コンサート雑感、今回は令和2年2月2日に行われました、調律師 瀬川宏を忍ぶリサイタルを取り上げます。
実は、私のマイミクさんでありかつFBFであるピアニスト、瀬川玄氏の御父上を忍ぶリサイタルであり、つまりは瀬川玄氏のリサイタルなのです。もともとはベートーヴェンのピアノ・ソナタが予定されていたのですが、急遽変更して、御父上を忍ぶものに変えられたそうです。
そして私は、その御父上である宏氏と面識があります。御父上瀬川宏氏はもともとヤマハの調律師であり、同時に息子の専属調律師でもあられたからです。そのため、瀬川玄氏主宰の「クラシック音楽道場」にも何度も出席され、そこで私は面識があったのでした。ですから今回、足を運んだのです。
宏氏のヨーロッパを見てきた見識は、じつは赤井電機のデッキエンジニアだった父とほぼ同じ体験をしています。もちろん、仕事のジャンルは違いますから仕事上ほぼ同じことをしていたというわけはないんですが、「日本人がヨーロッパ人と仕事をすること」という点において、話を聞いていて共通するものがあると常々思っていたのです。
ですから、一度わが父を誘って道場に行きたいなと思っていた矢先の訃報。私自身とても悲しい出来事でしたが、何よりもショックであったのは息子である瀬川玄氏だったであろうと思うのです。私よりも若い年齢で、二親亡くされたのですから・・・・・その喪失感を思うと、できれば行きたいと思っていた矢先、なんと!前日コンサートダブルヘッダーだったにもかかわらず、当日は夜勤からという・・・・・二つ返事でまいりますと誘ってくださった方に返答しました(そのお誘いいただいた方も父上を亡くされており、その方の喪失感を癒すという目的もありました)。
さて、当日はショパンのノクターンが2曲、ピアノ・ソナタ、そしてバッハのソナタと、最後にムソルグスキーの「展覧会の絵」というプログラム。前半はいかにも父上を忍ぶという内容を持つものでしたが、前日の強行日程が祟り、じつは前半はほとんど聞けずじまい。しかしソナタの第4楽章の、力強い演奏を聴いて、ああ、喪失感がなんとか手放せているかなと思いました。何か吹っ切れているというか、覚悟のようなものを感じたのです。決別というか・・・・・
それがあらわになったのが、後半のプログラムだったと思うのです。バッハのソナタト短調BWV1001は、いわゆる「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」ですから、そもそもはヴァイオリンのための作品です。ですがもちろん、瀬川氏はピアニストであり、ヴァイオリニストではありません。もちろん、ピアノへトランスクリプションして演奏するという方法もあったでしょう。ところが、瀬川氏が選択したのはピアノではなく、「ピアニカ」だったのです。
バッハだったら、この作品を鍵盤とするならば、チェンバロもしくはオルガンを選択したはずですが、ロケーションの青葉区民センターフィリアホールにはそのどちらもありません。宮前フィルハーモニー合唱団「飛翔」の団員だった私は第3回定期演奏会でモーツァルトの「戴冠ミサ」を歌うためにこの舞台に乗っていますが、当時ホールとの折衝を任されていた私は、友人と共にオルガンがないことを確認し、音楽監督だった守谷弘氏にその旨を伝え、貧乏合唱団だったのでオルガンを借りずに、室内オケだけで済ませた経験があります。当然瀬川氏もオルガンがないことなど知っていたことでしょう。ところが、御父上の勤め先だったヤマハは、ピアニカを製造していた、なら、使おう!という発想になっても、何ら不思議はありません。
ですからこのピアニカを使うということ自体、いろんなメッセージが詰まっているわけで、そのうえで新しい表現方法を見つけられたなという気がします。例えば今後、バッハのオルガン曲を、ピアニカならコンサートピースとして採用できるわけです。ピアニストだからこそのこの選択、見事でしたし、演奏もフレージングを大切にする瀬川節全開!今後リサイタルでピアニカを使うのかどうか、とても楽しみです。
そして、「展覧会の絵」。もともとはピアノ曲であるこの作品ですが、その瀬川節で、プロムナードを弾いたかと思いきやほぼ休符なしに1曲目に突入!そういえば、ギャラリーなら入ったらいきなり絵だもんね、と。例えばこれが正倉院展なら、まず学芸員の解説があってから展示なのですが、ギャラリーならそんなまどろっこしいことはしません。たとえ解説があったとしても、会場に入ればいきなり絵が飛び込んできます。その情景が目の前に広がるのです。こういったつかみは本当に素晴らしい!そのうえで、演奏も詩的であり、久しぶりに音楽ではなく「絵画を見に来た」という感じにさせてくれました。こういった表現の幅の広さ!
確かに、情熱的な演奏ならほかに大御所でいくらでもありますし、最近は原曲であるピアノ版も私は大好きなのですが、それでもこの演奏は私に強烈な印象を残すとともに、新しい瀬川氏を予感させるものでした。
その「新しい瀬川氏」が、きっと両親を亡くされた瀬川氏を自身で癒すであろうと信じます。このリサイタルは彼にとって、ナラティヴ・セラピーの意味を持つからです。自分の物語を語ることにより、自分自身を癒していく・・・・・だからこそ、はせ参じたのですから。ナラティヴ・セラピーができているうちは、どんなに悲しみに暮れようとも、前を向いて歩いていくことができるでしょう。私は一人の聴衆、そしてファンとして、「聴くこと」でサポートし続けることができればいいなと思います。
聴いてきたリサイタル
調律師 瀬川宏を忍ぶリサイタル
フレデリック・フランソワ・ショパン作曲
ノクターン変ホ長調作品55-2
ノクターンロ長調作品62-1
ソナタロ短調作品58
ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲
ソナタト短調BWV1001
モデスト・ムソルグスキー作曲
「展覧会の絵」
瀬川玄(ピアノ、ピアニカ)
令和2(2020)年2月2日、神奈川横浜青葉、青葉区民センターフィリアホール
地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。