かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ダルムシュタットの才能たち ラマティ、ウルバンナーとヴェーベルン

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回は20世紀音楽の弦楽四重奏曲を収録したアルバムをご紹介します。

私がいわゆる現代音楽と言われているものを、20世紀音楽と呼ぶことは、このブログの読者の方であれば存じ上げていることだと思いますが、その20世紀音楽において、強い影響を与えたマスタークラスがあります。それがダルムシュタット夏季現代音楽講習会です。

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もっと言えば、「前衛音楽」と言われるもののマスタークラスが、このダルムシュタット夏季現代音楽講習会です。この講習会において、「現代音楽」と言われているのは、基本的に新ウィーン楽派です。

つまり、このアルバムに収録されている作曲家で言えば、ヴェーベルンなんですが、しかもそのヴェーベルンに絞ったマスタークラスになっていったという・・・・・

多分、普段後期ロマン派までしか聴いていないと、このマスタークラスの存在は全く知ることもできないと思いますし、それはわたしも同じです。このアルバムを借りて、実際に検索するまで、そのマスタークラスの存在など、知りもしませんでした。

けれども、聴いていてどうも統一性があるなあと、不思議に思って各作曲家を検索してみたのです。ラッキーなことに、ヴェーベルン以外の二人、ラマティとウルバンナーも説明がありました。そこで共通したのが、ダルムシュタット夏季現代音楽講習会、だったのです。

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まるで、凶弾に倒れたヴェーベルンの魂を慰めるかのように、ヴェーベルンの作品研究と傾倒していくように、私には見えるんです。ラマティの「モビール」はその和声が織り成す構成が、まるで生命を持つかのようですし、ウルバンナーの弦楽四重奏曲第3番も、じつは形式的には美しいものを持ちます。しかしその和声は、実に不安と混とんに満ちています。

その「形式美と実際の和声とのコントラスト」が、人間の「業」のようにも聴こえるのです。それはラマティもウルバンナーも、一緒のように思えます。

その視点でヴェーベルンも聴いてみると、不思議と作品が持つ「魂」が聞こえてくるから不思議です。ふと演奏者を見れば、アルバン・ベルク四重奏団なんです。ベートーヴェン弦楽四重奏曲全集を2度も収録したカルテット。その古典派作品の演奏にどうしても注目が行きますが、そもそもを考えてみれば、彼らはアルバン・ベルクというやはり新ウィーン楽派の作曲家の作品を演奏するために、作曲家の奥様から名称使用のお墨付きを得て活動を始めた団体だということを、思い起こす必要があると思うんです。つまり、新ウィーン楽派という、20世紀音楽における前衛音楽の室内楽作品を演奏するために結成された、ということを。

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ベートーヴェン新ウィーン楽派というのは、彼らにとって自分たちのレゾン・デートル(存在理由)です。そこに魂が込められるのは当然だといえるでしょう。ラマティでの繊細さ、ウルバンナーでの自然体、そしてヴェーベルンでのスタイリッシュさと人間性。どれをとっても、そういえばベートーヴェンでのスタイリッシュさと人間味がよみがえってくるなあと思います。ふとクレジットを見れば、なんと!ベートーヴェン弦楽四重奏曲全集の収録とほぼ同じ時期なんです。

古典派までなら、おそらく例えばスメタナ四重奏団でもいいけれど、前衛になったら、やはりアルバン・ベルクだなあと、この演奏を聴くと思い知らされるのです。

 


聴いている音源
アントン・ヴェーベルン作曲
弦楽四重奏のための5つの楽章 作品5
弦楽四重奏のための6つのパガテル 作品9
弦楽四重奏曲 作品28
ローマン・ハウベンシュトック=ラマティ作曲
弦楽四重奏曲第1番「モビール
エーリヒ・ウルバンナー作曲
弦楽四重奏曲 第3番
アルバン・ベルク四重奏団

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