神奈川県立図書館ブラームス弦楽四重奏曲全集の今回は第2回目。第3番と、ドヴォルザークの第13番が収録されています。
ブラームスと言えば、ドヴォルザークの才能を見いだしたことでも有名です。その点から、ドヴォルザークも一緒に取り上げることは理に適っています。
なにせ、ブラームスは3曲しか弦楽四重奏曲を作曲していないのですから。
弦楽四重奏曲第3番 (ブラームス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E5%9B%9B%E9%87%8D%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E7%AC%AC3%E7%95%AA_(%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9)
この第3番は前2曲に比べますといわゆる重々しさがなく、ブラームスが一つ吹っ切れたと言いますか、突き抜けた音楽となっています。ブラームスの重々しさが好きな方にとっては面喰う音楽かもしれません。
構成的にも、第1楽章の材料を第4楽章の変奏に使うなどの手法は、ウィキに言いますとおり後の交響曲第4番やクラリネット五重奏曲にも繋がっていきますが、後の循環形式にもつながっていく考え方でもあります。
一方で、とても古典的な形式美を持つ曲でもあります。それは第4楽章の変奏曲です。これはすでにベートーヴェンがやっている手法です(第14番など)。それでいながらベートーヴェンの重みを全く感じさせません。その点でこの曲は「一つ吹っ切れて」いるわけなのです。
一方で、ドヴォルザークの第13番はすでにエントリでご紹介したように、ドヴォルザークがアメリカ滞在中に作曲に着手し、ボヘミアにかえってから完成した作品です。しかし、この二つの作品の間にある約20年という時間を全く感じさせないのです。いかに両者がともに一つの目標をお手本に作曲をし、その中で自分らしさというものを出していったかの結晶なのかを実感させられます。そう、ベートーヴェンです。
弦楽四重奏曲第13番 (ドヴォルザーク)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E5%9B%9B%E9%87%8D%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E7%AC%AC13%E7%95%AA_(%E3%83%89%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%82%AF)
アルバン・ベルクQの演奏は、ブラームスではとてもブラームス的なものが出るようなアプローチなのですが、ドヴォルザークになりますと一変します。もちろん、旋律的にはボヘミア的なものも見え隠れしていますからドヴォルザークなのですが、まるで別人の音楽を聴いているかのような感覚です。まるで、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を聴いているかのような、気高さすら感じられるから不思議です。しかしそれは、私はドヴォルザークがベートーヴェンという先達を意識していた証拠なのではないかという気がするのです。
実は、このカップリングでアルバン・ベルクQであったという点が、ほぼ2年くらい前、この音源を当時借りてきた理由でした。どうしてもドヴォルザークと言えばブラームスとの関連になるわけですが、この全集を聴きますと、いやいや、ベートーヴェンも忘れてはいませんか?と言われているかのようです。
確かに、ブラームスもドヴォルザークも、弦楽四重奏曲としてはベートーヴェンを先達と考えて作曲を始めたわけですから、その影がどこかにあっても不思議ではないわけで、その点を認識させられる演奏です。
聴いている音源
ヨハネス・ブラームス作曲
弦楽四重奏曲第3番変ロ長調作品67
アントニン・ドヴォルザーク作曲
弦楽四重奏曲第13番ト長調作品106
アルバン・ベルク四重奏団
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