かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今月のお買いもの:バッハ世俗カンタータ第7集

今月のお買いもの、今回は令和6(2024)年4月に購入したものをご紹介します。e-onkyoネットストアにて購入しました、バッハの世俗カンタータ第7集、バッハ・コレギウム・ジャパンのアルバムになります。ハイレゾflac96kHz/24bitです。

バッハのカンタータと言えば、教会カンタータが有名ですが、バッハのカンタータには二つあることを以前ご紹介しています。教会歴に基づき教会で会衆が歌うために作曲された「教会カンタータ」、そしてもう一つが、教会に関係ない儀式などで演奏される「世俗カンタータ」です。

このバッハ・コレギウム・ジャパンのシリーズは、その世俗カンタータを取り上げたもので、その第7集です。この第7集には、「農民カンタータ」と、イタリア語の歌詞のカンタータ二つの、3つが収録されています。

実は、農民カンタータはずっと聴きたくて、CDで持てないかと探していた作品なのです。まだCD全盛の時代に、銀座山野楽器で輸入盤で見た時に、いつかは欲しいと思っていたのですが、特に新型コロナウイルス感染拡大以降、CDを売る店舗の縮小が止まらず、いまではダウンロードやストリーミングが音楽購入の主な方法に変わり、なかなか手に入れることが難しくなりました。特に、銀座山野楽器本店で見たのは、ブリリアント・クラシックスだったので、なおさら。

そのため、ちょうどe-onkyoネットストアでハイレゾを買うことに代えて以来、最近バッハ・コレギウム・ジャパンハイレゾ音源を買うようになってから、ちょうど世俗カンタータのシリーズもハイレゾになっていることを知り、もしやないだろうかと物色しましたら・・・ありました、ハイレゾで。それがこの第7集だったのです。ようやく巡り合えました・・・

農民カンタータは、正式には「わしらの新しいご領主に」BWV212です。ではなぜ「農民カンタータ」なのか?それは、このカンタータが、実は農民の税負担と関係があるから、なんです。

この「わしらの新しいご領主に」は、成立がバッハと組んだ台本作家ピカンダーの発案だとされています。実は、ピカンダーの本職は徴税官。領主の元で徴税を行う下級官吏です。そのピカンダーが、新しい領主にいわばゴマをするためにバッハに依頼したのが、この農民カンタータである「わしらの新しいご領主に」なのです。

ja.wikipedia.org

成立は1742年であり、初演はその年の8月30日、ライプツィヒ近郊のクラインチョハー村で行われた新領主カール・ハインリヒ・フォン・ディースカウの着任祝宴です。つまり、ディースカウがピカンダーの上司、と言うことになります。

これ、何かに似ているって思いません?日本で同じような風景を見たことがあるようなって。そうです、例えば水戸黄門で出て来るような武士の間の関係とか、あるいは今年の大河ドラマ「光る君へ」の平安貴族だったり。はたまた、現代においても、組織の中では結構ありますよね?それが行き過ぎてしまうと、贈収賄にもなりかねませんが。

同じことが、バッハが生きた時代にも行われていた、と言うわけです。おそらく、初演の祝宴は、クラインチョッハー村の有力者や名の知れた農民などが参加していたと思われます。特に、歌詞に方言が使われていることを考えますと、単にピカンダーがゴマをすったと言うだけではなく、むしろピカンダーがクラインチョッハー村の、日本で言えば庄屋に相当するような村民から依頼を受けてのものだったと考えるほうが自然です。こう見えて、私は中央大学文学部史学科国史学専攻卒業なので、そのあたりは歴史においていくらでも例を見ることが出来ます。古代史が専門でしたが、「古文書学」ではいくらでも中世や近世(つまり江戸時代)のものを扱ったので(というか、古文書学のテキストはそれが主流)・・・

その古文書学のテキストに書かれている内容は、たいていが土地がらみ。つまり、税金や資産、あるいは経済活動と言ったものを記録したものなのです。今年の秋にも正倉院展が開かれますのでいかれるとわかるかと思いますが、正倉院の文書ですら、多くが律令体制の税がらみです。

そういった作業の一員に、ピカンダーもドイツはライプツィヒという場所に於いて、就いていたというわけです。その人間関係たるや、ある程度の想像はつきます。私が「農民カンタータ」が聴きたいと思ったのは、バッハが作曲したことで史料価値のある、18世紀ドイツの社会の雰囲気の一端を味わえるという点もあるのです。

