かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ドヴォルザーク弦楽四重奏曲全集9

神奈川県立図書館所蔵CDのドヴォルザーク弦楽四重奏曲全集の今回は第9集を取り上げます。収録曲は第14番と「糸杉」です。

ようやく最後の第9集までやってきました。

1896年に完成した第14番は、昨日少し触れましたが着手は第13番よりも早かったのですが完成が遅れてしまった作品で、そのため第14番のほうが第13番よりも作品番号は早いこととなっています。

弦楽四重奏曲第14番 (ドヴォルザーク)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E5%9B%9B%E9%87%8D%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E7%AC%AC14%E7%95%AA_(%E3%83%89%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%82%AF)

さて、この曲はアメリカ的でしょうか?いいや、私にはボヘミアの香しか匂ってきません。これを聴きますと、アメリカ滞在時だけで彼の音楽を判断してはいけないと思います。

プラハ弦楽四重奏団はそれを全く肩肘張らずに、あくまでも室内楽の範疇で演奏しています。だからこそかもしれませんが、素直に音楽の高貴さが私たちに迫ってきます。

次に糸杉ですが、これはもともとドヴォルザークが作曲した歌曲でして、そのうち12曲を弦楽四重奏曲に編曲したものです。今では原曲の歌曲よりもこの弦楽四重奏曲のほうが「糸杉」としては有名です。

歌曲
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%82%AF#.E6.AD.8C.E6.9B.B2

さらに弦楽合奏版もあるそうで、いかにドヴォルザークがこの曲を気に入っていたのかがうかがえます。

ドヴォルザーク/糸杉 あれこれ
http://nailsweet.jugem.jp/?eid=218

確かにこの曲はいくらドヴォルザークが稀代のメロディーメーカーだったとしても、第14番まで以上に甘く切ない旋律は、まことに歌曲的です。

さらに特徴的なのが、弦をつま弾かせる奏法です。これは第13番でも使っていますが、それ以前にこの糸杉で使っているのですね。糸杉が歌曲から弦楽四重奏曲へと編曲されたのが1887年です。第13番が1896年ですから、実に9年の月日が経っているんですね。実はドヴォルザーク弦楽四重奏曲をしばらく書いていない時期があり、それがちょうどこの糸杉を編曲している時期に当たるんですね。第11番と第12番の間がほぼ12年あいています。

ボヘミア時代にすでに弦楽四重奏曲をしばらく書いていないにも関わらず、ドヴォルザークアメリカへ渡ってから再び弦楽四重奏曲を書いています。それはアメリカという若い国家の文化を創造するという目的の中に彼がいたことも有ったのでしょうが、やはりネイティヴ・アメリカンであるインディアンの音楽に触れたことと、ネイティヴ・アフリカンである黒人の霊歌に触れたこと、そして最初の移民だった東部エスタブリッシュメントたちの音楽に触れたことが、彼をして再び弦楽四重奏曲の作曲へと向かわせた部分はあったでしょう。仮に第12番の動機が学生の家庭に招かれてだったとしても。

弦楽四重奏曲第12番 (ドヴォルザーク)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E5%9B%9B%E9%87%8D%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E7%AC%AC12%E7%95%AA_(%E3%83%89%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%82%AF)

糸杉はそう考えると、もしアメリカにわたっていなかったらドヴォルザークの音楽がどう変わったのかを考えるのに示唆を与えているようにも思います。

それにしても、私はこの糸杉からは、もう一つ彼の音楽に影響を与えた偉大な作曲家の影を感じます。それはハイドンです。ハイドンもこういった編曲をやっています。それは弦楽四重奏曲第50番から第56番までの、いわゆる「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」です。

十字架上のキリストの最後の7つの言葉
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%AD%97%E6%9E%B6%E4%B8%8A%E3%81%AE%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%AE%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE7%E3%81%A4%E3%81%AE%E8%A8%80%E8%91%89

これも以前エントリを立てています。

神奈川県立図書館所蔵CD:ハイドン弦楽四重奏曲全集22
http://yaplog.jp/yk6974/archive/565

ハイドンの「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」はもともとは管弦楽曲で、後に弦楽四重奏曲版とは別にオラトリオ版が編曲されていますが、ベートーヴェンの16曲の作品を念頭に置いていたであろうドヴォルザークが、ハイドンは眼中になかったというのは私としてはいろんな作曲家の作品をここまで聴いてきてありえないと思っています。ブラームスですらハイドンの曲に対してリスペクトしているのに、ドヴォルザークにはそれはないというのはおかしいと思っています。

当然、念頭に置いてこの糸杉も編曲をしたのだと思います。もちろん、彼なりのやり方で。それが分かりますかと、まるでドヴォルザークに言われているかのようです。

元々の歌曲は失恋がきっかけだったのに、弦四への編曲は、もっと形而上学的なものから発していることに、その失恋をようやくドヴォルザークが突き放して考えることができるようになったと考えてもいいかもしれません。

それにしても、こういった編曲ものはいつも最後に持ってこられることが多いのですが、ドヴォルザークに関して言えば、私は第11番と第12番の間に持ってきてもいいのでは、と思います。彼の弦楽四重奏曲の変遷を俯瞰するという意味では、私は決して番号がついていなくても重要な作品だと思います。



聴いている音源
アントニン・ドヴォルザーク作曲
弦楽四重奏曲第14番変イ長調作品105 B.193
弦楽四重奏のための「糸杉」B.152(全曲)
プラハ弦楽四重奏団



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