かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

コンサート雑感:クラシック名曲コンサート~ベートーヴェン、愛の軌跡~Vol.1/3を聴いて

コンサート雑感、今回は令和元年10月6日に開催されました、クラシック名曲コンサートをご紹介します。

コンサートと名がついていますが、事実上はピアニスト瀬川玄氏のリサイタルです。取り上げるのは当然、ベートーヴェンのピアノ・ソナタということになります。

実は、このリサイタルは9月に横浜市青葉区民センターフィリア・ホールでも開催されており、初めはそちらに伺う予定でしたが、仕事の都合上、そちらをキャンセルして10月にしたのでした。会場は昭島市東中神駅近くのさくらオーディトリアム。

フィリアは私も合唱団時代に歌った経験のある素晴らしいホールで、そのホールを一体どのように使って作品を「料理」するのかがとても楽しみでしたが、一方のさくらオーディトリアムはとても小さなホールで、席は椅子をただ出して並べるというまるで体育館のよう。しかし天井の高いホールはとても響きのいい感じです。

フィリア以上に客席と舞台の距離が近く、もうサロンと言ったほうがいい感じです。実際当日の雰囲気は瀬川氏が主宰するサロン「クラシック音楽道場」さながらでした。

このコンサート、いや、リサイタルですね、シリーズになっており、全3回行われるそうで、今回はその第1回として、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第12番と第14番「月光」が取り上げられました。

さて、皆さんはこの2曲にどんな印象を持たれていますか?月光は有名だけど、第12番なんてしらないよ、って言う人も多いのではないでしょうか。でも、「葬送」という標題を出すと、あああれねって言う人も少しいるかもしれません。第3楽章がレオノーレ・プロハスカに転用され、さらにベートーヴェン自身の葬儀でも使われた作品だからです。

ja.wikipedia.org

ところが、私はこの第12番、ちょっと違った視点をこのコンサートで持ちました。なぜなら、この第12番、第1楽章からいきなり変奏曲なんです。

第2楽章にスケルツォを持ってきており、多分に交響曲も意識した構成でありながら、第1楽章がソナタ形式ではなく変奏曲なんです。ここにベートーヴェンの自由な発想が見て取れます。瀬川氏の演奏はここをじっくり歌うんですよね~。キター瀬川節!

この演奏に私が持っている音源で一番近いのは、今や指揮者としての方で有名なダニエル・バレンボイムのでしょうか。それでも全体的にエネルギーを持ち、歌う瀬川氏の演奏にはどうもかなわないように思います。そろそろ円熟期に入ったのかもしれませんね、瀬川氏。

続く第14番「月光」。この曲、そのロマンティックな標題で惑わされる作品だと思います。ジュリエッタ・グッチャルディとの恋愛がきっかけで生み出され、そのエピソードゆえにとても甘美なイメージを私たち聴衆のほうが持っているように思いますが、実はいろんな音源を聴いても、不思議に思うのが最終楽章の第3楽章の激しさではないでしょうか。

当日、それを瀬川氏はベートーヴェン研究の第1人者である、フランスの文豪ロマン・ロランの文献を例示して、そもそも、第1楽章が振られたベートーヴェンの「恨みつらみ~♪」である、と解説。なるほど、そうなると、第3楽章との整合性が見事に取れるんです。では、中間楽章である第2楽章の軽快さはどう説明するんだ?となりますよね。これは瀬川氏のほうが説明不足というか、日本の音楽家たちの欠点でもあるんですが、ベートーヴェンはそもそも、AC(アダルト・チルドレンアルコール依存症を親に持つ子供)であるので、別に不思議はないんです。

依存症業界あるいは臨床心理の業界であれば、ベートーヴェンのそのような楽章構成は、ACやアディクトなら当然の構成だよね、で説明が済んでしまうんです。ACは親からの虐待を何らかの形で受けているので、暗い部分と明るい部分とがともすれば整合性が付かない形で同居させます。ベートーヴェンはそれを作品で示したわけで、当時なかなか芸術において表現しなかったものを堂々と表現した、最初の人だったといえるのです。ともすればそれは欠点であり、貴族から奇異な目で見られる可能性が高ったわけですから。ですがベートーヴェンは音楽家で最初に自立した人です。堂々と自分の欠点をさらけ出した人だった、と言えます。そんなベートーヴェンですら、音楽家の命ともいえる聴覚に関してはなかなか言えなかったのですから・・・・・

そりゃあ、ACである上に聴覚障害となれば、悩まないほうがおかしいですしね。ベートーヴェンの中期以降の作品は、そのようなベートーヴェンの葛藤の結果が踏まえられている作品がずらりと並んでおり、その中でも特にACである部分がさらけ出されている点が、ベートーヴェンの作品の特徴であるともいえるでしょう。その特徴的な作品がまさに第14番「月光」だといえます。ある意味、第1楽章などはベートーヴェン自身を比喩しているといえるでしょう。第2楽章はそんな中おどけて見せる本人。そして第3楽章では狂おしい想いをぶつけるかのような激しさ。臨床心理の視点からは見事なまでのACぶりです。ですので何も不自然なことはないんです。ただ自分をさらけ出しただけ。ですがそれは献呈したジュリエッタには届いていなかった・・・・・そこに、ベートーヴェンの悲しみが見て取れる、私にとっては狂おしい作品です。

ですがそれに気づかせてくれたのは間違いなく瀬川氏の解析です。そしてその演奏の激しさとカンタービレは、見事なまでベートーヴェンの内面を掘り下げたものだったといえるでしょう。ここでも瀬川節全開!ゆったり目の瀬川氏の演奏は、こうしった内面的解析でこそ生きると思います。今後の第2回、第3回でもこういったじっくりと腰を据えた演奏を聴くことができればいいなあと思います。

 


聴いて来た演奏会
クラシック名曲コンサート~ベートーヴェン、愛の軌跡~Vol.1/3
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
ソナタ変イ長調作品26
幻想風ソナタ嬰ハ短調作品27-2
瀬川玄(ピアノ)

令和元(2019)年10月6日、東京昭島、さくらオーディトリアム

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。