシックに疎い人ならば、これは映画音楽ですか?と尋ねるでしょう。そう、現代の映画音楽、特にサウンド・トラックならヴェーベルンくらいの音楽は当たり前に使っていますし、サスペンスものならごく普通です。むしろ、サスペンスもので流れる音楽はその源流にヴェーベルンがいるということです。それがウィキの言う多大な影響ということだといえます。

ここに収録されている作品はほとんどヴェーベルンの創作期で言えば初期に当たる時期に作曲されています。交響曲1924年と作風がちょうど変わる時期の作品です。

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こう並べてみると、このアルバムは実にヴェーベルン入門としての意味合いが強いことがわかります。しかも、外形的との批判を受けるカラヤンだからこそのテクスチュアが浮かび上がる解釈と、それを実現するベルリン・フィルの演奏で聴きますと、実に明快にヴェーベルンの音楽は現代人の感情の動きというか、複雑さがむしろつまびらかになり、その内面性が自然と浮かび上がるようになっているのがとても印象的です。ヴェーベルンってこんなに聴きやすかったっけ?っていう感じです。むしろその聴きやすさゆえに、音楽が持つメッセージなどが受け取りやすくなり、考えることも多くなるなあと思います。

そう、作曲家と対話できるということが、この演奏の最も重要な役割だと思います。カラヤンは古典派よりはむしろ、20世紀音楽にこそ優れた演奏が多いような気がするのは私だけでしょうか?このアルバムで取り上げた新ウィーン楽派、そしてシベリウス・・・・・ともに現代の「複雑さ」を作品に投影しようともがいた作曲家たちです。シベリウスは若干絶対音楽的に、そして新ウィーン楽派は調性を破壊することで。二つの方向は逆をむいてはいますが、目指す地点は一緒なんですね。それはわたしにとって目からうろこであり、そして私が現代音楽を「20世紀音楽」と呼ぶことは適切なのだと、改めて思い起こさせてもくれる、とても勇気がもらえる演奏です。

外形的というのは何を指すのか、正直私には理解できません。むしろそう批判している人のほうが、言葉の記号論にとらわれてはいないか・・・・・そんな気がするのです。

 


聴いている音源
アントン・ヴェーベルン作曲
管弦楽のためのパッサカリア 作品1
弦楽合奏のための5つの楽章 作品5(1929年弦楽合奏版)
6つの管弦楽曲 作品6(1928年版)
交響曲 作品21(クラリネット、バス・クラリネット、2つのホルン、ハープ、2つのヴァイオリン、ヴィオラとチェロのための)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。