かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:プロコフィエフ ピアノ・ソナタ全集1

東京の図書館から、今回から3回シリーズで、府中市立図書館のライブラリである、プロコフィエフのピアノ・ソナタ全集を取り上げます。

プロコフィエフは、ロシアの作曲家ですが、交響曲バレエ音楽、ピアノ協奏曲など管弦楽曲で有名です。ですが、ピアノ協奏曲が有名なのに、なぜかピアノ曲ってそれほど取り上げられる機会ってないですよね?我が国のピアニストのリサイタルでも、プロコフィエフの曲が取り上げられるのは稀だと思います。

と言うことで、ではそのプロコフィエフピアノ曲ってどんなものだろう?ということで、図書館の棚で目に留まったのが、ピアノ・ソナタ全集でした。今回はまずその第1集を取り上げます。

第1集には、第1番から第4番までが収録されています。実は第1番から第4番まででひとくくりにされているのは重要で、実は第4番までは習作といっても差し支えない作品で、第4番までのピアノ・ソナタは、第2番以外は全てプロコフィエフサンクトペテルブルク音楽院時代に作曲したものを、卒業後手を加えて作品番号としたものなのです。

ja.wikipedia.org

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うち、第1番は栄えある作品1。第1番と第3番は一楽章形式をとり、第2番が4楽章、第4番が3楽章形式を採用しています。第3番と第4番には標題として「古い手帳から」という名称がついていますが、これはそもそもサンクトペテルブルク音楽院時代に作曲した作品を改作したものから名づけられたとされています。なお、私が借りてきたCDにはその標題はついていません。

第1番と第3番は一楽章形式ですが、これはスクリャービンの影響と言われています。和声的には第3番が最も前衛的だと言われていますが、実際にはロマン的な性格も持っており、確かに音楽院の学生の作曲だと言うほうが納得します。

標題がクレジットから削除されているのは、このCDを演奏しているのがニコライ・ペトロフだからというのもあるかもしれません。ペトロフ旧ソ連生まれのピアニスト。しかも、この音源はロケーションがモスクワのメロディア・スタジオ。メロディアと言えば、旧ソ連の有名レーベルであり、ある意味ソ連プロパガンダを担っていたレーベルでもあります(とはいえ、その演奏の多くは素晴らしいのですが)。習作というレッテルを張られるのを嫌がったとしても、不思議はないでしょう。しかしながら、第2番以外の3曲が、サンクトペテルブルク音楽院時代の作品に手を入れたものであることはほぼ間違いないのです。しかも、そのレベルの高さを感じずにはいられません。

そのあたりのリスペクトが演奏者にあれば、自然と演奏で良さが浮かび上がると私は思うのですが・・・こういうところは、私は旧ソ連の録音を聴いていますと、どこか強迫的な点を感じずにはいられません。自然にテンポアップしていくような部分があるほうがはるかに人間的です。どうもその点だけは私は共感できません。

とはいえ、このペトロフの演奏は、比較的自然体で、聴いていてもそれほど強迫的なものを感じません。録音年代が1970年代だからなのかもしれません。ソ連共産党の支配がそれほど強烈ではなくなってきたことが、演奏者がのびのびと、楽譜と向き合って演奏されている印象が強いです。それだけに、標題を削除したのには、どこか作為を感じます。そもそもそれが俗称であれば、なくてもいいですしむしろない方がいいという意見すらあると思いますが・・・

プロコフィエフのピアノ・ソナタ全集の初めてのアルバムという、栄えあるアルバムなのですが、まあ、その点は1970年代というタイミングでは、しょうがないのかなという側面を感じざるを得ないのは残念です。

 


聴いている音源
セルゲイ・プロコフィエフ作曲
ピアノ・ソナタ第1番ヘ短調作品1
ピアノ・ソナタ第2番ニ短調作品14
ピアノ・ソナタ第3番イ短調作品28
ピアノ・ソナタ第4番ハ短調作品29
ニコライ・ペトロフ(ピアノ)

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