かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:チャイコフスキー 交響詩集2

東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリである、チャイコフスキー交響詩集を取り上げていますが、今回はその第2集です。

この第2集には比較的有名な、「テンペスト」「ロメオとジュリエット」そして「1812年」(!)が収録されていますが、加えてあまり知られていない「地方長官」が収録されています。

ja.wikipedia.org

できばえに本当に満足していなかったのかなあって思うんですよね、どう聞いてみても。だからこそチャイコフスキーが総譜を破棄したとしても、パート譜から復元したんだと思うんですよ、周りが。というよりもおそらく、パート譜から復元できるよう、周りが準備をしておいた、ともいえるような気がするのです。

当時のロシア「帝国」で、こんな作品を書いたら、どんな「罵倒」が待っているでしょうか・・・・・しかし、チャイコフスキーとそしてその「仲間たち」は愛国リベラルです。その「リベラリズム」によって書かれた作品がこの「地方長官」だったとしたら・・・・・どうでしょう?全く違う様相が見えてくるとは思いませんか?

つまり、チャイコフスキーはその「罵倒」などの官憲による介入を恐れた、だから破棄した・・・・・そう考えるほうが自然なんです、この「地方長官」という作品が生き残った経緯を見てみると。しかしそれを表に出してしまうと、日本でも問題がある・・・・・となると、この作品に対する解説がオブラートに包まれた表現になっているのも、うなづけます。

チャイコフスキーは愛国リベラルである。そうこのアルバムが結論付けているなと思うのが、「地方長官」と並んで収録されている「1812年」(ナポレオンフランス軍がロシアを攻撃し、ロシアが撃退した事件を題材にした祝典序曲)です。そして男女の悲劇を描いた「ロメオとジュリエット」です。そこに、文学作品から霊感を得た「テンペスト」。こう見てみると、チャイコフスキーという人の評価って変わるような気がするんです。よく「露助の作品など聞きやがって!」というご批判を受けるのですが、本当にそれは適切ですか?ということなんですね。

この4つを聴いてみても、そんな偏見が言えるのですか?ということです。そういう人に、では日本でそれほどの愛国的作品ってなんですか?行進曲以外で挙げてくださいと言って答えが返ってきたことはありません。日本でもないわけではありません。けれども、チャイコフスキーほどの「熱量」を持ったものはありません。なぜなら、日本の愛国心は押し付けだからです。ですから「自らの発露」としての表現ではないんです。だからチャイコフスキーほどの熱量がないのは当然だといえます。

なのに、「露助の作品など聞きやがって!」ですって?バカげています、というより、「そんな偏見言いやがって!この〇ソが!」です、正直言って。ロシアにだって戦前日本で作曲された愛国的作品ほどのものは山ほどあります。けれどもその評価は低くはないですがチャイコフスキーほどの「熱烈ファン」がついているわけではありません。そこを考えれば、なぜチャイコフスキーの作品はロシアの作曲家だろうが聴かれるのか?ということを考えることこそ、私は愛国だと信じています。

第2集の演奏は指揮者に昨年引退したハイティンクも加わって、オケはニューフィルハーモニアに代わりロイヤル・コンセルトへボウ(いわゆる、アムステルダム・コンセルトヘボウ)を採用し、フランクフルト放送響と使い分けています。インバル指揮フランクフルト放送響が演奏する「テンペスト」と「地方長官」は本当に劇的で、特に「テンペスト」は長く私はナクソス音源を好んできましたがそれを凌駕するもの。「地方長官」はこれが初めてなので比較するものはないですが、チャイコフスキーの音楽的特徴である劇的な点は十分表現されていると思います。これこそプロの仕事だって思います。初めての作品をいかに魅力的に聴いてもらえるのかは、特にカギだと思います。

そして、マルケヴィッチが指揮するロイヤル・コンセルトヘボウが演奏する「ロメオとジュリエット」と「1812年」。これは「ロメオとジュリエット」の劇的な展開はさすがコンセルトヘボウ!と膝打つんですが、「1812年」は・・・・・決して悪くないんです、本当にいい演奏なんです、わくわくするんです、けれど、最後の大砲が・・・・・オランダ軍の協力は仰げなかったか、とちょっと残念なんです。大砲はティンパニで代用されることが多いのですが、録音が古いせいか、そのティンパニがどこかくすんだ音になってしまっているのが残念なんです。「1812年」の中でもクライマックスの一つと言っていい部分なのでぞんざいに扱ってほしくないなあと思うのですが、それがもしかすると演奏者たちのメッセージなのかなあと、もう少し聴いてみる必要があるとは思うんですが、やはりデュトワ指揮モントリオール管の演奏に比べますと、劣って見えてしまうのが残念です。あのシンセを使った演奏は、デュトワに後年問題行動があったとしても、素晴らしい判断と結果だったと思うのです。

 

 

聴いている音源
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー作曲
①幻想曲「テンペスト」作品18
②交響的バラード「地方長官」作品78
③幻想序曲「ロメオとジュリエット」
④大序曲「1812年」作品49
エリアフ・インバル指揮
フランクフルト放送交響楽団(①~②)
ベルナルト・ハイティンク(③)、イゴール・マルケヴィッチ指揮(④)
ロイヤル・コンセルトへボウ管弦楽団(③~④)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。