かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ドヴォルザーク弦楽四重奏曲全集6

神奈川県立図書館所蔵CDドヴォルザーク弦楽四重奏曲全集の今回は第6集です。収録曲は第8番と第9番です。

そう、ウィキでいうドヴォルザークらしいと言われる曲になるわけです。

確かに、一つ突き抜けているように思います。しかしそれは形式とかではなく、あくまでも旋律においてですが・・・・・

形の上ではもうすでにかなりのものを作曲している(実際、この二つも形式上まとまっていますし4楽章制と奇をてらうことはしていません)ことは今までに述べてきましたが、この第8番からはあきらかに旋律上の変化が起こります。

憂いと言いますか、その陰影の部分でドヴォルザークらしさと言いますか、そういったものが出てきます。

演奏もこれまでとアプローチを変えていないにも関わらず、それが認識できるのですから、確かにこの第8番から変化が起きています。

その理由として、ドヴォルザークの置かれた立場というものが非常に重要なのではないかと思っています。

四重奏曲
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%82%AF#.E5.9B.9B.E9.87.8D.E5.A5.8F.E6.9B.B2

弦楽四重奏曲第8番 (ドヴォルザーク)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A6%E6%A5%BD%E5%9B%9B%E9%87%8D%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E7%AC%AC8%E7%95%AA_(%E3%83%89%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%82%AF)

この説明の中で重要な部分は、実は「スターバト・マーテル」なのです。実はこの時期は弦楽四重奏曲だけでなく、彼の音楽全体の転換期に位置しています。

スターバト・マーテル (ドヴォルザーク)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%AB_(%E3%83%89%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%82%AF)

この時期までは、オーストリア奨学金を得るために作品を書いていた部分があり、さらに当時更なるチェコの国民音楽運動の機運が高まった時期でもあります。そういったなかでドヴォルザークも国民楽色の強い作品を書く機会をうかがっていましたが、それが子供の死去ということで一気に吐露する機会が来たというのが正しいと私は思っています。

ドヴォルザークの宗教曲もその変遷を見ますとほぼ同じような順序を辿ります。そういったことを考えますと、なぜ彼が第8番において音楽が変わったのか、理解しやすいのではないかと思います。

ドヴォルザークはこういった民族色の音楽を作曲する機会をうかがっていました。それが、悲しいことに子供の死によってもたらされたのだ、ということなのです。

こういったことはそれ以前の作曲家でもよくあったことです。特に、明らかにドヴォルザークが作曲時念頭に置いていたであろうベートーヴェンは・・・・・

そういった点から、第1番から聴きなおしてみると、以外にもドヴォルザークのメッセージがすべてにちりばめられているように、私には思えるのです。



聴いている音源
アントニン・ドヴォルザーク作曲
弦楽四重奏曲第8番ホ長調作品80 B.57
弦楽四重奏曲第9番ニ短調作品34 B.75
プラハ弦楽四重奏団


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