その作品が持つ生命を、演奏するバッハ・コレギウム・ジャパンは表現しています。特にソリスト二人のうち、特にバスのドミニク・ヴェルナーの表現が抜群!カンタータの最初の方では、下手すれば下ネタと取れなくもない部分がありますが、その部分も本当に絶妙!もう、おかしくって!カコ鉄さん風に言えば、「えっ!なカンタータ」と言えるでしょうが、その点の表現力が抜群です。さすがはバッハ・コレギウム・ジャパン

www.youtube.com

この動画で取り上げられている、神楽よりもさらに直接的な部分すらある作品を、方言丸出しにしながらも、決して下品にはしないのはさすがバッハ・コレギウム・ジャパンだと言えるでしょう。当然、私が考えた歴史を踏まえた鈴木雅明の解釈もあるはずです。

2曲目と3曲目は、イタリア語のカンタータとなっており、ドイツ語のバッハとしては珍しいと言えます。2曲目が「悲しみのいかなるかを知らず」 BWV209。1734年に成立したものと言われていますが、イタリア様式が強いため偽作説もある作品です。東京書籍「バッハ事典」P.200ではバッハの弟子でのちに「音楽文庫」の主催者になるローレンツ・クリストフ・ミツラー(1711~1776)がアンスバッハへと旅発つ際の送別の曲として作曲したとの記載があります。

classic-variations.com

第3曲目が、「裏切り者なる愛よ」 BWV203。愛は時として苦しく残酷でもあります。その本質を歌った作品ですが、通奏低音チェンバロバリトン・ソロしかないので、恐らく演奏会というよりは内内で演奏するために作曲されたのではないかという説が有力です。成立年はよくわかっていませんが、学者の間では様式的にケーテン時代あたり、1723年(もしくはそれ以前)くらいではないかとされています。19世紀の写譜しか伝わっていないため、偽作説もいまだある作品です。

ja.wikipedia.org

最後の2つがイタリア語というのが、奇妙と言えば奇妙です。単に歌曲であればイタリア語もあり得ますが、一応カンタータなので・・・ですが、仮にBWV209と203の2曲が真作だとすれば、むしろカンタータとは歌曲もその中にありますから、ドイツにおける歌の総称として捉えるべきだということになるでしょう。つまり、カンタータとは「歌唱曲」である、と言うことです。当然その中には、独唱も合唱もあるというわけです。であれば、カンタータにイタリア語のものがあってもそれほど奇妙ではないということになります。実際、バッハはイタリアの作品も数多く写譜し、研究したうえでキャリアを積んでいますので。

鈴木雅明氏が、そのカンタータの歴史を踏まえての3曲選択だったとすれば、腑に落ちる部分もあります。気が付かれましたでしょうか、この3曲、曲順は実は遡っていることを。「農民カンタータ」が1742年、BWV209が1734年、そしてBWV203が1723年もしくはそれ以前あたり。明らかに遡っています。それはつまり、カンタータを作曲するにおいて、バッハがイタリア歌曲や合唱曲を参考にしてキャリアを始めたことを意味しています。もっと言えば、ドイツ音楽は先人たちがイタリアの芸術を受け入れ研究したことをきっかけに始まっていた、と言うことです。その歴史の延長線上に、バッハのカンタータがある・・・その歴史認識のもと、このアルバムの曲順が設定されているとすれば、納得なのです。これはあくまでも歴史家である私の視点かもしれませんが・・・

このアルバムでは合唱が一切ないのも特徴です。おそらくですが、比較的低コストでアルバムをつくるにあたり、「農民カンタータ」に二つのイタリア語カンタータを選択したという側面もあったのではないでしょうか。この3つであれば、オーケストラにソリストだけで済みますので。コスト意識を持ちつつも、音楽史を踏まえ、さらに高いレベルでの解釈と表現。バッハ・コレギウム・ジャパンはやはり日本を代表する音楽団体だと思う次第です。まさに「コレギウム」という名称に相応しい団体です。

 


聴いているハイレゾ
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
カンタータ「われらの新しいご領主に」BWV212(農民カンタータ
カンタータ「悲しみのいかなるかを知らず」 BWV209
カンタータ「裏切り者なる愛よ」 BWV203
モイツァ・エルトマン(ソプラノ)
ドミニク・ヴェルナー(バス)
鈴木雅明指揮
バッハ・コレギウム・ジャパン

(BIS SA-2191 flac 96kHz/24bit)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。