かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:マゼール指揮ウィーン・フィルによるチャイコフスキー交響曲全集4

東京の図書館から、4回シリーズで取り上げております、府中市立図書館のライブラリである、ロリン・マゼール指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏によるチャイコフスキー交響曲全集、今回はその最後の第4集を取り上げます。

第4集には、第6番と「ロメオとジュリエット」が収録されています。第6番は「悲愴」という標題がついていますが、この演奏からはさほど悲愴感が感じられず、むしろ人生のアイロニーを強く感じます。勿論、最後はさみしく終わるこの曲ですが、マゼールは決して悲しみだけを極端に出すような解釈をせず、むしろウィーン・フィルを存分にただただ歌わせます。

ですので、寂しさは感じますが、悲しさを感じないのです。だからと言ってこの演奏が自分に合わないかと言えばむしろとても共感するもので、さすがプロだなあと思います。

以前から言及していますが、プロの演奏を聴く醍醐味は、ひとえに仮に自分の美意識とぶつかったにせよ、納得させられる演奏が聴けることです。指揮者も人間ですから、楽譜から掬い取るものは違って当然です。ゆえに聴き手の美意識とぶつかることもあるはずなのです。その時に「なるほど!」と腑に落ちる演奏を提示することができるか・・・・・これがプロの仕事だと思います。

もちろんそれはアマチュアでも起こりえることではありますが、プロであれば引き出しをたくさん持っているがゆえに、アマチュアであれば「この演奏はなあ」と思うものが少ないとはいえるわけなのです。それがプロの演奏を、高いお金を払って聴く醍醐味だと思います。

特に今私は体が不自由で、かつお金も決して自由とは言えない身分です。辛い思いをして会場へとたどり着き、高い金を払っただけの演奏は期待したいところです。しかしそれは自分の美意識から絶対外れてくれるな!というものではなく、むしろ外れていても「おお、こういう見方もあるのか!」と目からうろこが落ちるような演奏を期待するのです。それこそ、プロゆえの「表現力」であるからです。

「ロメオとジュリエット」は私好みの激し系で、溌溂さすら感じるものです。一方の第6番は私が持つ「悲愴」という曲のイメージを変えるだけの表現力を持っています。こういう演奏に出会えることこそ、幸せなのです。

この全集はあたりだと以前書きましたが、やはり間違いありませんでした。そういえば、マゼールの指揮ではずれというものをあまり経験したことがないように思います。マゼールなら安心できる、と言えるかもしれません。

 


聴いている音源
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー作曲
交響曲第6番ロ短調作品74「悲愴」
幻想序曲「ロメオとジュリエット」
ロリン・マゼール指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。